その後、午前中に人事部で転属手続きを済ませると、午後から送迎部運転課に配属された。
ガレージ脇の運転士
「はじめまして、井原伊織くん。斎藤です。これからよろしくね」
「近藤だ。短い間だけどよろしくな」
「こちらこそはじめまして。よろしくお願いします」
「近藤くんから聞いたよ。よかったねぇ、配属早々クビにならなくて」
「まぁ、配属される前だったから、お咎めなしだったのかもしれんけどな!」
「ええ……本当にすみませんでした。今度からガレージ入口でふらふらしないよう、気を付けます」
「ま、次やったらまず間違いないなく追い出されるから、そのつもりでビクビク頑張れよ!」
近藤さんが大声で笑うと、つられて斎藤さんも笑い出した。
どこまでが本気で冗談かわからないが……初日の失敗を先輩二人に笑い飛ばしてもらって、少し気がまぎれた。それと同時に、今いる詰所に違和感を覚えてしまう。
ガレージには送迎用車両が五台も停まってたのに、運転課は自分を含めこの場にいる三人だけ。
しかも近藤さんは明日退職予定で……それが理由で、自分が本家に転属になったわけで。
「あの……送迎部運転課って、お二人だけの部署なんですか?」
斎藤さんは一つ溜息を吐くと、スチール机に寄りかかった。
「今はそうだね。二年ほど前は七人くらいいたんだが……」
缶コーヒー片手に、近藤さんが補足してくれる。
「二年前に若旦那さまが亡くなってから、この家で運転士を必要とするのは、久右衛門様お一人になっちまったんだよ。あとはたまに来る飛び込みの依頼をこなすだけ」
「お一人亡くなっただけで、運転士が五人もいなくなったんですか?」
当然の疑問を投げかけると、近藤さんは軽く肩を竦めた。
「複数の役員を乗せる役員運転手と違って、俺たち葉室家本家の運転士は、基本専属しかいない。俺が久右衛門さま専属で、斎藤さんは若旦那――六郎太さま専属だった。他の五人の運転士は、その他大勢のご家族のため、持ち回りでお車を走らせてたんだ」
「六郎太さまが亡くなって以降、僕一人で久右衛門さま以外の方を乗せてるんだ。それでも、車を使う方はほとんどいらっしゃらない。運転するより整備してる時間の方が、長いくらいだね」
斎藤さんは困ったような情けないような、複雑な笑みを浮かべている。
「今の本家は、俺と斎藤さんの二人で回るくらい、人数が少なくなっちまったってこった」
「あの……亡くなった若旦那さまには、多くの妾と妾の子がいると聞いてましたけど……」
「あー、お前、二年前まで葉室教育機関にいたんだっけ」
「はい。学校にも、多くの六郎太さまのお子様が、お車で登校されてました」
「そーいやそーだったなぁ」
「私は二年前に卒業し、分家で運転士をしていましたので、その後も車登校が多かったかどうかは分かりませんが……」
二〇一七年現在、ご存命の葉室家本家のご家族は久右衛門さま六十歳と、その孫で唯一の嫡男・葉室八雲さま十三歳の、お二方のみとなっている。
ただし、二年前お亡くなりになられた久右衛門様の長男・六郎太さまは、奥様が八雲さまを産んですぐ亡くなったのをきっかけに、何人もの妾に子供を作ったという。その数なんと、二十人を超えるらしい。
六郎太さまの好色漢ぶりは分家の間でも噂になっていて、親戚筋をさしおいて彼ら庶子に、葉室財閥の重要ポストを担わせるつもりだと、呪詛にも近しい噂話が後部座席から聞こえて来たものだ。
近藤さんはひそひそ声に切り替えると、真面目な顔で語り始める。
「あまり大っぴらには言えないが……若旦那さまが生きていらっしゃる頃は、十人の妾と二十人の妾の子も、本家のご家族扱いだったんだ。当然運転課もそれに合わせ運転士七名体制を敷いたわけだが……六郎太さまの死をきっかけに、妾も妾の子も、俺たちと同じ使用人扱いになったのさ」
斎藤さんが、困り笑顔のまま話を引き継ぐ。
「六郎太さまの妾たちは秘書課やメイド課、厨房部に配属され、子供たちは引き続き葉室教育機関で英才教育を受けさせてもらう事になったんだけど、お車での送迎は撤廃されたんだ」
「ではお子様たちは、今も本家のご家族扱いに?」
「そこが微妙なところでね……元妾さんの仕事ぶりや子供の成績が悪いと、母子共々屋敷から追い出されちゃうから。そうなると、ご家族とは言いづらいよね」
妾の方々は、奥様が亡くなって我こそが正妻にと、意気込んでいただろうに……六郎太さまが亡くなって目論見外れるどころか、以前より弱い立場に立たされてしまったわけだ。
「それは……なかなか厳しい状況ですね」
妾さんに同情する私を見て、二人の先輩運転士は苦笑いを浮かべている。
「ま、おかげで俺たち運転課は規模縮小しちまったが、トータルで考えれば悪い事ばかりではなかったよ」
「そうかもねぇ。使用人に鼻持ちならない態度を取ってた妾の
それは……分かる気がする。
歴史ある財閥系企業グループ・葉室財閥は、古い伝統や格式を重んじるきらいがある。そのため使用人にも、ある意味時代錯誤感ある滅私奉公が求められた。
使用人教育に重点を置く葉室教育機関出身者であればまだしも、使用人を使う側だった妾の方々が『今日から使用人として滅私奉公して下さい』と言われても、なかなか受け入れられるものではない。
それでも妾は、葉室家の事情がよく分かってる女性なわけだから、メイドの仕事もやりやすい……のではっ!?
私の脳裏に、お気楽お喋り金髪メイドと、物静かな黒髪メイドの顔が浮かび上がってくる。
「もしかして、お子さんのいるマルティナさんと依子さんって!?」
近藤さんは片目を瞑り、訳知り顔で頷いた。
斎藤さんは、困り笑顔のまま私の肩を叩く。
「さっきも言ったが、残ってくれた
「ああ見えて二人とも、三十超えてるんだぞ~」
近藤さんは得意げにそう言うと、立ち上がって詰所の扉に向かう。
「さ、人間関係の引継ぎはここまでだ。次は業務の引継ぎするから、ガレージに来てくれ」
「はい!」
私は大きな声で返事すると、近藤さんの後を付いていった。
* * *