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6-10 バッカナール

 既に公園封鎖は完了し、アマルガムが助けに入れる状況じゃない。

 <バッカナール>のコインを奪われたリーラちゃんは、逃げる事も抗う事もできない。

 できない、はずなのに。


 ゆらりと立ち上がったリーラちゃんの、様子がおかしい。

 尋常ならざる汗と、荒い息。私たちを見据える瞳は、純粋な子供のそれでなく。

 気がふれた狂人のように瞠目どうもくし、妖しい光に満ちている。


「コインを一枚スリ取っただけで、何を勝ったような気でいるの? あなたたち、何も分かってない癖に」


 乱れた三つ編みツインテールのゴムを外すと、リーラちゃんの長い金髪が、枷から解き放たれ宙を踊る。


「気を付けて下さい。彼女のランドセル……中に手りゅう弾らしきものがたくさん詰まってます」

「ちょっ……マ?」


 金色の右目を光らせて、みひろが小声で教えてくれる。透視で見えたって事ね。

 私だって子供相手に戦いたくない。爆弾魔なら尚更、ここは説得を試みる。


「リーラちゃん、もうやめよ。私たちはコインを集めてるだけで、リーラちゃんに危害を加えたいわけじゃない」

「……」

「何も分かってないって言うなら、リーラちゃんの知ってる事、教えてほしいな。どうしてアマルガムに協力してるの? どうしてアマルガムはコインを集めてるの? お互いそういうの話し合っていけば、いい解決策が見つかると思わない?」

「話し……合う?」


 びくんと細い肩を震わせる金髪少女は、上目遣いで私を見た。

 その顔が、何かに怯えた女の子にしか見えなくて……私は更に一歩、歩み寄る。

 合気道で言うところの、彼女の間合いに――。


「藍海、危ないっ!」


 リーラちゃんは地面を蹴り、一気に距離を詰めてくる!

 虚を突かれた私は、左手首を掴まれてしまう。あっという間に天地がひっくり返りそうなところを、自ら回って小手返しをいなす。反射で彼女の手首を掴み投げ返すも、関節を極める寸前で、地面スレスレを回転され逃がしてしまう。

 追撃を試みるも、その手はすごい力で払い除けられ、リーラちゃんは後ろに大きく飛び退いた。


「藍海、この子はっ!」

「うん、分かってる」


 私同等のスリと、合気道。ジルコそっくりの回転体術、ミセリさん並みのパワー……。

 みひろに言われるまでもない。今ので疑惑が確信に変わった。

 コインを獲られたリーラちゃんだけど、これまで嘗めとったスキルはそのまま彼女の身体に宿ってる。

 ちっちゃな身体に不釣り合いな、スピードとパワーに満ち満ちている。


 <バッカナール>……赤ちゃんが酔っぱらっちゃった程度の騒ぎじゃない。

 この子はやろうと思えば、どんなスキルでも手に入れられる。しかも複数、コインを奪われても持続する。なんて危険な偽造天賦コインド……。

 おまけに、背中のランドセルにはたんまり手りゅう弾が入ってる。きっとジルコから嘗めとったスキルで、武器の扱いにも長けてるんだろう。

 こんなんチート過ぎない? 一体どうやったら勝てるっていうのよ!?


 一旦間合いを取ったリーラちゃんは、腰まで達した金髪が邪魔になったのか、ゴムで手早くポニーテールにまとめ始めた。


「リーラちゃん……ここで私からコインを奪い返しても、この公園は完全に包囲されてる。逃げ切るなんて絶対にできないよ?」

「だからって、私は降参しない。最後の最後まで全力であがいてやる!」

「どうして、そこまで……」

「あいみお姉ちゃんこそ、アマルガムにおいでよ。万智子さんの事はもういいの? あいみちゃんのお母さんなんでしょ?」


 お祖母ちゃんの死に際が脳裏に浮かんだ。

 切り刻まれた母親を置き去りに、ジルコと一緒に逃げたママの背中も。


「私は……ママにお祖母ちゃんを殺されたの。今ママと会っても、とても許せるとは思えない。許せたとしても、許せる自分が許せない!」

「ほら、あいみちゃんも私とおんなじじゃん。やっぱり話し合いなんかで、解決できるわけないんだよ」


 リーラちゃんは、ちらっとみひろを盗み見た。


「私の方がすごいって、認めさせてあげるよ、お姉ちゃん!」


 リーラちゃんは、手りゅう弾をバラまきながら、飛び込んでくる。

 公園を包囲した葉室警備への牽制か、はたまた私の退路を断つためか。

 轟音と爆風を巻き散らし、死なばもろともの特攻かと思いきや、私の周りだけ、ぶぁんっと白い空間に包まれる。

 なっ、なにこれっ!? 動けないっ!

 身体どころか指先一本動かせなくなった私に、リーラちゃんが迫ってくる。

 これってまさか、聖庇アジール!? さっきみひろの首筋に顔を埋めた時、みひろのスキルを舐め取ってたっ!?


 疑問の答え合わせのように、動けない私の懐にリーラちゃんが潜り込んでくる。制服のポケットに入ってる<バッカナール>のコインに右手が伸びた、刹那――。


「やめなさい」


 リーラちゃんが造り出した聖庇アジールに、唯一対抗できるオリジナル。

 右目のコインを光らせたみひろが、私の懐に伸びるリーラちゃんの右手を、がっちり掴んでいた。

 それと同時に、白い空間がさらに眩い白で覆い尽くされ、金縛りが霧散する。


「藍海、髪の毛!」


 考えるより先、みひろの声に身体が勝手に反応する。

 私は回転しながら爪先のシールを剥がすと、リーラちゃんの背後に回り込み、ポニーテールの根元を五本指で噛み切るように千切ちぎる。

 金髪が白い空間に舞い上がると同時に、リーラちゃんは重力を取り戻したかのように、背中のランドセルに潰される。うつ伏せになって倒れ、起き上がる事もできない。

 私はランドセルの肩を爪斬りで切って、背中の手りゅう弾をどかしてあげた。子供らしい華奢な手首を後ろ手に回し、痛くないよう拘束する。


「どうして……どうして髪の毛がスキルの源だって、分かったのよっ!?」


 うつ伏せのまま、みひろに叫ぶリーラちゃん。

 みひろはその前にしゃがみこみ、人差し指を立てて軽く振った。


「バッカナールと言えば、サン=サーンス作曲のオペラ『サムソンとデリラ』が有名です。主人公サムソンの怪力の秘密は、伸ばしっぱなしの長髪。その秘密を酒神の宴バッカナールで教えてしまった事で、サムソンはデリラに髪を剃られ力を失ったのです。ちょうど今のあなたと、同じように」



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