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9-07 奇跡

 後方から救急車両に乗り込むと、真ん中の担架にみひろが寝ていて、その周りに伊織さん、リーラちゃん、ミセリさんもいた。

 狭い車内には医療機器の無機質なビープ音が響き、酸素マスクを付けたみひろは、速いペースの呼吸を繰り返している。


「しっかりして、みひろちゃん!」

「がんばれ、気合で頑張れ!」


 リーラちゃんとミセリさんが大声で呼び掛けるものの……素人にできる事なんて、こうやって声をかけて励まし、意識を繋ぎとめようとするくらいしかない。


「伊織さん! みひろの容態はどうなの!?」


 いつもは頼りになる伊織さんも動揺し、今にも泣き出しそうな顔をしている。


「背中に受けた傷から……おそらく弾丸が、身体に残ったままになってます。背骨、肋骨、肺……そのどこか、もしくは内臓全部に、ダメージを及ぼしてる可能性があります。出血もひどく心拍も乱れ、手足にはチアノーゼも見られます。一刻も早く病院に行って手術しないと……」

「どうして車、動いてないの!? はやく病院に行って下さい!」


 運転席の、葉室警備の制服を着た人に叫ぶも……彼は背中を向けたまま、申し訳なさそうに首を横に振る。


「久右衛門さんの命令で待機を命じられています……病院搬送はできません」


 私は咄嗟に、伊織さんから拳銃をスリ取った。そのまま運転手の頭に銃口を押し付ける。


「今すぐ降りて。こうして銃を突きつけられたんだから、言い訳には困らないでしょう?」

「わっ……分かりました」


 男がドアを開け逃げ出すと、私は銃を伊織さんに返した。


「伊織さんは運転をお願いします。早く病院に!」

「はい!」

「ウチのレスラーが、巡業でお世話になってる病院が近くにあります。道案内します」


 ミセリさんはそう言うと、助手席に身体を滑り込ませた。

 車が動き出してから後ろに戻ると、涙にまみれたリーラちゃんが、みひろの手をしきりにこすっていた。


「藍海ちゃん、どうすればいい……? みひろちゃんの手、どんどん冷たくなってくの」


 みひろは目を閉じぐったり横たわっている。その手を取ると……びっくりするほど冷たい。

 反射的に自分の頬に当て、少しでも温もりを伝えていく。

 みひろはもう言葉を発する事もできず、透明な酸素マスクをわずかな呼気で曇らせるだけ。その顔は青ざめていて、このまま病院に着いたとしても、助かるかどうか分からない。


 その時だった……みひろの金の右目が見開かれ、私に微笑みかけてきたのは。


「あいみ……あり、がとう。私、あなたと出会えて……とても楽しかった」

「ちょっと待ってよ……なにこれで最後みたいな事言っちゃってんのよっ!? 私たち、これからもずっと一緒だからっ! まだまだ楽しい事、いっぱいあるんだからっ‼」


 大声で返す私に、みひろは涙目になって微笑んだ。


「みひろ様、もうすぐ病院に着きます! あと少し、気をしっかり持って頑張ってください!」


 運転席から、震える伊織さんの声が届く。


「伊織……ごめんね、いつも我儘ばかり言って……。あのお屋敷で、私が甘えられる人、伊織しかいなかったから……」


 みひろの声は小さく、運転席の伊織さんまで届いていない。

 それでも伊織さんは、涙ながらに訴える。


「従者でありながら、私はいつもみひろ様に助けてもらってばかりでした! ですので、まだ死んではいけません! 私はまだあなたに、何も恩返しができてないっ!」

「そう……ですか? それは、困りましたね」


 みひろはふっと笑って目を閉じた。

 そのまま二度と開かなくなるんじゃないかって思うくらい、穏やかな表情で。


 私はもう、迷わなかった。

 棚に置いてあったペットボトルをスリの速さでひったくると、みひろの酸素マスクを外す。

 心の中で「ごめん」と謝りつつ水を口に含み、ぷっくりと形の良いみひろの唇に、自分の唇を重ねた。

 舌先で優しく唇を広げ割り入れると、口移しで水と一緒に飲ませる。

 むせ返りそうになるみひろの頬に手を添えて、口の中の水を全部飲ませた。


 唇を離すと、みひろの顔が徐々に赤みがかかってきたように見える。

 荒かった呼吸も収まって、あれだけ冷たかった手にも温もりが戻ってきている。


「みひろちゃんの手……あったかくなってきた」


 リーラちゃんはみひろの手を両手で包み込み、確かに感じる温かさに、静かに涙を零している。

 みひろはゆっくりと目を開けた。


「藍海……今のは」

「みひろっ!」


 寝たままのみひろに抱きついた。

 伊織さんとミセリさんも、車を止めて後ろにやってくる。


「みひろさん……大丈夫なんですか?」

「みひろ様……」


 私が身体を離すとみひろは上体を起こし、うつ伏せになって泣いてるリーラちゃんの金髪を、優しく梳き始めた。


「これ……見て下さい」


 みひろは背中に手を回すと、二本の指で摘まんだ円錐状の鉛玉を見せてくる。


「おそらく私の体内に残ってた、ライフルの弾丸です。ダメージを負った内臓も背中の傷も、すっかり塞がってしまったようです……」


 これを奇跡と言わず、なんと呼べばいいのだろうか。

 万能薬はその名の通り、あらゆる怪我、病を治す奇跡の薬だった。

 伊織さんは感極まってみひろを抱きしめた。その態勢のまま、私を見上げる。


「藍海さん、もしかして久右衛門さまに渡したのって……」

「ああ、あんまりにもムカついたからさ――」


 私はちょろっと舌を出し、悪戯がバレたお転婆娘のようにお道化てみせた。


「ママに騙されてもらったバッファリン、あげちゃった」


* * *


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