礼を言ってケースを受け取ると、私はママの指示通りキャスターロックを外して、パパのベッドを病室から運び出した。専用のエレベータまで運び、最下層の地下駐車場へと降りていく。
駐車場に着くと、エレベータすぐ脇に救急車が停まっていた。
リアハッチを開けると、ベッドを収納するためのストレッチャーが伸びてくる。先端をベッドに接続するだけで、自動で格納する事ができた。
「ありがとう藍海。ねぇ、やっぱりあなたも一緒に来ない? アマルガムに来ればパパと私、親子三人で一緒に暮らせるのよ。もうこんなバカげたコインの争奪戦なんて、しなくて済むと思うわ」
「一緒にって……この後、私と一緒に葉室財閥に行って、万能薬についての話し合いをするんじゃないの?」
ドキッと大きく胸が鳴る。まさかママ……このまま救急車で逃げる気じゃ?
私の疑念を知ってか知らずか、ママは芝居がかった口調で熱く語りだした。
「いい? 藍海……話し合いっていうのは、同じ立場の人間同士がするものなの。だから葉室財閥総帥が、私たちと同じ常識を持ってると思って、話し合ってはいけないわ。私たちは家族のために動く。でもあの男は、そんな事では決して動かない。行動原理が根本的に違うのよ」
「そんな事ないよ……久右衛門さんだって孫の八雲さんのために、必死に万能薬を手に入れようとしてる。それはパパのためを思って行動してる、ママや私と同じ事。家族を思っての行動……じゃないの?」
ママは冷ややかに笑うと、車椅子からゆらり……立ち上がるっ!?
私が驚いていると、救急車の陰から何者かがダッシュで私に襲い掛かって来た!
手刀のような斬撃を横に転がって躱すと、長身痩せぎすのハーフ男――ジルコは、左手爪先に鈍色の刃を光らせる。
姿が見えないと思ったら……今までずっと、こんなところに隠れてたの!?
「てっきり正面玄関で葉室警備と戦ってると思ってたら……車の陰でお膝抱えて、ぶるぶる震えてたってわけ?」
「へっ、言うじゃねーか。お前と決着付けれるなら、一時間でも二時間でも待ってやるつもりだったが……残念だがタイムアップだ。もうここに用はねえ」
「どういう意味よ?」
気がつくと、救急車の傍には電動車椅子がぽつんと取り残されていて、ママがいない。
どういう事と思った瞬間、救急車がバックで、私たちに向かって急発進してきた!
慌てて飛び退く私だったけど、ジルコは素早く助手席に飛び乗り、ポケットから何か取り出して放り投げた。
あれは……リーラちゃんが持ってた、手りゅう弾っ!?
咄嗟に後ろに飛び退いて、うつ伏せに地面に寝て足を向ける。
耳をつんざく爆発音が響き、なんとか自分の無事を確認するも、救急車は既に走り去った後だった。
まさか……ママが私を騙して、逃走の手伝いをさせたって事!?
急いでママからもらったタブレットケースを取り出すと、ケースを開け、中の錠剤を
白丸の薬の裏にはアルファベットの『m』の文字が刻印されていて……確かこれって市販薬に付いてるコードの類で……バッファリンじゃんこれっ!
途方に暮れ座り込んでいると、二台のバイクが駐車場に入って来た。
目の前で急停車すると、伊織さんのトリプルアールの後ろに乗ってたみひろが飛び降り、私の肩を揺する。
「藍海! 大丈夫ですか? 今出て行った救急車、万智子さんとジルコさんが乗ってましたけど、万能薬はどうなったんですか?」
焦るみひろを前にして、私は罪悪感で目を合わせる事ができない。
「ごめん、みひろ……万能薬はママたちが持って、逃げちゃったみたい。私のパパは寝たきりだけど生きていて、ママはパパに万能薬を使う気でいるの。私は……私は……」
他にも言わなきゃいけない事、いっぱいあるのに……絞り出せた声は支離滅裂で。
そんな私に、もう一台のバイクに乗ってた夏美さんが、白いメットを差し出した。
「はいこれ、インナー入ってる私の予備」
「え……?」
「逃げられちゃったんなら、追い駆けに行かなきゃでしょ?」
メットを脱いでアシンメトリーな髪形の伊織さんも、バイクに跨ったまま声を張る。
「そうですよ藍海さん! 私たち、コイン回収班なんですから!」
「みんな……」
夏美さんからメットを受け取ると、素早く被って彼女の後ろに跨る。
二台のバイクは地下駐車場に爆音を響かせながら、矢のような勢いで地上へと躍り出た。
* * *
夏美さんのバイクに私、伊織さんのバイクにみひろがタンデムし、救急車を追う。
ヘルメットのインカムから、八雲さんの声が聞こえて来た。
「救急車は手りゅう弾をバラまいて、葉室警備の包囲網を突破しました! 現在、国道一三四号線を逗子方面に逃走中です」
「こちら伊織、了解です。無事藍海さんを確保したので、これから救急車を追跡します」
今度は伊織さんの声。インカムってすご。バイクで走りながら会話できるなんて。
「藍海! 万智子さんから万能薬、スれなかったんですか?」
私はヘルメットの中で独り言を呟くように、今までの経緯を説明した。
「ごめんっ、ママの目的は死んだはずのパパの復活で……万能薬だって渡されたものは偽物だったの。それと引き換えにパパを救急車まで運んだらジルコが出てきて、戦ってる間にママがいなくなって、そしたら救急車が動き出して……」
「大体分かりました。救急車にはジルコと万智子さん、寝たきりの藍海のお父さまが乗っていて、万能薬も彼らが持ってるんですね」
「うん、ごめん……」
私のまとまりない話でも、みひろは地頭の良さを生かして、完璧に理解してくれたようだ。
「万智子さんは車椅子を使ってましたが、救急車に乗り込む際は普通に歩いてたんですか?」
「うん。多分、足を怪我したってのも嘘だったみたい」
「そうですか。でもどうしてわざわざそんな嘘を……」
話してる間も、バイクはびゅんびゅんとスピード上げ、前方の車をすり抜けていく。
さすがはコインで強化された現役プロライダー夏美さん。後ろを振り返っても、もう伊織さんのバイクは見えない。
夏美さんの明るい声が、インカムから響く。
「万能薬精製した時、私たち四人全員倒れちゃったじゃない? あの時私、倒れた拍子に万智子さんが視界に入ったんだけど……彼女、車椅子の背にもたれて、相当ぐったりしていたよ? 足が悪いっていうより体調が悪いから、車椅子使ってたんじゃない?」
確かに……パパの病室で見た時も、ママは相当やつれてたように見えた。
それに比べてジルコはぴんぴんしていたし……あの痩せぎすな身体で、ミセリさんより体力があるとは思えない。
もしかして、万能薬精製の負荷を軽減する方法があって、ジルコはそれを実践していたのかもしれない。
「そういえばミセリさんとリーラちゃんは? 大丈夫だった?」
これには、伊織さんが答えてくれる。
「万能薬精製が終わった後、私がヘリで駆けつけたんですが、リーラちゃんはかなり衰弱してました……。まだ十歳の子供ですから、あれだけの身体的負荷は相当きつかったと思われます。ミセリさんにキスして彼女のパワーと体力をコピーした事で、なんとか大事には至らず済みました」
「そうだったの……」
「今は念のため、葉室警備の車両の中で安静にしてもらってます。ミセリさんは、その付き添いをしてくれてます」
「でもこんなに負荷かかるんだったら、万能薬造ってもコレクタに飲んでもらう事態になりかねないよね」
「藍海さんの仰る通りです」
まぁノーリスクじゃない事は、みんなで話し合った時から覚悟はしてた。
でもこれじゃ、ほいほい気軽に万能薬を精製できない……だからこそ、ジルコが元気だったのが気になる。
あいつはどうやって負荷を軽減したのか……?
「見えたよっ、救急車!」
夏美さんの背中越し、車数台先に白い車両が見えた。
「どうすればいい?」
「相手は拳銃と手りゅう弾で武装しています。迂闊に近付くのは危険ですので、付かず離れずの距離で追跡して下さい」
「分かった!」
夏美さんに指示したみひろは、少し遠慮がちに私を呼ぶ。
「藍海……ちょっといいですか?」
「なに?」
「一年前交通事故で亡くなられたはずの、藍海のお父さまは、生きてらしたんですよね?」
「うん……病室で医療用ベッドに横になって管もいっぱい付いてたけど、ちゃんと息してた。手も、温かった」
「万智子さんは万能薬を使って、寝たきりの旦那さまを治そうとしてるんですよね?」
「うん……」
「藍海も……万能薬をお父さまに使いたいと、そう思っていますよね……?」
これだけ一緒にいたんだから、みひろの言いたい事はなんとなく分かる。
でも、私はもう迷わない。
「もちろんそうは思ってるけど……今は誰に使うかより、万能薬を取り戻す事が先決だと思ってる。それにまず八雲さんに使ってもらって、それからパパでも遅くないって信じてる」
「分かりました。救急車に藍海のお父さまがいるなら、手荒な真似はできません。八雲さん、聞いてますか?」
「ああ、もちろん聞いてるよ」
「逗子方面の葉室警備隊は、警察と協力して主要道路の通行止めをして下さい。救急車を人気のない場所に誘導し、そこで一気に決着をつけます」
「それはいいけど、どんな作戦で万能薬を奪い返すんだ?」
みひろはあっけらかんと、言い放つ。
「
「作戦って、私っ!?」
「ミッション藍海、スタートです!」
まったくもう。それを世間では丸投げって言うんだよ。
もちろん……スリ勝負なら、絶対負けらんないけどね!
* * *