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7-09 約束

 当然のように発せられた『犯人』という単語に、私は青ざめてしまう。

 だってここは、本家の敷地内にある葉室警備保障……つまり。


「久右衛門さまの失踪は、内部犯が企てた誘拐だって言いたいのかい?」

「まず間違いなく。それ以外考えられません」

「それはさすがに……警察に調べてもらわないと分からないんじゃ……?」

「さきほど斎藤さんも仰ってましたが、今回の誘拐事件、今のところ警察には一切知らされていません」

「だから、それはなんでなの!? 早く警察に捜査してもらわないと、犯人がどこか遠くに逃げてっちゃうじゃない!」

「葉室家には、警察に大きな影響力を持つ方が大勢いらっしゃって……それが原因で、警察は葉室家で起きた事件をまともに捜査できないんです。今まで起きた事件もその多くはうやむやにされてて……それをほじくり返して調べようとする人が現れると、不思議とその人にとってよくない事が次々起きてしまうのです」


 なんだそれは……それじゃ本家の人間は、犯罪し放題。

 やったもん勝ちの、治外法権みたいなものじゃない!


「今回の事件も、このまま放っておけば伊織さんに不利な証拠が次々でっちあげられ、真偽の議論もなく犯人に吊るしあげられるでしょう。結果伊織さんは誘拐犯として警察に突き出され、偽の証拠で形ばかりの裁判が執り行われ、早々に有罪判決が下る事になるでしょう」

「そんな……むちゃくちゃだ」

「はい。むちゃくちゃなんです、葉室家って。一個人が抗えるようなものではありません」


 私が本家に呼ばれたのは……もしかしてこのため?

 久右衛門さまを誘拐するために……私に罪を押し付けるため、転属させた!?

 絶望が視界と思考を黒く塗り潰し、暗闇で底なし沼に沈む自分の姿が脳裏に浮かび上がる。


「じゃあもう、何をしても無駄って事だよね!? そんなウソの証拠でっちあげられたら、私の言う事なんて誰も信じてくれないじゃないっ!」

「わたくしは、伊織さんが犯人じゃないって信じてますよ」

「どうして!?」


 みひろちゃんはくすくすっと笑うと、壁の向こう――大人達が控えてるであろう部屋に目を向ける。


「もし葉室警備の人たちの言う通り伊織さんが犯人なら、真っ先に現場から逃げてるはずです。だってお祖父さまを連れ出せたんですもの。自分が逃げれないわけありません」


 確かに……犯人側の視点に立てば、それが当然の行動だ。


「もし現場に残るメリットがあるとするなら、犯人は複数犯で、伊織さんは葉室家にミスリードを仕掛けるスパイ役ってところでしょうか。ですが、これもあり得ません」

「どうして?」

「伊織さんはこのお屋敷で、最もスパイに適さない人物です。転属間もない新人運転士である事、性別を偽ってる事、葉室教育機関出身で荒事に精通している事……こんな誘拐犯の疑惑ばかり集めたような人に、スパイ役なんて務まりませんから」


 い……言われみれば確かに。

 明らかに怪しいって事が、身の潔白に繋がっている……その逆転の発想に舌を巻く。


「そして何より、昨夜の伊織さんは、わたくしに運転士になった経緯を教えて下さいました。生き抜くためには得意な事を生かして、自分で居場所を作っていくしかない……その言葉に、わたくしは感銘を受けると同時に強く共感しました」

「え……?」

「こういう事件事故が起きた際、得意な推理を役立てられなければ、葉室財閥ここにわたくしの居場所はありません。あの言葉は、本気で何かを目指した方でないと語れない信念――誘拐のため、運転士を装った犯人ごときが、辿り着ける境地ではございません」


 みひろちゃんは、私に頭を下げた。その透き通った紫目が、全幅の信頼を物語る。


「伊織さん、ありがとうございました。あなたの言葉でわたくしは、わたくしとお母様の居場所を作るため、戦う覚悟ができました。その恩人を、こんなところで見捨てるわけにはまいりません」


 私は、何を諦めようとしてたんだろうか。

 こんな小さな女の子が、私のおかげで戦う覚悟ができたと言っている。子供では到底想像できない、財閥の暗部に立ち向かおうとしてるっていうのに……当事者である私が、どうせ無駄だと諦めていいわけがない。

 だって私には、私を信じてくれている名探偵が付いてるんだから。


「わかったよみひろちゃん……私戦う。必ず誘拐犯を捕まえる。だから、協力してくれる?」

「喜んで。必ず伊織さんの潔白を証明すると、お約束します」

「なら私も、約束するよ」

「? なんのです?」


 憧れの葉室家本家に配属され、散々な目に合ってるわけだけど――。

 私は席を立ち、少女の前でひざまづいた。その手を取ってくちづける。


「この身の潔白を証明して頂い暁には、私、井原伊織はみひろ様に忠誠を誓い、あなた様の居場所をここ葉室財閥にお作りする事を、ここにお約束いたします」



 正直に申し上げますと……私はこの時、犯人に仕立て上げられてたまるかという思いだけでした。

 だから藁にも縋るような気持ちで、目の前の小さな女の子の手を取ったんです。

 彼女の居場所がどうこう以前に、自分の居場所を守るため。数少ない味方である葉室家ご息女に見放されないよう、できるかも分からない約束をしたまでです。

 だから、思いもしませんでした。


 この時の約束が、私の人生を変える約束になるなんて。


* * *


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