「プロレスってのは不思議なもんで、相手の攻撃を避けられない。技をかけたりかけられたりを繰り返す。もちろん事前打ち合わせなんて一切ないから、その場その場で動かなきゃならない。コインを着けてりゃ相手がどういう技をかけたいか分かるし、観客がどういう展開を期待してるかも分かる。小さい頃から察しの悪い私には、なかなか便利なアイテムだったよ」
「その便利アイテムを失くしてしまった割に、そこまで落ち込んでるわけではないんですね」
みひろの指摘に一瞬きょとんとするものの、すぐに瀬里奈さんは笑い飛ばした。
「あははっ、もちろんコインがないって気づいた時は、真っ青な顔してたと思うよ? 実際、落ちるわけないって思っても、ロードワークの後を辿って必死こいて探したし。でもまぁ……あんなのに頼ってたらイカサマだって言われても仕方ないし、ちょっと罪悪感もあったんだ。相手の感情筒抜けってのは、いい事も悪い事もあるわけだし」
「悪い事も、あるんですか?」
「常に相手の先を読んで動くと、八百長みたいに見えるでしょ? 時代劇の
常に相手の先を読む――スリでも合気道でも、その感覚を研ぎ澄まさなきゃならないけど、常に絶対はあり得ない。予想外な動きにも、その場その場で対応していく……それが面白いところでもある。
でもその感覚が絶対になった時、私はそれを面白いと思えるのだろうか……?
「プロレスはショーだから。多少なりとも不文律というか、暗黙のルールみたいなのはあるんだけど、舞台みたいにキチキチっと全て決まってるわけじゃない。だからプロレスは、奇跡とかが起きたりする」
「奇跡……ですか」
「技を避けられないって事は、我慢比べみたいなもんなんだ。どれだけ痛めつけられても、どれだけ実力差があっても、気合と根性で立ち続ければ相手も疲れてくる。それを積み重ねれば、奇跡の大逆転もある。それがプロレスの醍醐味だと私は思ってる」
根性論みたいに聞こえるけど、格闘技やってる私にはなんとなく理解できる。要は、諦めたらそこで試合終了ですよ、という事。
私に比べてみひろは「はぁ、なるほどです」と、小首を傾げたまま相槌を打った。
まぁ、葉室財閥のお嬢様がプロレスなんて見た事なくて当然だし。今度、瑞穂にDVD借りて見せてみよかな……みひろ、卒倒しそう。
話が脱線してきたので、とりあえず私からも瀬里奈さんに質問してみる。
「毎朝同じコースを走ってるなら、見かける人も大体同じですよね? 今朝はどうでしたか? いつも見ない人とか、いたりしませんでした?」
「他の人にも聞かれたけど、そういう人は見かけなかったよ。見かけるのはちびっこか、顔見知りのお母さんばっかだしね」
「覆面レスラーが走ってたら、子供たちにも大人気でしょうね」
「そうだねえ。『悪者レスラーだ!』ってちょっかい出してくる子に、すこしだけ構ってあげたりもするね」
「今朝は、あったんですか?」
「よく見るお調子者の男子が、やいのやいの囃し立てきたから、両腋に手ぇ入れて持ち上げたりしたね。すぐに解放してあげたから、走って逃げてったけど」
よく見る男の子なら、スリの可能性は低いか。
そもそも子供のスリなんて、平和ボケ大国日本にいるはずもない。
「他にいつもと違う、変わった事とか気になった事、ありませんでしたか?」
瀬里奈さんは腕組みして考え込むと、ピンと指を立てた。
「ああ、そういえばその子、帽子被ってなかったかな」
「帽子?」
「近所の小学校は
私は、リーラちゃんを虐めてた疑惑の、男子たちを思い出した。
三人のうちの二人は制帽を被ってて、一人は被っていなかった。
もしかして、あの子かもしれない。
「うーん、他に変わった事変わった事……昨日だったら、あるんだけどなー」
「昨日?」
「ああ、昨日も同じ時間にロードワークに出てたんだけど、その日は珍しく、女の子が抱きついてきたんだ。しかも金髪の、めっちゃかわいい子」
私の胸が、ドキッと大きく脈打った。
「その金髪の女の子も、普段から見かけてたんですか?」
「うーん、見かけた事はなかったかな……。でも女の子って、顔あんまり覚えてないからなあ」
「どうしてですか?」
「覆面レスラーなんて、男子は面白がってちょっかいかけてくるけど、女子には怖がられちゃうからね」
「なのにその女の子は自分から抱き着いてきた……だから印象に残ったと」
「その子、ハーフなのか見た目が外人みたいですごく可愛くってね。金髪セミロングにベレー帽が似合ってて、ロンTミニスカも超女の子っぽかった。その割に匂いが……なんていうか、危険な香りがしたんだよね。ああいうのが成長すると、魔性の女になるんだろうなーって」
うーん……だとすると、リーラちゃんじゃないかも?
髪型はツインテールの三つ編みだったし、ベレー帽も被ってなかった。
上はTシャツで下はジーンズだし、ガーリーというよりはボーイッシュな服装だった。
「その女の子の名前、分かります?」
「いや、そこまでは。でも見た事なかったから、最近転校してきた子じゃないかな」
リーラちゃんは保健室登校していると言っていた。無理して通わなくていいと言われてる、とも。
だったら皆と同じ通学時間は避けるだろうし、たまたま昨日は時間帯が一緒になって、初めて見るプロレスラーに興奮して抱きついたのかもしれない。
「その金髪の女の子、今日は見かけませんでしたか?」
私が聞いたタイミングで、事務所のドアが遠慮がちにノックされた。
みひろが「どうぞ」と声を掛けると、ジャージ姿の門下生が入って来た。
「ミセリさん、そろそろ準備しないと新幹線が……」
「ああ、もうそんな時間か。実は今日名古屋で試合があって、そろそろ出かけないといけなくて……すみません。金髪の子は、今日は見てないですね」
「いえ、こちらこそお時間頂きありがとうございました。試合、頑張ってくださいね」
ミセリさんと門下生が部屋を出て行き三人になると、みひろは私に向き直った。
「藍海は、金髪の女の子が気になるんですか?」
「いやー、実はね」
私は、今朝見かけた三人の男の子と、リーラちゃんについて話した。
「おそらくだけど、今朝会った男子たちは、ミセリさんのロードワーク近くの小学生だと思う。その内の一人が制帽被ってなかったから、今朝ミセリさんにちょっかい出したのは、その子かなーって」
「そうかもしれませんね。でもそのリーラちゃん……ミセリさんの言ってる子とだいぶ印象が違いますね。金髪だけど三つ編みツインテールで、ジーンズ姿なわけですから」
「そうだね」
みひろは少し考えると、伊織さんに振り向いた。
「伊織、その小学校に至急アポを取って下さい」
* * *