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7-02 ご当主様

 二〇一七年十月某日、八時四十五分。

 門の受付で手続きを済ませると、聳え立つ大豪邸を見上げ、私は思わず息を飲んだ。

 今までお仕えしてきた葉室家分家もいわゆる豪邸ではあったけど、やはり本家は格が違う。伝統と格式高い雰囲気漂わせる豪著なお屋敷を前に、私はしばし感慨に耽ってしまう。


 九歳で葉室教育機関に拾われた私は、葉室家の使用人となるため、近侍としての教育はもちろん、体術、格闘技、戦闘技術も叩き込まれた。特に運転士の適性が高かった私は、戦車からヘリに至るまで様々な機体の運転技術を覚え、免許も多数取得させてもらった。

 我々使用人見習いの憧れは、葉室家本家にお仕えする事。

 私も本家の運転士を夢見て運転技術に磨きをかけていったが、十八歳で卒業し配属された先は分家だった。


 それでも、新卒で葉室家の運転士に選ばれる事は珍しく、飛び上がるほど喜んだのだが……現実は、普通乗用車の音声認識自動運転パーツになる事だった。

 もちろんそれが、主人に奉仕する運転士のあるべき姿だと理解している。

 ただ私は、バスや大型トラックはもちろん、ヘリやジャンボジェット、戦闘機まで乗りこなせる。

 それなのに、誰でも運転できるセダンしか運転させてもらえないなんて……。

 せっかく葉室教育機関でありとあらゆる運転免許を取得したのに……私はこのまま、車の運転だけで一生を終えるのか。それなら機関に残って、運転士講師になった方が良かったのではないか……配属された頃は、そんな事ばかり考えていた。

 そんな自問自答も忘れかけた二年後、本家から私の転属依頼が舞い込んだ。その一報を聞いた時、私はもちろん喜んだが、同時に不安も大きかった。

 スペックだけ見れば、私はありとあらゆる機体を乗りこなせる優秀な運転士。だからこそ本家から白羽の矢が立ったのだと思うが、直近二年は普通車の運転しかしていない。

 こんな特殊車両ペーパードライバーに、本家の運転士が務まるだろうか……。いや、これはチャンスなんだから、不安に怯えていてもしょうがない。

 私は私の得意な事で、本家に自分の居場所を作ってくしかないんだから……。


「あのぉ……そろそろよろしいでしょうか?」


 申し訳なさそうな高い声に振り向くと、そこにはモデルのようにスラリと背が高い、金髪碧眼の外人メイドが、眉尻を下げ私を見つめていた。

 いかんいかん、物思いに耽りすぎて、すっかり周りが見えてなかった。

 私はこほんと咳払いすると、少し低めの声でご挨拶する。


「失礼致しました。私の名前は井原伊織。本日付けで本家送迎部運転課に配属された、運転士です」

「はい、聞いております。私はメイドのマルッティーナーです。これからよろしくね、伊織さん」

「はい、こちらこそ。マルッ……ティーナーさん」


 流暢な日本語を話す彼女だが、名前だけは英語発音なので、真似して発音すると少々気恥ずかしい。

 すると背の高い彼女の後ろからひょっこり、小柄黒髪セミロングのメイドが顔を出す。


「その、名前だけ英語発音を強要するような自己紹介、やめてくださいって言いましたよね、マルティナさん」

「え~、だってぇ伊織さん、緊張してるっぽいんだもん。ここは英語でぇ、フランクな職場を演出してぇ~」

「配属早々、送迎部に海外かぶれの勘違いイケメン野郎が来たと噂されるのも、可哀想じゃないですか」

「え、そーお? 私なら親しみ感じちゃう!」

「そりゃ元から外人のあなたは、そーでしょうけど!」


 コンビ漫才のようなテンポのいい掛け合いに面食らってると、黒髪メイドはそれに気づき、スカートの裾をつまんでお辞儀カーテシーを披露してくれる。


「申し遅れました。私、マルティナと同じ近侍部メイド課の、木村依子よりこと申します。今後ともよろしくお願い申し上げます」

「いえ、こちらこそ。色々教えてもらえると嬉しいです、依子さん」


 会釈を返すと、依子さんはボンッと音が立つくらい顔を真っ赤にした。

 それを見て、マルティナさんが半目になって依子さんのほっぺを指でつつく。


「あれぇ? 依子さん顔赤くしちゃって……ど~したのぉ~?」

「こっ、これは! その……今朝から熱っぽいだけ!」

「あ、こー見えて依子さん、子持ちなので。イケメンだからって、手ぇ出しちゃダメですよ?」

「こっ……子持ちはあなたも同じじゃない!」

「あー、バラしたあっ! しばらく黙ってようと思ったのにぃ~!」


 陰と陽。人妻メイドのコンビ漫才のような掛け合いを聞いてると、いつしか緊張もほぐれ、頬が自然と緩んでいく。

 とはいえ、初日から性別まで明かすわけにもいかない。私はイケメンっぽく柔和な微笑みを浮かべた。


「そろそろ、お屋敷に案内してもらってもよろしいでしょうか?」

「あっ、そうですね。いつまでも門の前で話し込んでると、門番を困らせてしまいますし」

「こっちこっち~!」


 二人のメイドの先導で、ゴルフ場にあるようなカートに乗り込み、敷地内を走っていく。

 わざわざこんなもの乗らなくても思ったが、お屋敷が大きすぎて、遠近感が測れてなかった。門から屋敷までの道のりは途方もなく遠く、とても歩いて行ける距離じゃなかったのだ。


「あそこがガレージで~す! 高級車が何台も置いてあるんですよ~!」

「ホントですか!?」


 屋敷が近づいてくると、風にたなびく金髪を手で抑えながらマルティナさんが指差したのは、地下へのスロープが降りる駐車場入口だった。

 葉室財閥本家が所有する高級車――どんな車があるのか、気になって仕方ない。


「ちょっとだけ、寄ってあげれば~?」


 そんな私の心を見抜いたのか。マルティナさんは、カートを運転する依子さんに声を掛けてくれる。


「見たいですか?」

「はい!」

「分かりました。カートはガレージ内に入れませんので、入口付近に停めます。ささっと見たら、すぐ戻ってきて下さいね」

「ありがとうございます!」


 私は入口近くでカートを飛び降り、走ってスロープを降りようとした。

 すると、そのタイミングでスロープを上がってきた黒いベンツと鉢合わせになってしまう。危うく轢かれそうなところを、ギリギリ飛び退き回避した。

 ベンツの右運転席のパワーウインドウが開くと、「馬鹿野郎! ガレージ前でうろちょろすんな!」と怒られる。慌てて運転席に駆け寄って、深々と頭を下げた。


「申し訳ございませんでした!」

「あれ? お前、名前は?」

「井原伊織です! 本日付けで送迎部運転課に配属されました!」


 直立不動でそう言うと、運転士は後ろの席を振り返り、申し訳なさそうな声で謝った。


「すみません……どうやら今日配属の、ウチの新人だったようです」

「ふむ……」


 後部座席の窓が少しだけ下りる。白髪混じりの毛髪と、荒れた肌のこめかみが覗き見えた。顔は分からないが、送迎車の後部座席に座ってる事から、本家の偉い方なのは間違いない。

 そう思っていると、わずかに開いた窓の隙間から低い声が聞こえてくる。


「これからよろしく頼む、井原伊織くん」

「はっ、はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

「出せ……」


 後部座席の窓が閉まると、運転席の男も慌てて窓を閉め、改めて車を出発させた。

 Sクラスのベンツは高級車特有の静かさで、正門に向かって走り去っていった。


「……大丈夫?」

「何か言われたか~?」


 遠巻きに見守ってた依子さん、マルティナさんが、心配そうな顔で近寄ってきた。


「大丈夫です。後部座席の方には『これからよろしく頼む』とだけ……」


 そう言うと、二人は同時に「はああ~っ」と、安堵ともとれる大きな溜息を吐いた。


「ここでカートをUターンさせて、門まで送り返す事になるかと思いました……」

「ツイてるね~、伊織くん! ご当主様のご機嫌麗しくて!」


 ご当主様って……まさかっ!?

 今更ながら真っ青になった私に、依子さんは真面目な顔で教えてくれた。


「今のお車を運転していたのは、近藤さん――あなたと入れ替わりで退職する、ご当主様専属の運転士です」

「専属って……じゃあやっぱり、今後部座席に座ってたのって!?」


 呆れ顔の依子さんは額に指を添え、首を左右に振っての長嘆息。

 マルティナさんはにししと笑うと、少し前屈みとなり、声を落として教えてくれる。


「葉室財閥総帥にして、このお屋敷のご当主様――葉室久右衛門さまだよっ!」


* * *


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