十三時を少し回った今、私はお屋敷の離れにある葉室警備保障の一室にいた。
窓も鏡も一切ない、監禁部屋みたいな取調室で、今朝からの行動を逐一報告したわけだが……警備会社の尋問官は「お前がやったんじゃないだろうな」という疑いの目を隠そうとしなかった。
まぁ、そう思われても仕方ない。
なんてったって私は、昨日葉室本家に配属されたばかり。お屋敷の方々にとって、実績もなければ信用もない分家から来た新米使用人。
葉室教育機関出身という経歴だって、見方を変えれば体術、銃撃、格闘技――物騒なスキルを一通り身に着けた危険人物とも言える。
しかも今回誘拐されたのは、葉室財閥総帥――葉室久右衛門さま御大だ。少しでも疑いのある者は拘束し、決して逃がさないよう見張っておくのは当然の処置と言える。
そんな事を延々考えていると、取調室の扉が開き、斎藤さんとマルティナさんが飛び込んできた。
「伊織くん……」
「伊織くん、大丈夫?」
二人に心配かけないよう、むりやり笑顔を作るも、声に元気は作れなかった。
「はい、大丈夫です……、本当に……着任早々、申し訳ありませんでした!」
深々頭を下げる私を見て、テーブルを挟んで向かいに座った二人は、互いの顔を見合わせた。
いつもの困り笑顔のまま、斎藤さんが小さな声で話しかけてくる。
「もう気付いてるとは思うけど……葉室警備の人たちは、君が久右衛門さま誘拐の手引きをしたんじゃないかって疑ってる。でも、それはないって事でいいんだよね?」
「もちろんそんな事してません。でも私は、本家に来て間もないですし、簡単には信じてもらえないでしょう」
「ダイジョーブだって! 監視カメラやドラレコのデータ解析が終われば、警備の人たちも釈放してくれるって」
「今は辛いかもしれないが、僕らも君の疑いは必ず晴れるって信じてる。だからもう少しだけ、辛抱してほしい」
会って間もないのは二人も同じなのに……斎藤さんとマルティナさんは、私を信じてくれている。
尋問官にはない優しい言葉が身に沁みる。
「ありがとうございます。本当に……自分がもう少し気を付けていれば、こんな事には……。これじゃ近藤さんに顔向けできない」
「仕方ないよ。これは伊織くんのせいじゃない。それに近ちゃんだって、こんな事起きるなんて考えてもなかったと思うよ」
「……そう言えば、近藤さんはどうされてます? 今日が最終出社日ですよね? この騒ぎじゃ、退職の挨拶周りも満足にできなかったんじゃ……?」
外国人らしく、マルティナさんは肩の高さで両手を広げた。
「近ちゃんは朝から挨拶周りして十時にはお屋敷を出たから、この件は知らないと思う。今頃新幹線の中で、のんきに寝てるんじゃない?」
「新幹線……そうか。ご実家の岩手に帰ったんですね」
「あ、知ってたんだ」
「ええ。引継ぎの時、教えてもらいました。実家の中古自動車業を手伝うとか」
「そうだね。上手くいくといいんだけど……」
マルティナさんは、憂いた視線を天井に向けた。その横顔に、いつものおちゃらけた様子はなく。焦点の合わない瞳で、失踪した久右衛門さまではなく、田舎に帰る近藤さんを想っている……。
ご当主さまが失踪しお屋敷も大混乱になってる最中だっていうのに……やっぱり二人は、そういう関係だったんだろうか。
急に黙り込んだマルティナさんに代わり、斎藤さんが口を開いた。
「本当は警察の人に捜査してもらえれば、一番いいんだけどねぇ……」
「え!? 通報してないんですか?」
そう訊いたところで、取調室の扉がバンッと大きな音を立て開いた。
「その件については、わたくしからご説明申しあげますっ!」
現れたのは、黒髪ロングにスカラップボレロが良く似合う、制服姿の女子小学生。
お母さんを従えて堂々部屋の中に入ってくると、我々の前で一礼した。
斎藤さんは上ずった声で、少女の名を呼ぶ。
「みひろちゃん……依子さんも。どうしたの?」
「申し訳ありませんが、わたくしたちと取り調べを交代してもらっても、よろしいでしょうか?」
「えっ、みひろちゃんが? 取り調べするの?」
「ハイハイハーイ! いきましょ斎藤さん! 伊織くん、元気出してね!」
マルティナさんは何かを察したみたいで、面食らった様子の斎藤さんの背中を押し、部屋から出て行こうとする。
「あのっ、ちょっと、マルティナさん? なんで!?」
困惑する斎藤さんの声を残して、取調室のドアはパタンと閉じられた。
「依子さん……これは一体?」
「すみません、伊織さん。実はみひろは、こうした難事件を推理で紐解く事に長けておりまして。事実、葉室教育機関の小学校で、いくつもの事件を解決した事があるんです」
「はぁ……」
小学校の話なら、斎藤さんが知らないのも無理はないわけで。逆にマルティナさんがあっさり引き下がったのは、その事を知っていたからだろう。
それにしても、上履きが盗まれたわけじゃないんだから……。まだ十歳の女の子に、誘拐事件の探偵役は荷が重すぎないか?
「今回の件も何かお役に立てるのではないかと思い、小学校を早退させてきました。どうかみひろの質問に、真面目に答えてやっては頂けませんでしょうか」
「ええ、それはもちろん」
困惑しながら頷くと、みひろちゃんは依子さんに視線を送った。まるで主人に目配せされた従順なメイドのように、依子さんはしずしずと下がっていき、扉の外に出ていった。
「え、あの……依子さんは一緒じゃないの?」
「お母さまには、葉室警備の方とお話してもらってます。このお部屋での会話を、誰にも聞かれないように」
「どうして秘密にしないといけないの?」
「そんなの、決まってるじゃないですか」
みひろちゃんは人差し指を立てて、楽しそうにくるくる回してみせた。
まるで魔法使いが魔法の杖で、部屋にマジカルな結界を張ったかのように。
「どこに犯人が潜んでいるか、分からないからです」