私はジルコに向かって駆け出した。完全にやられた!
海岸に追い詰めて、後は応援を待つだけと踏んでたのに、ママたちも救助のヘリを待ってたなんて! 道理で長話に付き合ってくれたわけだ。
葉室警備の車両はまだ到来てない。このままヘリで逃亡される前に、なんとしても万能薬をスらなきゃならない!
「いいぜぇ藍海……最後の勝負だ、来なっ!」
ジルコは右手の金爪を構えてダッシュし、真っ向勝負を挑んでくる。
老人ホーム屋上では、右手人差し指と中指の
残る薬指と小指で立ち向かったとしても、同じように無力化されてしまう。万事休す打つ手なし――と見せかけて。
これが最後の爪斬り勝負……出し惜しみはなしよ!
私は右手親指の爪を立て、ジルコの金爪を迎え撃った。
爪と爪が激しく軋む剣戟の音と共に、私とジルコを中心に、煌めく黄金粒子が弾け飛ぶ。
ジルコは右手人差し指、中指の金爪を粉々にし、私は親指に接着した金爪――、ホテルで拾ったジルコの
ジルコが最強の鉾を使うなら、私も同じ鉾を使うまで。
ジャケット内ポケット底辺の布地を、小指の爪で切り裂くと、素早く小さなタブレットケースを奪いとる。
やった……お祖母ちゃんから受け継いだ爪斬り《ネイルカッター》で、一番弟子ジルコからスリ獲った!
「てっ……てめえっ! いつの間に俺の爪を――ぐわあっ!」
スッた直後、猛スピードで走ってきたバイクが、ジルコの身体を弾き飛ばす!
「藍海ちゃん! 早く後ろに乗って!」
バイクで現れた夏美さんは、ヘルメットの顎で背後のシートを指し示す。私が慌ててタンデムシートに跨ると、バイクはアクセルを吹かし急ターン、駐車場入口に逃げていく。
みひろも同様、ママに掴みかかってたところに伊織さんのバイクが乗りつけて、ヘルメットを被せられたみひろは、後ろに飛び乗り逃げだした。
すぐに空からの狙撃に晒されるも、二台のバイクはジグザグ走行でこれを回避、駐車場入口を目指す。ちょうどそこに、葉室警備の車両がやってきた。
やった、これで逃げ切った! と思った、その時。
パァン!
走るバイクの後ろからスローモーションのように、みひろの身体が転げ落ちた。
* * *
「みひろ……みひろっ!」
慌ててバイクを飛び降りて、アスファルトに転がったみひろに駆け寄った。
爪斬りで顎紐を切りヘルメットを脱がせると、みひろは痛みに顔を歪め、荒い呼吸を繰り返している。
私たちの脇を何人もの警備員が通り過ぎると、鋼鉄製の盾を使い、空からの銃撃を防いでくれる。戦闘に参加してない中央のヘリからは、二本のロープが垂れ下がり、救急車を吊り下げようとしているのが見えた。
でも今は、そんな事どうでもいい!
「みひろ……しっかりして、みひろっ!」
私はみひろを抱きかかえようと素肌の背に手を回すが、べっとりとした血の感触が指に伝わり言葉を失ってしまう。なんて事……ヘリからの狙撃が、みひろの背中に当たったんだ……。
一瞬遅れてやってきた伊織さんも、みひろが背中を撃たれた事に気が付くと、真っ青な顔で後ろに叫ぶ。
「要救助者います! 担架持ってきて、はやくっ!」
「待て」
何人かの隊員が大慌てで戻ろうとするところ、低く威厳のある声がそれを制した。
波が引くように警備員たちが道を作ると、和装の老人――葉室久右衛門さんが、私たちの前に現れる。
「藍海さん……万能薬をこちらに渡しなさい」
はぁっ!? 何言ってんのこの人! 今はみひろの救助が先でしょうが!?
「今はそれより、みひろの救助を優先して下さい! あとで必ずお渡ししますので!」
「いいから今、渡しなさい。そうすれば、すぐにみひろの救助を再開する」
「……渡さなきゃ、救助はしないとでも言うつもりですかっ!?」
このジジイッ……いったい何考えてるの!
いざ助からないとなったら、みひろに万能薬を使われかねない……そう思ってるわけ!?
みひろを伊織さんに預けると、私は走って久右衛門さんの元まで行って、その手にクスリの入ったプラケースを渡した。
「これでいいんでしょ!? もうこれ以上邪魔しないで、みひろの救助を最優先にして!」
「おおっ……これがっ!」
視界の隅に、伊織さんがみひろを抱きかかえ葉室警備の救急車両へと走っていく姿が見えた。
久右衛門さんはそんなの見向きもせず、震える手でケースを開けて、白の一粒を指で摘まみ上げる。
そしてあろう事か……大仰な仕草で、自らの口に持っていくっ!?
「ちょっと! 何してるんですか? それは八雲さんのためのものでしょう!?」
久右衛門さんはぴたっと制止すると、ゆっくり首を回して私を凝視した。
その両目に、狂気ともとれる愉悦の光を満たしながら。
「そんな事、儂は一言も言っておらんぞ?」
「はあっ!? 何言って……って、ちょっと!」
久右衛門さんは躊躇う事なく白い錠剤を口に放り込み、喉を鳴らして飲みこんだ。
この人……八雲さんに万能薬を使う気なんてさらさらなく、最初から自分で飲むつもりだったのか!
「藍海さん! みひろ様の様子が!」
救急車両から顔を出した伊織さんが、焦った声を張り上げる。今はこんな爺さんに構ってる場合じゃない。私は踵を返すと、脱兎の如く駆け出した。