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7-16 共に生き抜くために

 数日後。


「井原さん、ご当主さまがお呼びになられています」

「分かりました」


 ガレージでお車の毛ばたきをしていると、執事の一人が顔を覗かせた。

 私はお屋敷の中に入ると最上階、ご当主さまのお部屋に向かう。


 結局久右衛門さまは、依子さんが身を挺してかばってくれたおかげで、命に別状なかった。

 近藤さんは葉室警備に捕まり、洗いざらい白状させられた後、証拠と共に警察に突き出された。

 罪状は、葉室久右衛門さまへの営利目的等誘拐罪。誘拐未遂でも誘拐と同程度の刑罰となるらしく、一年以上十年以下の懲役となるらしい。斎藤さんも共犯として、同様の罪で裁判を受ける事になるそうだ。

 マルティナさんだけはリーラちゃん共々お家追放という形で決着が着き、逮捕には至らなかった。この辺りの事情はよく分からないが、元妾であった事、リーラちゃんが『葉室』を名乗る庶子である事も大きく関係しているのだろう。当然、今後は葉室姓を名乗る事は許されず、リーラちゃんはマルティナさんの苗字『小牧』を名乗る事になったらしい。


 そして依子さんは殉職し、帰らぬ人となってしまった。

 主人を命懸けで守った功績により葬儀は盛大に行われ、その中にあってみひろちゃんは涙も見せず、立派に喪主の役目を務めていた。

 今後の事はまだ何も決まってないとみひろちゃんは言ってたけど……実母が亡くなった事で、彼女を取り巻く環境は一変するはずだ。屋敷を追い出される事はないにせよ、八雲さまのように直系の家族として迎え入れられる事はないだろうし、他の妾の養女になると言っても母親たちは自分の子供の面倒で精一杯。皆がみひろちゃんをどう扱っていいか分からず、困惑してるようにも見えた。


 そして私、井原伊織も、処分保留となっていた。

 配属早々とんでもない事件に巻き込まれたわけだが、偽久右衛門さまに気づけなかった等、数々の失態もあった。もちろん久右衛門さまのお命を助けた功績もあるわけで、悪い方には傾かないと思うが、それはもう主人のお心一つだろう。

 こうしてお部屋に呼び出されたという事は、いよいよその心づもりが決まったわけで、使用人たるもの主人の決定には従うのみ。それ以外の選択肢など最初から存在しないと、自分に言い聞かせるしかない。


「失礼します」


 ノックをすると中から「入れ」と声が聞こえ、ゆっくり扉を開けた。

 すると可愛らしいワンピースを着たみひろちゃんが、走って私を出迎えてくれる。


「いらっしゃいませ、伊織さん。ちょうどお祖父さまとのお話がまとまったところです」

「話が、まとまった?」

「ご苦労。まぁ座ってくれ」


 久右衛門さまが座るテーブルに、みひろちゃんと隣同士、並んで座る。


「貴様、性別を偽っておったな」


 開口一番、ドキッと心臓が飛び跳ねた。

 そうか……海に落ちた時、必死で久右衛門さまを抱えて泳いだから……あの時の私は、上着もベストも来ていない。おまけにずぶ濡れのまま、岩の上で仰向けになって荒い息を整えていた。下着が透けて見えてもおかしくはなかった。


「申し訳ございませんでした」

「信用できると思った矢先、こういう形で裏切られる……今回の件、君には感謝しているが、このまま儂の専属運転士を続けてもらうわけにはいかない」

「そう、ですか……」

「女の運転士は敬遠されがちだが、分家に希望者がいればそちらに……」


 これも致し方なし、か。

 みひろちゃんには言わなかったが……わざわざ女運転士を欲しがる主人なんて、移動中もそういう期待をお持ちの方に限るだろう。拒否すれば今度こそ、葉室家で運転士を続けられなくなる……。

 絶望の沼にずぶずぶと入りかけていたその時、弾むような天使の声が、私を沼から引き上げる。


「お祖父さまっ!」


 みひろちゃんは立ち上がり、久右衛門さまに頭を下げた。


「先ほどの件、もちろん謹んでお受け致しますが……探偵に助手は付きものです。伊織さんを、わたくしの専属近侍兼探偵助手として、戴く事はできませんか?」


 専属近侍はともかく……探偵助手って、なに!?


「ふむ……お前、年はいくつだ」

「二十歳です」

「いささか若くはあるが、成人した女性であればみひろの保護者役も務まるか……。だがみひろ、お前がこやつを専属近侍として使うのであれば、こやつの賃金分は働いてもらうぞ」

「あら、お祖父さま。そのためにわたくしを、氏立探偵に任命されたのではありませんか?」

「……いいだろう。その働きによって報酬をくれてやる」

「ありがとうございます」

「ちょっ……ちょっと待ってください! いいだろうって何がです? シリツ探偵って!?」


 みひろちゃんは、キュートなウインクをする。


「伊織さん……いえ、伊織はたった今、わたくしの助手になったのです」

「だから、なんの助手にですか!?」

「葉室一族で起きたトラブルのみを解決する、うじに立つと書いて氏立しりつと読む、氏立探偵の助手に、です!」


 氏立探偵って……まさか。

 警察が捜査できない葉室家のトラブルを、たった十歳の子供に全部解決させるって事っ!?


「伊織」


 みひろちゃんは椅子から降りると、私の名を呼び捨てた。

 長い黒髪をなぞるように、後光のようなオーラが輝く。

 私は反射的に椅子から立ち上がると、少女にひざまずきこうべを垂れた。


「わたくしは約束を守り、あなたの潔白を証明しました……」

「はい、ありがとうございます」

「今度は、あなたが約束を守る番ではなくって?」


 私は顔を上げる。


「仰る通りです」


 みひろちゃん――いや、みひろ様を見上げたこの瞬間、私は確信した。

 このために、私は本家ここに来たのだと。


「私、井原伊織は――この身の潔白を証明して頂いたみひろ様に忠誠を誓い、あなた様の居場所をここ葉室財閥にお作りする事を、お約束いたします」


 漆黒の髪と煌めく紫目を持つ可憐な少女と、共に葉室家で生き抜くために。


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