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7-05 二人の出会い

「わーっ! おかしいっぱい!」


 私服姿のマルティナさんと依子さんが厨房から大皿料理を運んでくると、その足元をすり抜けて、二人の女児が詰所に入ってきた。テーブルに並んだたくさんのお菓子を見て、目を輝かせている。


「こらこら~、おやつの前にご挨拶! でしょ?」


 マルティナさんに窘められると、十歳くらいの黒髪紫目の美少女と、彼女と手を繋いだ金髪碧眼の幼女は、私の前に来て深々とお辞儀した。


「初めまして。わたくし、葉室みひろと申します。そしてこちらが――」

「葉室リーラ! さんしゃいれすっ!」

「本日付けで運転課に配属されました、井原伊織です。これからよろしくお願いします」


 十歳と三歳とは思えないしっかりした挨拶を受け、私は思わず胸に手を当て、腰を斜め四十五度曲げる教科書みたいな立礼りゅうれいを返してしまう。

 そんな私を見て、早速マルティナさんがからかってきた。


「ほら、私の言った通りでしょ!? 伊織くんは葉室教育機関出身だから、葉室の血が流れてる子供たちに一番丁寧な挨拶するって! やっぱりみひろちゃんに流れる葉室オーラを、びんびんに感じ取ってるのよっ!」

「何をバカな事言ってるんですか……それを言うならリーラちゃんも同じでしょ」


 依子さんは呆れ顔でツッコミを入れると、少女たちに「おかし、ひとつだけ食べていいわよ」と言って、小さなテーブルに促した。


「ごめんなさい。お酒の席に子供連れできちゃって」

「依子さんにあんな大きい子いて、びっくりした? びっくりした?」

「ええ……でも、お二方が葉室本家に名を連ねてると聞いた時の方が、驚きましたけどね」

「えへへ~、やっぱり聞いてたか。どーせこんちゃんが、ある事ない事言ったんでしょ」


 マルティナさんは、近くで聞いてた近ちゃんもとい近藤さんに半目を向ける。

 近藤さんは口角を上げ、お道化た口調で言い返した。


「そりゃ新入りには、ちゃんと説明しておかないとな。のちのち金髪メイドから、『これは本家のご命令よぉ~!』って、買い出しの足にされたら敵わんし」

「依子さん! 伊織くんの事こき使っちゃダメだからねっ!」

「なぜ私……」

「金髪なんてお前しかいないだろ! この脳味噌パツパツ声キンキンメイド!」

「なにをぉお? お喋り口クサ運転士!」

「口は! 臭くねぇよ。靴下は! わからんけどな!」

「キャーッ! 靴脱がないで!」

「ほらほら。いつまでもじゃれあってないで、乾杯しようよ乾杯」


 斎藤さんの仲裁で、ふざけあってた近藤さんとマルティナさんも、互いにビールを注ぎ始める。

 依子さんは二人の子供と自分にジュースを注ぎ、準備完了とばかりグラスを掲げた。

 私のグラスには斎藤さんがビールを注いでくれたが、彼は返杯を断り、代わりにお茶の入ったグラスを手に取る。


「それでは僭越ながら、こほん。一番の年長者である私斎藤から、乾杯のご挨拶を。去る者あれば来たる者あり。人の出会いと別れとは実に不思議なもので――」

「カンパーイっ!」

「かんぱーい」

「かんぱーい」

「あーもういいや! 近藤さんお疲れ様! 伊織くんようこそ! かんぱーい!」

「乾杯、です!」


 マルティナさんのご挨拶キャンセル乾杯から始まった歓送迎会は、終始和やかなムードで進んでいった。

 明るいボケのマルティナさんに、ツッコミ役の近藤さん、二人の掛け合いを困り笑顔で見守る斎藤さんに、子供たちの面倒を見つつ静かに楽しむ依子さん。

 分家にいた頃は使用人同士、出世争いで微妙な雰囲気になる事もあった。まだ初日で、お屋敷全体がこういう雰囲気かは分からないが、少なくともこの場にいる人たちは互いを大切な仲間だと思っている。いいチームに配属されたなと思うと嬉しくなり、ついついお酒も進んでしまった。


「楽しいからって、飲みすぎてはダメですよ。伊織お兄ちゃん」


 私が一人になったタイミングで、みひろちゃんがテーブル向かいにやってきた。

 部屋の隅では、お腹いっぱいになったリーラちゃんがブランケットにくるまり、すやすや眠っている。


「明日は朝から、お祖父さまのお車を運転すると聞きました。初仕事で大あくびでもしてしまったら、呆れられてしまいますよ」


 小さい女の子に、まるでお姉さんみたいに窘なめられ、私は少々面食らった。

 そうか……この子は六郎太さまの庶子だから、葉室教育機関で英才教育を受けている。

 しかも自分たち使用人見習いが受講する近侍コースや運転士コースではなく、葉室家直系のご子息しそく息女そくじょのみが履修できる、帝王学エリートコースだ。

 十歳とは思えない落ち着きと、何処に出しても恥ずかしくない振る舞い・言葉遣いは、ドヤ街でかっぱらいしてた頃の自分とは雲泥の差。マルティナさんじゃないけど、みひろちゃんの小さな背中に葉室家オーラが見えたとしても不思議ではない。


「その通りだね。それじゃ私も、ここからはジュースにしておこうかな」

「はい、かんぱいです」


 みひろちゃんは、オレンジジュースの入ったグラスを手渡してくれた。互いのグラスを軽く合わせると、私はジュースをぐいっと飲んだ。さすが本家。やっぱり果汁百パーセント。

 乾杯が終わると、みひろちゃんは私の隣に移動し、もじもじと何か言いたそうにしている。


「どうしたの?」

「あの……伊織さんはどうして、運転士になりたいと思ったんですか?」

「え……どうだろう。子供の頃、バイクに乗ってて楽しかったからかな」

「子供の頃?」


 紫水晶アメジストを想起させる透き通る紫目が、好奇心に煌めいた。

 しまった……良家のご息女に、自分みたいなドヤ街出身の子供時代なんて、聞かせられるわけがない。

 とはいえ、好奇心に満ちた瞳で見つめられると、このまま何も話さないわけにもいかない。

 できるだけマイルドに。犯罪を冒険心という、オブラートに包んで。


「えーと、子供の頃バイクに乗せてもらった時、風を切って走るのがすごく気持ちよくて。これでお金稼げれば最高だなって。それで乗り物好きになって葉室教育機関で勉強させてもらって、車でもヘリでも飛行機でも、なんでも乗りこなせるようになったんだ」

「それはすごいです!」


 みひろちゃんはきょろきょろ辺りを窺うと、がばっと私に抱きついた。

 驚きはしたものの、感激屋さんの小さな身体を抱っこで受け止める。するとみひろちゃんは、私のスーツベストに顔をこすりつけ甘えてきた。

 されるがままにしていると、やがて少女は顔を上げ、心の底まで見透かすような妖しい紫目で見上げてくる。


「もしかして伊織さんは……女の人である事を隠してまで、お祖父さまの運転士になりたかったんですか?」


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