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8-07 老人ホームの屋上にて

 神奈川県三浦半島に位置する葉山町は、天皇家の御用邸がある事で有名な、富裕層に人気の高い別荘地だ。バブルの頃のお金持ちは、こぞって葉山町東の丘陵地に土地を買い、豪著な別荘で家族と避暑地を楽しんだ。

 そこまでの富裕層とはいかずとも、中流層にも葉山に憧れを抱く者は多かった。余生は葉山で暮らしたい――そういった高齢者のニーズに答えるため、葉山町西の相模湾に面した地域では『つい棲家すみかは海の傍で』と銘打った、医療施設付き高級老人ホームがいくつも建てられた。

 老後は葉山でゆっくりと。そんな贅沢介護ビジネスが、もてはやされた時代だったのだ。


 活況を呈したシルバービジネスも、バブルが弾ければあっという間に廃れていく。

 長引く不況で、新しい入居希望者が見つからない。それなのに現在の入居者はどんどんお亡くなりになり、空き部屋ばかりが増えていく。高級老人ホームは、その充実した医療施設のせいで経費がかさみ、すぐに立ち行かなくなっていった。

 残されたのは、海岸沿いに点在する打ち捨てられた施設だけ。取り壊すにもお金がかかるので、そのまま放置されているのだという。


 そういった施設の一つ。海に面した葉山高級老人ホーム跡地に、ママとジルコは十数名の傭兵部隊と共に逃げ込んでいた。

 一階正面玄関には物々しいバリケードが構築され、武器を持った外国人傭兵たちが、遠巻きに包囲する葉室警備特殊部隊と睨み合いを続けている。


 そんな彼らを眼下におき、伊織さんの操縦するヘリは施設屋上へと飛んでいく。ドクターヘリを受け入れていた高級老人ホームの屋上には、しっかりヘリポートまで備え付けてあった。

 ヘリが着陸すると、回転翼が回ったまま私、みひろ、夏美さん、リーラちゃん、ミセリさんの順で、次々屋上に降りていく。

 全員降りると、ヘリのエンジン音で言葉を交わせない伊織さんは、運転席から右手親指を立てるサムズアップを送った。私たち五人が小さく頷くと、サングラスを太陽に光らせて、そのままヘリで飛び去って行った。


 静かになった屋上で私たち五人を出迎えたのは、相変わらず痩せぎすの、細身スーツのハーフ男ジルコと、電動車椅子に座るパンツスーツの女性――私のママ、有海万智子。


「よく来たわね藍海……そして四人のコレクタの皆さん。歓迎するわ」


 ママは手元のパネルを操作して、車椅子で前に出てくる。ジルコはママを守るように、斜め後ろで歩いて付いてきた。早速みひろが、交渉役を買って出る。


「お招き頂きありがとうございます。ところで万智子さん、その車椅子……足を怪我されたんですか?」

「葉室警備には物騒な方も多くいらっしゃるようで。この程度の怪我で済んだのはラッキーだったかもしれないわね」

「だからここ……医療施設付きの老人ホームを、籠城の舞台にされたのですか?」

「それはまだ、秘密よ」


 人差し指を口に立て、内緒ポーズを取るママ。私は我慢できずママに訴えかけた。


「ママ! ママはどうしてアマルガムにいるの? そんなテロ組織なんて辞めて、一緒におウチに帰ろうよ!」

「それはできない相談よ、藍海」

「そんな……」

「私だって藍海には、葉室財閥と縁を切ってアマルガムに来てほしいって思ってるけど……そうはしてくれないんでしょう?」


 迷う事なく頷く。

 もちろんママとは一緒にいたい……けど、ママの命令でお祖母ちゃんは亡くなった。

 その事実が、私のポニーテールをこれでもかってくらい、後ろに引っ張り続けている。


「はい、平行線の話はこれでおしまい。まずはお互い、持ち寄ったコインを確かめ合いましょう」


 ジルコは上着の内ポケットを探ると、コインを取り出し裏面を見せた。

 八角の角と鳥の翼を持つ異形。香りを食す『食香しょっこうの奏楽師』<ガンダルヴァ>……嗅覚を司るミセリさんのコイン。このコインを着けたミセリさんは、匂いから相手の感情、行動、思考を予測する事ができる。

 <ガンダルヴァ>のコインを確かめたみひろは、ママに向き直った。


「始める前に、この取引のおさらいをさせて下さい」

「どうぞ」

「今回精製する万能薬は、私たち葉室財閥が貰い受ける。その代わり、あなた方は<ガンダルヴァ>と<ミダスタッチ>のコインを交換した上で、この場から立ち去る権利を得る」

「その通り。異存はございません」

「分かりました……」


 みひろはゴスロリ衣装の胸元から、コイン・ペンダントを引っ張り出した。

 視覚を司るコインは、ピラミッドに瞠目する単眼。『万物を見通す目』<プロビデンスアイ>。

 能力は、類まれな動体視力と透視、未来視、瞬間記憶能力。


 夏美さんも慌てて、胸元で揺れるコイン・ペンダントを取って、裏面を見せた。

 聴覚を司るコインは『指揮棒を咥える音楽家』ドイツ語で指揮棒を意味する<タクトシュトック>。

 能力は類まれな聴力。骨伝導の音で全てを把握する事ができる、鋭敏な感知能力。


 リーラちゃんは今日もらったばかりのコイン・ペンダントを、ホットパンツのポケットから取り出した。身長の低いリーラちゃんはチェーンが長すぎて首にかけれず、パンツのベルトにチェーンを括りつける事にしたらしい。

 味覚を司るコインは、ワイン片手に千鳥足を踏む赤ちゃん『酔いどれ赤子』の<バッカナール>

 能力は、舐める事でその人のスキルを完璧にコピーし、伸びた髪に保持できる。

 ちなみに、三人ほど舐めると髪が腰くらいまで伸びてしまうため、四人以上を一度にコピーした事はないらしい。


 ミセリさんは胸を張り、何もハマってないコイン・ペンダントと大胸筋を見せつけた。

 コインはなくとも鍛え上げられた筋肉は、シンプルに強力な武器だ。


 最後に私が、ポケットにしまっておいたコインを取り出し、持ち主であるジルコに見せる。

 触覚を司るコインは、右手指先に咲く黄金の花『黄金を咲かせる手』<ミダスタッチ>。

 能力は、生物以外ならなんでも切れる黄金の爪を爪先に生成する。爪斬りネイルカッターを使いこなすジルコには、これ以上ないコインだ。


 ここに五枚の錬金金貨クリソピアコインと、五人の蒐集家コレクタが揃った。

 ママは電動車椅子を走らせて、屋上中央のヘリポートへ向かう。そこは正四角形の人工芝区画になっていて、星を円で囲んだ単純な図形が描かれていた。


「ではコレクタの皆さんは、それぞれ星型図形の頂点に立って下さい。藍海はジルコと、<ミダスタッチ>と<ガンダルヴァ>を交換してね」


 屋上には、私たち以外誰もいない。

 一階にはアマルガムの傭兵の何名かが突入を警戒しバリケードを敷いてるし、葉室警備の特殊部隊はドローンを飛ばして、屋上の状況を監視してる。それでも、屋上に現れる万能薬に干渉できる者は、この場にいる七人しかいないのだ。

 となれば最も警戒すべきは、やはりジルコ。

 この男さえ見張っておけば、万能薬を持ち逃げされたりしないはずだ。


 私はジルコに近づくと、無言で<ミダスタッチ>を差し出した。

 いつも飄々とした雰囲気のジルコも、この時ばかりはへらず口一つ叩かず、黙って<ガンダルヴァ>と<ミダスタッチ>の交換に応じた。

 私たちは同時にコイントスすると、<ミダスタッチ>はジルコの右手、指抜きグローブの下に入っていく。<ガンダルヴァ>は、背後にいるミセリさんのマスクの下に滑り込んでいった。これでどちらのコインも本物だと、証明できたわけだ。

 私が戻ろうとすると、ジルコは呼び止めた。


「藍海、いずれお前とは、決着を付けてやるぜ」

「馴れ馴れしく人を下の名前で呼ばないで」

「……へいへい」


 私がヘリポートマークの外に出ると、ママは星型の底辺に位置する場所まで車椅子を走らせ、右手を掲げた。


「では他のコレクタの皆さんもコイントスしてもらい、互いに向き合って下さい」


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