三人? どういう事?
私は医療ベッドの傍まで行くと、寝た切り患者の顔を覗き込んだ。
――パパ?
ベッドには、一年前に死んだはずのパパが横たわっていた……。
私は、がばっとベッドの縁に縋りつき、挿管された鼻に耳を近づける。規則正しい機械音の向こうに、かすかな呼吸音が聴こえる……手を握ると、わずかだが温かみを感じる。
生きてる……どうして? なぜこんなとこで、パパが寝てるの……?
手を握っても、近くで爆発が起きても、パパに起きる素振りはない。娘の涙が頬に落ちても、深い眠りから目覚める事はない……。
私は顔を上げ、ママに訊いた。
「どうしてパパが、生きてるの……?」
万能薬も爆発音も、今となってはどうでもいい――そう思ってしまうほど、思ってもいない事が次々起きている。そういえばそうだ……ママといるといつもそう。サプライズが大好きで、子供の頃からいつも驚かされてきた。
たまにパパも一緒になってサプライズを仕掛けてきた事があったけど……こんなサプライズ聞いてない。想像できない。できるわけないっ!
見上げた先、車椅子に座るママは疲れ果てた目で、近くの丸椅子に視線を向けた。
言われなくても分かる。私は自然と丸椅子に座った。ママは背もたれに寄りかかったまま、話し始める。
「もうそれほど時間も残ってないから、手短に話すわね」
「うん……」
「パパは――翔也さんは、お役所勤めの公務員じゃなく、アマルガムの日本支部長だったの」
外から聞こえる爆発音と怒号が、一気に頭から遠ざかっていく。
「パパが、アマルガムの構成員? コインを探してたって事?」
「いいえ。パパが交通事故に遭ったのは去年十月。コインが見つかったのは今年二月よ。でも、アマルガムと葉室財閥が一緒に結成したコイン捜索隊は、ずっと以前から活動してた。パパは、葉室財閥考古学研究チームとアマルガムの間に立って、
いつも穏やかで優しかったパパが……武装テロ組織アマルガムの折衝役!?
意外すぎる話に、全然頭が追いつかない。
「じゃ、じゃあ! ママが私を置いてどっか行っちゃったのも!?」
「そうね……結果的に私は、パパのお仕事を引き継いで、今もこうして日本支部の支部長をしてるわけだから……ごめんね。藍海を置いてけぼりにしてしまって」
頭を下げるママを見て、ショックで引っ込みかけてた涙が、またぶり返してくる。
泣きじゃくる私を前に、ママは話を続けていく。
「パパが交通事故に遭った時……あの日初めて私は、パパがアマルガムでお仕事してる事を知ったわ。葉室財閥の無茶な要求を却下し続けてたパパは邪魔者と見なされて、事故に見せかけて殺されるところだったの。結局アマルガム支援者によってなんとか一命は取り留めたものの、それ以来こうして寝たきりになってしまったわ」
ベッドに横たわるパパを見やると、ママは悔しそうに下唇を噛み締めた。
「パパのお葬式を出したのも、生きている事が葉室財閥に知られたら今度こそ殺されてしまうからよ。とはいえこの状態じゃ、死んでいるのと変わらない。そこでアマルガムが私を誘ってきたの。翔也さんの代わりにアマルガム日本支部の支部長になってくれないかって。そうすれば、翔也さんの延命処置はアマルガムが責任もって続けるって」
「それで……私に黙って家を出た……」
ママはゆっくり頷いた。
やっぱりママは、知らない男の人と出て行ったんじゃない。
全てはパパのためだった。そして――。
「アマルガムの力を使って
ママはポケットから、小さなタブレットケースに入った万能薬を取り出した。
それは何の変哲もない、直径一・五センチにも満たない円形の白い錠剤。
これを飲むだけで、本当にどんな難病でも治っちゃうの……?
「今の翔也さんに経口摂取は難しい。錠剤を粉末になるまで砕いて
ママは私の手を取ると、紫目を潤ませ見つめてくる。
「地下の駐車場に救急車を用意してるの。私と翔也さんが逃げるまで、屋上に戻って時間を稼いでほしい。そうすれば絶対に私が、パパを助けてみせる。これでまた、三人一緒に暮らせるわ」
ママは私を見捨てて出て行ったんじゃない……パパを助けるために、家出してたんだ。
蒸発の真相に喜ぶ私は、反射的に頷きかけるも、すんでのところで思い留まる。
脳裏にお祖母ちゃんの笑顔がよぎる。エーちゃんの皺がれた声が耳奥に蘇る。
『コインは、人の心を狂わせる』
私は、涙ながらに訴えた。
「ママは……パパを助けためならなんだってするの?」
「もちろんよ。だって私、翔也さんの事大好きなんですもの」
「お祖母ちゃん……ママのママが亡くなっても、パパが生き返ればそれで満足なの?」
ママは眉尻を下げ、悲しそうな顔を見せた。
「あなたは知らないだろうけど、ママには五つ上のお姉ちゃんがいたわ。私が十歳、お姉ちゃんが十五歳になった時……お母さんは泣いて嫌がるお姉ちゃんを葉室財閥に売ったのよ。あなたも葉室財閥に出入りしてるなら、聞いた事があるでしょう? あいつらにはろくでなしで好色漢の、どうしようもない後継者がいた事を……」
葉室六郎太さん――久右衛門さんの一人息子で、八雲さんやみひろの、亡くなったお父さん。
十名の愛人に二十名の庶子を産ませた事で有名な、葉室財閥きっての問題児。
まさかママのお姉さんは、その六郎太さんに見初められて、葉室家に売り飛ばされたの?
そう言えば八雲さんは、お祖母ちゃんと初めて会った時、久右衛門さんと知り合いかって訊いていた。お祖母ちゃんは否定してたけど……二人は何か密約を結んでいて、その結果ママのお姉さんが葉室家に入る事に……?
「その後私は実の姉に会う事も叶わず……何年か前に死んだと聞かされたわ。私はお母さんを許せなかった。そして藍海、あの人はあなたまで、スリに仕立てようと悪い事を教え始めた……」
「だからって、殺さなくてもよかったじゃん!」
「もちろん殺すつもりなんてなかったわ……。でもジルコとお祖母ちゃんが戦えば、どっちも手加減なんてできない。あの場で私が止めたとしても、二人は戦いを止められなかったと思うわ……」
それはっ……そうかもしれないけど。
ママがっ……葉室財閥を嫌ってる事もわかるけどもっ!
だからって皆に嘘吐いて、ママとジルコを逃がすなんて……そんな事できるはずもない。
たとえそれが……パパを生き返らせるためだとしても。
「ママ……その薬はね、葉室財閥の御曹司、葉室八雲さんに必要なものなの。葉室財閥がコインを集めてるのも、難病の八雲さんを万能薬で救うため。いくらパパに必要だからって、このまま黙って見過ごすわけにはいかないよ」
「その八雲さんって、葉室財閥で唯一人、正妻から生まれた嫡男よね? そんな替えの利かない人に分けの分からないクスリを飲ませる前に、まずはちゃんと効くかどうか誰かで試さないとって思わない? コレクタはもう五人揃ってるんだから、二個目の万能薬を作る事だってできるんだし」
言いたい事は分かるけど、そういう問題じゃない。
ばたばた倒れて苦しんでるみひろたちを見てると、そんな気軽にもう一度、万能薬を精製していいかどうかも分からない。
「
「使い方なら分かってるわ。こうやって、万能薬も無事精製できたみたいだし」
「お願いママ……葉室財閥の久右衛門さんと話してみて。その上で誰に万能薬を使うか、次に万能薬を造った時誰に使うか、ちゃんと話し合って決めようよ。そうじゃないといつまで経ってもコインを奪い合ってるだけで、まともに使える日なんて来なくなっちゃう!」
ママはじっと、私の目を見つめてくる。
改めて、みひろと似ている綺麗な紫目で見つめられると、私は幸せ気分に浸ってしまう。
そうだよ。私はみひろが好きで、ママが好き。
好きな二人の仲を取り持つ事も、私だったらできるはず。それで皆がハッピーになれば……っ!?
潤んだ紫目から、大粒の涙がぽろぽろと落ちていく。
目の前に実の娘がいるのに、ママは涙を拭う事もせず、パパの頬に手を添えた。
その横顔は、母親ながら年下の無垢な少女にも見えて……私は思わずもらい泣きしてしまう。
「分かったわ……万能薬は藍海に預ける」
「ママ……ありがとう」
「その代わり、パパを地下駐車場の救急車まで運ぶのを手伝って」
「え? どうして?」
「
そう言って、ママは白い錠剤が入ったタブレットケースを私に差し出した。
「分かった。ありがとうママ」