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7-10 状況整理

 みひろちゃんは、私が葉室警備に話した半日の行動をメモでまとめていた。

 それを見ながら、不自然なところがないか二人で確認する事にした。


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<井原伊織 行動メモ>

八時:運転士詰所に出社

八時半:特別車両に久右衛門様を乗せ、葉室商事へ出発

九時:葉室商事着。駐車場で待機

十時五十分:久右衛門様を乗せ赤坂の料亭へ出発

十一時半頃:コーヒー購入のためコンビニに寄り、久右衛門様失踪

十一時五十分:詰所に電話連絡。葉室警備が現場に急行

十二時半頃:葉室警備、現場到着。事情聴取後、井原伊織を拘束

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「本日八時に伊織さんが出社された際、他のお二方はいらっしゃいましたか?」

「斎藤さんは先に来てたね。朝早く送迎車の一台をディーラーに持っていって、戻って来たところだった」

「そうなんですか? お車はいつも、ガレージで整備してましたのに……」

「そうだね。五台の送迎車は見た目は普通のベンツだけど、五倍くらい重いから、普通のディーラーじゃ整備できない。でも斎藤さんは、車を持ち上げない作業ならできるはずだからって、一度ディーラーに見てもらいたかったらしいんだ」

「そうなんですね。でもわざわざ、近藤さんが退職される日に持っていかなくても……」

「それが近藤さんは、ディーラーに送迎車のメンテをやらせる事に反対してたらしい。逆に斎藤さんは、簡単なメンテはディーラーにやらせて自分の作業負担を減らしたかった」

「なるほど。近藤さんは専属運転士。斎藤さんは専属じゃない分、お車のメンテが主な仕事。意見が対立するのも仕方ありませんね。それで近藤さんが退職するや否や、斎藤さんは一早くお車を持っていったと……。伊織さんは、どっち派なんですか?」

「私は……斎藤さん寄りですね。送迎車五台にスポーツカー二台、全部で七台のメンテは大変です。車は乗ってなくても定期的にメンテしなきゃならない。今日も斎藤さん、ディーラーから戻った後、すぐスポーツカーのメンテ始めてたし」

「運転士は人数が少ないだけに、外部に任せられるところは任せたい、という事ですね」



「八時半にお祖父さまをお車に乗せた際、何か気になる事はありませんでしたか?」

「気になるというか……久右衛門さま自らがガレージに来て、お車に乗る事自体驚いたかな」

「それのどこに、驚かれたんです?」

「分家の運転士だった頃は、いつ如何なる時も、玄関前にお車を回すのがルールだったんだよ。でも本家では、お客様とご同乗する時以外、玄関前に車を回さない。単純に楽だなって思ったよ」

「こう言ってはなんですが、その分家のルールは効率的ではないように思えます」

「運転士の効率で考えれば、ね。でも主人のルーティーンを、使用人の都合で変更してはならない。セレブの中には『家を出る時は、必ず使用人全員に見送られながら』というポリシーを持っておられる方もいる」

「なるほど……お祖父さまのこだわりは和装くらいなものですから。それでお出掛けになる時間に、お祖父さまがガレージにいらっしゃったと」

「うん。執事とメイドさん数名と一緒にね。私は時間前から運転席で待機してたから、お乗りになられてすぐ出発したよ」



「最初の訪問先は、朝九時に葉室商事ですね。道中お祖父さまのご様子はいかがでしたか?」

「これが初めてだから、いつもと何が違うかは分からないけど……。出発前に行先の再確認をすると『たのむ』、『うむ』程度の、短い返事をしてもらったよ」

「専属運転士の初顔合わせなのに、初めましてのご挨拶もしなかったんですか?」

「実は昨日、初顔合わせは済ませていたんだよ。よりにもよって最悪なシチュエーションで」

「と、いうと?」

「昨日お屋敷に到着した際、私はガレージ入口をうろうろしてて、送迎車の進路の邪魔をしてしまったんだ。その車は近藤さんが運転してて、後ろに久右衛門さまが乗ってらっしゃった。私が近藤さんに代わる専属運転士だと知ると『これからよろしく頼む、井原伊織くん』と、声をかけてもらったんだ」

「それは……その場でクビにならなくて良かったですね」

「依子さんとマルティナさんにも、同じ事を言われたよ……」

「その時のお祖父さまは、車を降りられました?」

「いやいや、まさか。後部座席のスモーク窓が数センチ下りて、ドア越しに言ってもらっただけだよ。ご予定があるからお出掛けになられたわけで、新米使用人の挨拶に長々付き合ってる時間はなかったと思う」

「なるほど。お祖父さまご自身も、お喋りが好きなタイプではありませんですしね」



「葉室商事には、時間通り到着されたんですか?」

「九時五分前くらいだったと思う。正面玄関前に先方の社員さんが大勢待ってらして。ご一緒にビルの中に入っていった。私は警備員の指示通り敷地内の駐車場に車を停め、会議が終わる十一時まで中で待機してたよ」

「会議は、予定より早く終わったんですよね?」

「そう、十時五十分くらいかな。そろそろ正面玄関前に移動しようと思ってたら、後部座席のドアがノックされ、振り向くと久右衛門さまが車の傍に立っておられた。会議が十五分ほど早く終わったので、駐車場まで歩いて来られたらしい」

「その時のお祖父さまは、お一人だったんですか? 正面玄関から駐車場まで、どのくらいの距離でした?」

「車なら一分かからないけど、徒歩なら四、五分くらいかな。それもあって私の携帯に連絡を入れず、お散歩がてらお一人で歩いて来られたようだ」

「なるほど……会議が早く終わった時は、伊織さんの携帯に連絡を入れるルールになってるんですね」

「久右衛門さまのお時間は貴重だからね。お待たせするわけにはいかないよ」



「次の予定は、赤坂にある料亭ですか」

「十二時に会食の予定だったけど、十分ほど早く出発したから時間的に少し余裕があった。それもあって久右衛門さまから『コンビニに寄って、ホットコーヒーを買ってきてくれ』と頼まれたんだと思う」

「コンビニは、すぐ見つかったんですか?」

「都内の国道だからね。ちょっと走ればすぐ左側に見つかった。コンビニ前の駐車場に車を停めて、私だけ車を降りてコーヒーを買いに行った」

「わたくしは、その……コンビニコーヒーというものをよく存じ上げないのですが……それはお祖父さまがお飲みになっても不思議ではないくらい、本格的なものなのでしょうか?」

「そうだね。最近のコンビニは、どこも全自動のコーヒーサーバーが置いてある。その場で豆を挽いて淹れるコーヒーは、私も好きで何度が飲んだ事がある。結構本格的だったよ」

「わたくしもコーヒーは飲んだ事ありますが……お砂糖やミルクをたっぷり入れた、たしかコーヒー牛乳と呼ばれるものだったと記憶しています」

「それは……コーヒーと名乗ってはいるけど、子供向けに作られた甘い牛乳だね。大人が飲むコーヒーも、砂糖やミルクを入れて調整したりするけど」

「お祖父さまも、コーヒーに砂糖やミルクを入れていましたか?」

「ミルクと砂糖、ひとつずつね。事前に頼まれてたので私が入れておいた。こればかりは好みがあるから、全自動というわけにはいかないからね」



「そして、伊織さんがコーヒーを手に車に戻ってくると、お祖父さまはいなくなっていた……と。コンビニに寄ったのが十一時半頃で、お祖父さまがいなくなったと気づいたのは?」

「五分は経ってたけど、十分はかかってないと思う」

「車のカギは?」

「エンジンを切って、カギは私のポケットにしまった。車を離れる際は、遠隔でドアロックもしたはず」

「戻って来た時の車のロック状況は? 窓が割られたりドアが壊されてたり、してませんでしたか?」

「そういえば……運転席のロックはかかったままだった。後部座席は分からない……カギによる遠隔ロック解除は、全ロック解除になるから。車は全くの無傷で、窓やドアも無事だった」

「それで、またお祖父さまが外に出て散歩でもしてるのかと思った伊織さんは、付近を探し回ったんですね」

「コンビニのトイレはもちろん、両隣の建物も探したけど、一般客が立ち入るようなお店ではなかったよ」

「どんな建物だったんですか?」

「ごくごく平凡な、倉庫と建設会社だった。そこの社員さんたちに聞いても、和服の爺さんなんて見ていないと言っていた」

「コンビニに駐車してた、他の車はいかがです? 入って来た時と、お祖父さまがいなくなってから……なにか変化はありましたか?」

「コンビニには三台分の駐車スペースがあって、唯一空いてた真ん中スペースに駐車した。戻った時も同じ車が同じ場所にあったし、左右の車の中には最初から誰もいなかった」

「国道沿いではなく、国道と反対側……コンビニの敷地の外は探しましたか?」

「ブロック塀の隙間から見てみたけど……奥まった隣は、一階がガレージで二階が事務所の外車販売店に見えたね。シャッターの開いてるガレージに、高級外車が何台か停まってた」

「お祖父さまは、そのお車を見に行った可能性も……?」

「それはないと思う……そこまでの時間はなかったし、葉室家にはスポーツカーが二台あるのに、久右衛門さまは一切興味を示さないって斎藤さんが零してたから」



「付近を捜しても見つからず、お祖父さまの緊急用連絡先に電話をかけても繋がらない。いよいよ打つ手がなくなった伊織さんは、運転課に電話した。すると斎藤さんが電話に出て、斎藤さんから葉室警備に連絡が行って、彼らが現場のコンビニに急行した」

「そうだね……」

「何か、ひっかかる事がありましたか?」

「いや……詰所に電話した際、多分、斎藤さんの携帯電話に転送されたんだ」

「……近藤さんも屋敷を出た後でしょうし、お昼前ですから。ランチを食べに使用人食堂にいたのかもしれませんね」

「うーん……でも、後ろでエンジン音が聞こえてたんだよなあ」

「でしたら、ガレージで車のメンテナンス中だった?」

「いや、あれは送迎車じゃなくスポーツカーみたいな爆音だった。でも、おかしいな……うるさいスポーツカーは、ガレージ内でエンジンかけっぱなしでメンテしないはず……そうか! 斎藤さんはベンツを預けた後、スポーツカーのメンテを終わらせて、外でならし運転してたのか」

「ならし運転?」

「オイルやフィルターなどの消耗品を新品と交換した際、問題なく車に馴染んでるか、ゆっくり走らせて確かめる事をならし運転って言うんだ。新車を購入した時もいきなり負担をかけないよう、しばらくはならし運転で乗る事が推奨されてる」

「でも、伊織さんがガレージを出た八時半より前に、斎藤さんはベンツを預けて詰所に戻ってきたんですよね? お祖父さまが出掛けてからスポーツカーのメンテを始めたとして、三時間以上経った十一時四十五分に、まだならし運転をしてたんですか?」

「それもそうだね……消耗品の交換作業は一時間もかからないし、その後のならし運転も、三十分も走れば十分確認が取れる。もしかして斎藤さん……せっかくのスポーツカーだから、長めのドライブを楽しんでたのかもしれない」

「斎藤さんは、伊織さんからの電話でお祖父さまの失踪を知っても、現場に駆け付ける事はなかったんですよね?」

「そうだね。でも、スポーツカーに乗ってたなら納得だ。あんな派手な車で、駆け付けるわけにもいかなかったんだろう」

「そういうものでしょうか?」

「大人の世界では、TPOが重視される。深刻な事件が起きた現場にアロハシャツとジーンズで駆け付けたら、場違い極まりないでしょ? おまけに斎藤さんは、仕事にかこつけてスポーツカーでドライブを楽しんでた。それを周囲に知られたくない気持ちは、分からないでもないかな」


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