みひろちゃんと一緒に送迎車で屋敷に戻ると、ガレージで依子さんが出迎えてくれた。
「ただいま帰りました、お母さま」
「おかえりなさい。言われた通り足止めしておきました。ご案内します」
依子さんの後ろを付いていき、通された部屋で待っていたのは――、
三人掛けソファーに座る運転士の斎藤さんと、メイドのマルティナさんだった。
二人とも、私たちが部屋に入ってくると不安げな顔で訴えてくる。
「あ、依子さん! 伊織くんも連れて来たの?」
「みひろちゃんまで……いったいこれから、何が始まるんだい?」
私と依子さんを後ろに従え、みひろちゃんは一歩前に出た。
「お祖父さまを誘拐した犯人が分かりました。近藤さんです」
その一言で、静寂が部屋を包みこむ。
斎藤さんはいつもの困り笑顔のまま固まってしまい、マルティナさんは動揺を隠せず、青い顔で口をぱくぱくさせている――が、すぐに二人は近藤さんを擁護し始めた。
「そんなバカな……近藤くんは朝からお屋敷で、退職の挨拶周りをしてたんだよ?」
「そうだよ! 近ちゃんがそんな事、できるわけないじゃん!」
大人二人の反論に臆する事なく、みひろちゃんは冷静に話し始める。
「本日八時半、執事とメイドが見守る中、伊織さんはガレージに現れたお祖父さまを送迎車に乗せ、九時前に葉室商事に到着しました。十一時に終わる予定の会議でしたが、駐車場で待っていた伊織さんの元にお祖父さまがお戻りになったのは、十時五十分。予定より十五分早く会議が終わったので、正面玄関から五分ほど歩き、駐車場まで来られたそうです」
その通りと、私は大きく頷いた。
「ですが先ほど葉室商事に確認を取ってみたところ、会議は予定通り十一時に終わったと仰ってました。これは明らかにおかしいです」
「商事の人が、他の会議と勘違いしてたんじゃない?」
マルティナさんが、いい事思い付いたみたいな顔で口を挟む。
「いいえ。その方はお祖父さまを正面玄関前までお連れし、送迎車に乗って去っていくところまで確認したそうです。葉室財閥総帥にわざわざお越し頂いたわけですから、最後までお見送りするのは当然です」
そして私は、正面玄関前に車を回していない。
つまり――私は自信を持って言い放つ。
「この時点で、葉室久右衛門さまが二人いた事は、間違いのない事実なんです!」
「伊織さんが屋敷を出発した際、ガレージには執事と数名のメイドがいました。彼ら全員が偽お祖父さまに気づかないとは考えられませんので、車に乗り込んだのは間違いなく本物のお祖父さまでした。そして葉室商事に着くと、車を降りた瞬間から商事の社員がお祖父さまを取り囲みました。その状態で会議に出席しお帰りになられたわけで、件の社員が正面玄関でお見送りしたお祖父さまも、本物のお祖父さまで間違いありません」
「つまり十時五十分、駐車場に停めてあった私の車に乗り込んだのが、偽の久右衛門さまとなります。私は、久右衛門さまに変装した誰かを乗せて、葉室商事を出発したのです」
念のため、葉室商事の会議終わりの時間は、複数の社員に確認を取っている。
誰一人、『会議は予定より早く終わった』とは証言しなかった。
「そっ……それが本当だとして、伊織くんが偽の久右衛門さまに気付かなかったってのも、さすがにおかしくないでしょうか?」
斎藤さんの疑問に、みひろちゃんは明瞭に答えていく。
「伊織さんは昨日本家にやってきた際、ガレージ入口でお祖父さまを乗せたベンツを停めてしまい、スモークの窓越しにお祖父さまから『これからよろしく頼む、井原伊織くん』と声をかけられたそうです」
「そうだよね? 伊織くんは、久右衛門さまの声を聞いた事がある。声が違ってたら、さすがに気付くんじゃないかな?」
「ええ。伊織さんはお祖父さまの声を覚えていたから、気付かなかったのです……昨日、近藤さんが運転する車の後ろに乗っていた、偽お祖父さまの声を」
あの時……スモーク窓が下がったのはごくわずかだったため、久右衛門さまの白髪はともかく、お顔までは拝見できなかった。そもそも恐縮しきりだったので、威厳のある低い声色ってだけで、それ以上の特徴を掴んだわけでもなかったが……。
青い顔したマルティナさんが、バンと机を叩いて反論し始める。
「だったら! 朝ガレージでお車に乗り込んだのは、本物の久右衛門さまだったわけでしょう? その時点で昨日の久右衛門さまと別人だって、普通気付くもんじゃない!?」
「今朝お祖父さまと交わした会話は、『たのむ』『うむ』程度の、短いやりとりだけだったそうです。それにお祖父さまは、使用人を伴ってガレージに現れた。ちょっと声の調子が昨日と違ってても、それが偽お祖父さまだとは思わないでしょう」
「でも、車の中で話してれば……」
「道中、お祖父さまは膝元のスマホを見ていて、一切の会話はなかったそうです」
「そんなの……誰か証人がいるわけじゃないでしょう!?」
マルティナさんは私から目を反らし、それでも必死に食い下がる。
新米運転士が嘘の証言をしてるかもしれない……その発想自体に負い目を感じてるように見える。
「正直……車に乗り込んだ時点で、お祖父さまは伊織さんに呆れていたと思われます。その日が初顔合わせなのに、新人運転士は主人に『はじめまして』も『これからよろしくお願いします』も言わない。それもそのはず。伊織さんは昨日偽お祖父さまに、自己紹介とよろしくお願いしますのご挨拶を、済ませてましたから」
犯人に仕組まれたとはいえ、葉室財閥総帥にそんな無礼を働いてたなんて……今更ながら、背筋に冷たいものが走っていく。
「無礼な運転士に、自ら声をかけるはずもないお祖父さま。自分から主人に話し掛けてはならないと、近藤さんに釘を刺されていた新人運転士。道中会話がなかったのも、納得できる話です」
今度は斎藤さんが異議を唱える。
「葉室商事で、偽の久右衛門さまが伊織くんの送迎車に乗ったとして……本物の久右衛門さまは、どの車に乗ったって言うんだい? 迎えに来たのが送迎車じゃなければ、久右衛門さまも怪しいって思うんじゃないかな?」
「それはもちろん、いつも乗ってる送迎車だったので、違和感はなかったのでしょう」
「でも五台ある送迎車の三台がガレージで待機してて、一台がディーラーに預けてある。これは車載GPSのログを見ても明らかだ。伊織くんが運転してる一台を除けば、送迎車はもうないはずだよ」
「その謎を解くためにも……その後の送迎車の動きを振り返ってみましょうか」
みひろちゃんは人差し指を振ると、まるで自分がその場にいたかのように、推理を展開する。
「十時五十分。偽お祖父さまは葉室商事駐車場で待機してた伊織さんの車に乗って、赤坂の料亭へと出発します」
この時の久右衛門さまは、紋付き羽織に紺の着物。聞き覚えのある低い声。
お顔をしっかり拝見せずとも、久右衛門さまだと疑う事すらしなかった。
「その十分後、予定通り十一時に会議を終えた本物お祖父さまは、正面玄関前に停まっていた近藤さんが運転する送迎車に乗り込んだ。その時のお祖父さまは、挨拶もしない無礼な運転士に興味を失くし、それが同じ運転士の制服を着た近藤さんである事に気付かなかったのでしょう」
物的証拠だけじゃなく、心理的作用まで推理に組み込んでしまう。
この大人顔負けの
「その後の展開は簡単です。伊織さんは偽お祖父さまから、『コンビニに寄って、コーヒーを買ってきてほしい』と頼まれます。おそらくこの共犯者は、国道沿いのコンビニを事前に調べていて、ちょうどよいタイミングで切り出したのでしょう。伊織さんは一番近いコンビニに寄ると、鍵でドアをロックしてコンビニに入っていきました。コーヒーができ上がるまで約五分。車の中の偽お祖父さまがこっそり外に出て、塀を乗り越え隣の外車販売店に逃げるには、十分な時間です」
コンビニにコーヒーを飲みに行ったのは、この時間を計るため。
知識不足の要素も、しっかり検証し可能性を見極める。みひろちゃんの推理に抜かりはない
話が一区切り付くと、今度はマルティナさんが大声で主張し始めた。