ヘリコプターから車に乗り継ぎ、共犯者二人から聞き出した近藤さんのスマホGPSを追跡すると、海沿いの
夕焼けに染まる岩手の県道を運転しながら、助手席でスマホを真剣に見ている依子さんに声を掛ける。
「その場所って、近藤さんのご実家に近いんですか?」
「いえ。鵜ノ巣断崖は、三陸海岸が一望できる穴場の観光スポットらしいですが……地元では自殺の名所として知られているようです」
自殺の名所と聞いた瞬間、後部座席の斎藤さん、マルティナさんの二人は、揃って顔を曇らせた。
二人に挟まれたみひろちゃんが、ぴんと人差し指を立てる。
「近藤さんの復讐計画とは……お祖父さまを自殺にみせかけて、殺してしまう事なんですね」
二人は同時に、みひろちゃんから目を逸らした。正解だと言ってるようなものだ。
「近ちゃんは、一時的にでも葉室財閥に大混乱を引き起こそうとしてるの」
「葉室財閥は後継者の六郎太さまを失い、その孫八雲さまも、まだ十三歳と若く健康状態もよろしくない。今、久右衛門さまが亡くなれば後継者争いになる事は必至で、田舎の中古自動車業なんかに構っていられなくなる――そう言っていたよ……」
「お二人とも、近藤さんを止めるために、わたくしたちに協力してもらえますよね?」
みひろちゃんの呼びかけに、二人は静かに頷く。
「もうこうなっちゃったからには、近ちゃんが捕まるのも時間の問題……これ以上罪を犯してほしくない」
「僕も……葉室家に仕える運転士なのに、彼に同調してしまった事を今更ながら後悔してる。説得できるかどうかは分からないが、できる限り協力させてもらう」
マルティナさんはリーラちゃんの件もあるから、心配せずとも大丈夫だろう。
斎藤さんは……元々、故・六郎太さまの専属運転士。噂の無法ぶりを目の当たりにした事は、一度や二度ではないはずだ。葉室財閥を恨みに思う近藤さんに同調したのも無理からぬ話だけど……幼いみひろちゃんから『家族を奪わないで』と訴えかけられたのは
見方が変われば答えも変わる。
絶対的な権力を持つ葉室財閥総帥も、みひろちゃんから見れば大好きなお祖父さまでしかないし、かけがえのない家族の一人だ。
家族に対する思いは誰でも一緒だと、近藤さんも分かっているはずだ。
鵜ノ巣断崖に着く頃には、日はかなり傾いていた。
暗くなる前に近藤さんたちを見つけないと……と思っていたら、駐車場の隅に見覚えのあるベンツが駐車してある。夕焼けのオレンジを黒艶のボディに映すベンツ……葉室家の送迎車だ!
車でゆっくり近づいていくと、突然ベンツが動き始め、加速していく。
運転席の扉が開くと一人の男が転がり落ちた。近藤さんだ! という事は――!
「近藤さんを逃がさないようにしてください!」
「伊織さんっ!」
みひろちゃんの声を背中に、車を飛び降り走り出す!
必死で追いかけるけど、送迎車はじょじょに加速して――リアガラス越しに、和服姿の久右衛門さまが見えた!
「井原っ!?」
近藤さんを無視し、車を追いかける――が!
特別仕様のベンツは更に加速し、木の柵を難なく踏み倒し、そのまま断崖絶壁から大ジャンプ! 海面に激しい音を立て、海に落ちてしまった。
私は走りながら上着を脱ぎ、防弾ベストから必要なものだけ取り出し脱ぎ捨てる。
「やめろ井原っ! あの車は鉄の塊より重いんだぞ! もう助からないっ!」
そんなの分かってる。
分かってるけど……みひろちゃんの悲しむ顔が脳裏に浮かぶ。
助けてもらった少女に、私はまだ何もお返しできてない。
彼女の家族は私の主人……使用人は主人を……助けるのが務めっ!
大きく地面を蹴って、私は断崖絶壁から海に飛び込んだ。
* * *
「ぷはあっ!」
海面に顔を出すと、すぐ隣に巨大な車が波に煽られながら浮いていた。
ベンツは前方にエンジンルームが配置されている。そのため車体は前のめりになりながら、ゆっくりと海に沈み始めていた。
車両後方に泳いでいくと、リアガラスを必死で叩く久右衛門さまがいた。私に気付くと助けてくれと叫んでるようだが、その言葉は聞こえない。密封性が高いのだ。
私は指で上を指し、顎を上げて必死で息を吸う仕草を見せた。車は前方から徐々に浸水、沈んでいくため、なるべくリア側にいて空気を確保した方がいい。
パニック状態かと思われた久右衛門さまだったが、私のジェスチャーの意味をしっかり理解したみたいだ。大きく頷くとガラスを叩くのを止め、リアシートとリアガラスの間に頭を突っ込んだ。
よし、ここからが本番だ。
私は大きく息を吸い込み、海の中に潜っていった。
車が海に水没すると、水圧がかかってドアが開かなくなる。ドアの半分くらいまで外の水位が上がると、ドアを開けるのに五倍の力が必要だと言われている。
なら窓はどうかというと、パワーウインドウは電動なので水没すると大抵壊れて動かなくなる。そういう時のために車内には緊急用ハンマーが置いてあって、それを使って窓を割って脱出するのだが……この車は特別車両。スナイパーすら諦める防弾ガラスを、ハンマーで割るなんて不可能だ。
だからもう、近藤さんを信じるしかないわけで……!
私は海に潜って車両の前輪まで辿り着くと、ポケットから手りゅう弾を取り出した。
タイヤとボディの隙間に手りゅう弾を挟み込み、ピンを抜く。急いで上がって車のリアによじ登り頭を抱える。車内の久右衛門さまも私の真似して頭を抱えると、とんでもない振動と共に海中爆発が起きた!
ジャンプするように車体が大きく浮くと、密封性の高かった車内がどんどん浸水していく。よし、思った通りだ。前輪タイヤの裏側に特殊装甲を仕込むバカはいない!
再び海に入ると、後部座席の扉ノブを両手で掴み、ボディに足を付いて踏ん張る態勢を取った。そうこうしてる内に車内は海水で満たされていき、久右衛門さまは必死で顔を水面に突き出している……まだだ。まだ……今!
車内の水位が久右衛門さまの首まで上がった瞬間、私は海に潜って、一気に後部座席のドアノブを引っ張った! 扉が開くと、車内の久右衛門さまを手繰り寄せ脱出する。
そのまま二人で海面に上がると、久右衛門さまは激しく咳き込んだ。それを見て安堵の吐息を漏らす。良かった、なんとか間に合った!
水圧で扉が開かないのは、車内に空気が充満しているからだ。だったら装甲の薄いタイヤ裏のボディを爆破し、車内に浸水させてしまえば、水圧がなくなり扉が開く。
単純な方法だけど、車内が浸水していく恐怖は計り知れないため、なかなか決断できない。
私が車外にいたから、久右衛門さまが冷静だったから、近藤さんが教えてくれたからこそ、実現できた救出劇だ。
私は久右衛門さまを背中におんぶし、なんとか泳いで岩壁の下に辿り着いた。
「お祖父さまっ! 伊織さんっ!」
しばらくすると依子さんとみひろちゃん、斎藤さんマルティナさん近藤さんの五人が、下まで降りてきてくれた。
精も根も尽き果てた私と久右衛門さまは、立ち上がる事すらままならない。二人とも岩に寝転がったまま、荒い呼吸を繰り返していた。
ようやく助かった実感が湧いてきて、上体を起こそうとしたその時……達成感を覆す冷えた声音が聞こえた。
「動くな」