私――有海万智子の母・有海春子は、二十代後半で葉室久右衛門と知り合い恋仲となったそうよ。
葉室財閥御曹司と女スリ師が、どこでどう出会ったかまでは知らないわ。でも知り合った時、久右衛門は既婚者だったし、彼の妻は息子・六郎太を生んだばかり。春子は久右衛門にとって、たくさんいる愛人の一人だったかもしれません。
一九八六年、二十六歳になった春子は、二十九歳久右衛門の子を身ごもった。その子こそが有海依子――五歳上の私の姉で、あなたのお母さんよ。
久右衛門は依子姉さんを認知し、養育費も払っていたのかもしれない。ただ、自分の娘に会う事はほとんどなかった。
だって姉が生まれた五年後、春子は新しい男と一緒になり、また新たな子供を授かったから。それが私。一九九一年生まれの有海万智子よ。
私の父も家には寄り付かず、結局有海家は三十一歳の母・春子が五歳の姉・依子、生まれたばかりの妹・万智子を、女手ひとつで育てる事になった。
と言っても、その女手は伝説のスリ師の手なわけで。それなりに裕福な暮らしだった気がするわ。
以来十年、母がスリ師という事を除けば、女三人平凡で幸せな家族だったように思う。
その幸せが崩れたのは、二〇〇一年三月。依子姉さんが中学を卒業したばかりの、十五歳の夜。突然家に葉室財閥を名乗る男たちが押しかけてきて、嫌がる姉さんを連れ去ってしまった。
私は泣いて止めようとしたけど、既に話が付いていたのか……母は一切抵抗せず、自分の娘が攫われていく様子を黙って見ていた。
姉さんが連れていかれた後、母は私に、姉さんは葉室財閥総帥の娘で私たち姉妹は違う父親から生まれた事を告白した。
その葉室財閥は、今更ながら姉さんを自分たちが育てると言い出し、母もそれを受け入れた。私はもちろん、姉さん本人にも知らせずにね。到底納得できる話でははなかったわ。
とにかく、まだ十歳だった私はたった一人の姉を奪われたわけで……この時から、私は母を恨みに思うようになった。
数か月が経つと、姉から私宛に手紙が届いた。
葉室財閥の屋敷で住み込みメイドとして働いてる事、木村という年配使用人の養女となり、今は木村依子と名乗ってる事。
なぜ今更連れ戻されたかは分からないが、周りの人は優しく接してくれて、仕事も元気にやってる旨が綴られていた。
手書きの手紙の行間からは楽しそうな雰囲気も伝わってきて、母の言う通り姉は葉室財閥で幸せになってよかったんだと、納得せざるを得なかった。
一方、葉室財閥の跡取り息子・葉室六郎太は、若くして結婚した本妻との間になかなか子供ができなかった。
二〇〇四年、本妻の命と引き換えに産まれた待望の男児・葉室八雲は、生まれつき病弱な子だった。これでは先行き不安だと、六郎太は目に付く女を次々と妊娠させ、妾と妾の子を増やしていった。
そして……当時二十一歳だった依子姉さんも六郎太の毒牙にかかり、二〇〇七年十月、女児を出産した。
そう、あなたの事よ、みひろさん。
六郎太は、腹違いの妹を妊娠させた事を、最後まで知らず亡くなったそうよ。
こうして依子姉さんは六郎太の妾となり、葉室依子として葉室家本家の末席に名を連ねた。
でも二〇一五年に六郎太が死亡した事をきっかけに、葉室姓ははく奪された。
依子姉さんは木村依子に戻り、その後二〇一七年、三十一歳という若さで病死してしまった。
* * *
「ここまでは、よろしいかしら?」
葉室家の事情をすらすら語るママに、私は驚きのあまり言葉を失っていた。
好色漢の六郎太さんの事まで……どうしてママは、そこまで葉室家の内情について詳しいの?
「お母さまが葉室家にやってきた経緯は存じ上げませんが、その後の顛末は概ね間違っておりません」
みひろはあっさり認めた。と言っても、みひろ自身事実を知らされていないわけで、認めるも認めないもない。
不可解な母の死に満足な説明もなかったし、実際みひろのお母さんは生きていた。
その母の出生を、久右衛門さんが隠してたとしてもなんら不思議ではなく、今となっては何が正解で何が不正解かも分からない。
だからこそ、何もかも知ってるわよと言わんばかりの、ママの態度が異質に映る。
「ここで最も不可解なのは、十五歳になるまで放置してた依子姉さんを、なぜ葉室財閥が欲しがったのか? これは結局、葉室久右衛門が自身の一人息子・六郎太を見限った以外、考えられません」
「どうしてそこまで、断言できるんですか?」
「六郎太は女癖が悪く、それを問題視した久右衛門は二〇〇〇年、六郎太二十歳の時に正妻をあてがい早々に結婚させた。それでも彼は落ち着く事なく、女の尻ばかり追い駆ける血統書付きの発情猿だった。おまけに正妻との間に跡継ぎは産まれず、そのくせ妊娠した妾は増える一方。業を煮やした久右衛門は二〇〇一年、自らの娘である依子姉さんを呼び寄せた。いざとなれば放蕩息子を放逐し、依子姉さんに優秀な婿養子をとって、その人を後継者に据えようと考えたの」
みひろの父・六郎太さんの悪名は、今まで散々聞いてきた。でもその父親である久右衛門さんが、息子に制裁を与えた話は聞いた事がない。
単に自分の子供に甘いだけかと思ってたけど……裏でそういう画策をしていた方が、あのお爺ちゃんらしい。いかにもやってそうな話だ。
みひろは顎に手を置き、何やら考え込んでいる。ママが語る葉室家の内情を、自分の知ってる事実と照らし合わせ、その信頼度を推し量ってるんだろう。
考えがまとまると、みひろは落ち着いた口調で切り出した。
「お母さまが葉室家に来たのが二〇〇一年で十五歳。お父さまの嫡男・八雲さんが生まれたのが二〇〇四年で、この時お母さまは十八歳……。待望の孫・八雲さんが生まれたお祖父さまは、婿養子計画を一時凍結した……」
六郎太さんがいかに放蕩息子でも、その子供が優秀なら彼に継がせればよい。
待望の孫・八雲さんを、久右衛門さんがないがしろにするはずがない……たとえ八雲さんが、病弱だったとしても。
「ところが六郎太の息子、葉室八雲は生まれつき虚弱体質で、屋敷の外に一歩も出てこない。孫に万一の事があった時のため、依子姉さんは引き続き屋敷のメイドとして傍に置き、いざとなれば婿養子計画を再始動と思ってたところ……あろうことか依子姉さんは六郎太の毒牙にかかってしまう」
依子さんが腹違いの妹とは知らず、六郎太はお手付きし……その結果産まれたのが、みひろだと。
「こうしてバカ息子六郎太は、久右衛門が用意したバックアップまで潰してしまった。こうなっては、依子姉さんを六郎太の妾にせざるを得ない。ところが依子姉さんが産んだ娘・みひろさん――あなたは幼い頃からズバ抜けて優秀で、地頭が良かった。そこで久右衛門は考えた。あなたを依子姉さんの代わりに、八雲のバックアップとして財閥内に留めておけば、八雲が早逝してもあなたに婿養子を取ればいい……と」
そこまで聞いて、私はハッと思い出した。
みひろが伊織さんと一緒に有海邸に引っ越してきた時……葉室財閥は一般の高校に通わせる事に、相当難色を示したと言っていた事を。スマホだって、未だみひろに持たせていない。
十歳のみひろを、葉室財閥限定の氏立探偵に任命したのも。
母は死んだと言い聞かせ、伊織さんと一緒に財閥内で地盤を固めさせたのも。
全てはみひろを、外の世界と根絶させ、財閥内に留まらせるため――。
財閥後継者のバックアップとして、みひろを葉室家内に閉じ込めたいがためって事!?
「どう? みひろさん。あなたはたまたまコインに選ばれたおかげで、こうして外の世界に出れたわけだけど……ここで万能薬を持ち帰ってしまえば、元の木阿弥。再び葉室財閥という鳥籠に、死ぬまで閉じ込められてしまう。葉室八雲が万能薬で健康体になってもそれは変わらない。得体のしれないクスリを飲んだ彼のバックアップとして、あなたは葉室財閥に縛られ続ける。いつでも婿養子が取れるよう、外の世界の悪い虫が付かないようにね」
みひろは答えない。ただ俯いたまま右手を強く握りしめ、思考を巡らせている。
何も答えないという事は……ママの見立ては大きく外れてないと言ってるのと、同じようなもの。
「今ならまだ間に合うわ、みひろさん。藍海と一緒にアマルガムに来ない?」
「え?」
みひろは顔を上げる。ママは微笑みと共に、右手をみひろへと伸ばした。
「世界を股にかける冒険が、あなたを待ってるわ。鳥籠の中にいては一生見る事のできない本物の世界を、親友の藍海と一緒に……見てみたいと思わない?」
* * *