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7-01 自由

 二〇〇六年。

 横浜伊勢佐木町の表通りから、一本外れた裏通り――。


「いやっほぉ~っ!」


 風俗店が軒を連ねる通称・親不孝通りで、俺は原付バイクをかっとばし、すれ違いざまオッサンの携帯電話をかっぱらった。

 電話相手に「ばーか!」と一言煽って通話を切り、ポケットに突っ込んだ。背後では、オッサンの口汚い喚き声が遠ざかっていく。

 あーあー、いい年こいてみっともねえ。どんなに大声出したって、原付追っかけてまで助けてくれる正義の味方なんて、出てくるわきゃねーだろーが。かっぱわれた時点でオッサンの負け。はい、残念でした~。

 しばらく走って赤信号で止まったタイミングで、俺はポケットから戦利品を取り出し、まじまじと見つめた。

 お、こいつぁ最近発売されたばかりの人気機種じゃないか。これならいい金になる。オヤジも文句は言わないだろう。


「坊や、ちょっといいかな」


 盗品片手にほくそ笑んでいると、いつの間にか横に付けてた白バイ隊員が話しかけてきた。

 天国から地獄に叩き落された気分の俺は、咄嗟に持ってた携帯をそいつにぶん投げた。


「あいて!」


 相手が怯んだ隙にギアを入れ、アクセル全開。赤信号を無視して左折すると、細い路地に滑り込んでいく。絶対に捕まるわけにはいかない。頼むから、携帯拾っててくれ!

 まだ十歳にもなってない俺は、どう見たって免許が取得できる十六歳以上に見えない。おまけに、かっぱらった携帯電話まで見られてしまった。捕まったら言い訳のしようがない。

 それにしても……死体も放置のドヤ街に、なんで白バイなんかいやがる!? さっきのオッサンが喚き散らしてるところに、たまたま通りがかったのか? だとしたら、ツイてないにもほどがある!


 ウーウー威圧するようなサイレンが鳴り響くと、回転する赤ランプがミラーに映りこむ。

 普通に考えりゃ、原付カブで白バイから逃げ切れるわけがない。だがここは悪名高い親不孝通り。細い路地が入り組んだ赤線跡地。白バイじゃ入ってこれない隙間道に逃げこめば……とにかくもう、逃げ切るしかない!

 家屋と家屋の間に設置された門を蹴破ると、原付でもギリギリの隙間道を、奥へ奥へと進んでく。案の定、白バイは車体がデカすぎて入ってこれないようだ。よし、これで反対側から出れば逃げ切れる……と思った瞬間、通り向こうに新たな白バイが待ち構えていた。

 この短時間で応援が来たのかよ!? よっぽど暇なんだな最近の警察は、ちくしょうめ!


「おーいおーい!」


 狭い路地に面したドアをガンガン手で叩くと、何事かと店主が勝手口の扉を開けた。俺はすかさず原付をウイリーさせ、強引に家の中に入っていく。憤慨する店主を蹴飛ばして、バイクに乗ったまま店舗内を突き進むと、正面玄関のガラス扉をぶち破って外に出た。

 ふう、脱出成功。あとは適当な所にバイクを隠して……と思ってたら、また白バイかよっ! なんだって今日に限って、こんなにうろうろしてんだよっ!

 大通りを反対方向に逃げ出すも、スピードじゃ白バイにかないっこない。まいた二台もいつの間にか合流し、左右をガッチリ詰められる。三台目の白バイに、追突されそうな勢いで後ろに付かれ、拡声器で「止まりなさい」を連呼されれば、もはや打つ手なし。俺は観念して、路肩に原付を停めた。


「免許証……なんて、持ってるわけないか。名前は?」


 白バイ隊員の質問に、俺は憮然とした表情で答える。


「……いおり」

「井原伊織ちゃん、だよね?」

「あっ、はい……え?」


 ちゃん? ――俺は顔を上げた。

 こいつ……俺が女だって、知ってやがんのか?


「このカブは、君のお父さんのかな?」

「ちっ、ちがっ! これは、その、その辺に置いてあったヤツを俺がかっぱらって……」


 オヤジにまで警察が行ったら、確実に半殺しにされる。俺は支離滅裂な言い訳を並べ立て、必死にオヤジを庇おうとした――が、三人の白バイ隊員は、何とも言えない微妙な顔で、俺を見下ろすばかりだ。


「いいかい伊織ちゃん。君のお父さんは警察に捕まった」

「……えっ?」

「君ももう、原付バイクで危険なひったくりをする必要はない。我々は、君を保護しに来たんだよ」

「オヤジが……捕まった?」

「そうだ。君は自由になったんだ」


 枯れたはずの涙が、とめどなく両目から溢れ出る。

 オヤジが捕まって嬉しいからじゃない、悲しいからでもない。頭の中がぐちゃぐちゃで、わけわかんなくて……なんで泣いてんのか、自分でもよく分からない。

 でも……そんなバカな俺でも、たったひとつ分かった事がある。

 俺は今、泣いても殴られない。好きなだけ泣いていい。

 そう思うと、堰を切ったように出る涙が収まるはずもなかった。


 俺は泣いた。携帯かっぱらったオッサンと同じか、それ以上の大声で泣き喚いた。

 この先どうなるかなんて分からない。知ったこっちゃない。どうでもいい。

 ただ、泣いていい。その事実だけで俺はもう十分、自由を手にしていた。


* * *


 本当の両親は仲が良くて……いつも二人一緒でさ。交通事故で亡くなる時さえ一緒だった。

 一人になった俺を、遠い親戚の井原さんが引き取ってくれた。それで井原のオヤジが俺の新しい父親になったんだが……初めてオヤジの家に入った時、驚いたよ。

 独身のオヤジが、俺のような子供を他に四人も育ててたんだから。

 いや、ごめん。もうこんな言い方しなくていいんだったな。

 俺のような奴隷を、他に四人も飼ってたから。


 井原家は、オヤジの命令が絶対だった。

 高校生の兄は建設業の日雇いバイトで金を稼ぎ、オヤジに上前を撥ねられていた。

 バイトのできない小学校低学年の妹と幼稚園児の弟は、物乞いで金を恵んでもらってた。

 中学生だった姉は、いつも夜中に出かけて朝方帰ってきた。どんな仕事をしてるか、絶対に教えてくれなかった。

 え? みんな学校には行ってなかったよ。外では高校生とか中学生とか小学生とか、そういう単語をちゃんと付けとけって、オヤジに言われてたから。


 ああ、この恰好? そうだよ、これもオヤジの命令だ。服はもちろん、喋り方も男っぽくしろって。どうしてかって? そりゃあ、俺がかっぱらい担当だったからさ。

 繁華街や馬券場に、小学生くらいの女の子が一人でいると目立つだろ? 男の子なら、やんちゃ坊主で済まされる。ただそんだけ。

 スリは正直、苦手だった。見つかってはボコボコにされ、手ぶらで帰ればオヤジにボコボコにされる。どうにか上手くスれないものか……オヤジに引き取られた頃は、そればかり考えてた。


 きっかけは、壊れた原付バイクを直しとけって、オヤジに命令された事だった。

 近所のバイク屋に持ってくと、余ってたパーツと交換してすぐ直してくれた。当然修理代を払わなきゃなんないんだけど、俺が金なんて持ってるわけない。

 そこでバイク屋のオッサンが言ったのさ。じゃあそのバイクで、かっぱらってこいって。


 すれ違いざま、バイクで金品をかっぱらう。どうやら俺には、このやり方がぴったりハマったみたいだった。今までの失敗が嘘みたいに、簡単にかっぱらう事ができた。

 ボーっと歩いてる女の後ろからバイクで近付き、ハンドバックをかっさらう。

 露店で財布を出したオッサンから、すれ違いざま財布を掠め取る。

 中でも金になったのは、携帯電話さ。みんな片手に電話を持って、こう、耳にあてて使うだろう? 俺にしてみれば『かっぱらって下さい』って、差し出してるようなもんさ。しかもみんな電話に夢中なわけだから、バイクで近付いたって気づきゃしない。

 盗んだ携帯は、中古屋が高く買い取ってくれる。普通の機種で二、三万。最新機種なら五万以上。財布なんかより、はるかに実入りのいい獲物だよ。


 オヤジも、原付バイクのかっぱらいは儲かるって気づいたみたいで、俺にそのバイクをくれた。もちろん小学生のガキだからさ、警察に見つかったら確実に捕まる。

 だから夜に人気のない工場地帯に行って、アクセルターンやウィリー、ウィリーターンなんかを練習した。どんな状況でもバイクをこかす事なく、素早く逃げ切るためにな。

 そうか? 原付でもミッションバイクだったから。練習すりゃ誰でもできんだろ。


 もういいだろ。早くみんなに……他の兄妹に会わせてくれ。

 え、もう養護施設に行っちまったのか? そうか……皆バラバラになっちまうか。

 分かったよ。それで、俺はどこに決まったんだ?

 葉室教育機関……東京なのか。随分遠いんだな。

 マジか……バイクだけじゃなく、色んな乗り物の免許が取れんのか!

 きんじ? なんだそりゃ。メッ……メイド!? 俺がかっ!?

 え、待て。待てってば! 誰だよこいつらっ! って、もう行くのかよっ!? 


* * *


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