「えーと、こちらです」
「ありがとうございます……」
地味な中年女性秘書の、蚊の鳴くような声に会釈を浮かべ、私は二人を客間に案内した。
その間も、淡茶の着流しに家紋入りの羽織を着たお爺さんは一言も発しない。哀しみなのか怒りなのか無なのかも分からない険しい表情のまま、後ろを黙って付いてくる。
夜の来客なんて初めての事だからびっくりしたけど、インターホンのモニタを見て二度びっくり。
真夜中の来訪者は、葉室財閥当主・葉室久右衛門さんとその秘書さんで、お祖母ちゃんにお線香をあげたいとの事だった。
みひろと伊織さんは、今いない。なんでも急に葉室家から呼び出されたとの事で、今夜は向こうで泊まるらしい。それをこの人達が知らないはずもなく……みひろと伊織さんが、いないタイミングを見計らって来たとしか思えない。もしかして、あの二人をウチから引き剥がして二度と帰らせないとか……そういう事、考えてる?
勘ぐってはみるものの、特にそういった話をされるでもなく。久右衛門さんたちは客間に入っていった。
客間には白いクロスをかけた小机が置いてあり、その上にお祖母ちゃんの遺影と遺骨、手前にはリンとロウソク、線香立てが用意されている。いわゆる
まず久右衛門さんが、お線香をあげる。
遺影の写真は、先日『合気庵』でバカ騒ぎした時に、誰かがスマホで撮ってくれてたものだ。
屈託ない笑顔のお祖母ちゃんを見上げる、厳めし顔の久右衛門さん……その表情は険しいままでも、目尻に集まる細かい皺がわずかに緩まり、両手を合わせ合掌した。
目を閉じ
でも、少なくとも。
見ず知らずの老婆に義理で線香あげに来たとは思えないくらい、彼の黙祷は長く……厳かな空気に包まれていた。
秘書さんがお線香をあげてる間、私はお茶を淹れ、ダイニングの椅子に座る久右衛門さんにお出しした。
「わざわざお越し頂きありがとうございます。お祖母ちゃんも喜んでると思います」
「……」
うまいともまずいとも言わず、静かに茶を飲む久右衛門さんは、元の険しい表情で黙ったまま。
顔はともかくこっちが喋りかけてんだから、返事くらいしてほしい。
「あのぅ、もしかして久右衛門さんは、お祖母ちゃんとお知り合いだったんですか?」
「……そういう事ではない」
「じゃあ、どうしていらっしゃってくれたんですか?」
「……君の祖母は三枚目のコインをアマルガムから守り、儂らに託してくれた。その礼をしにきたまでだ」
「じゃあお祖母ちゃんは、久右衛門さんに貸しイチって事ですね」
「ふむ……彼女が帰らぬ人となってしまった今、孫の君が、貸しを引き継いだ事になるな」
「いえいえいえ! そういう意味で言ったんじゃないです!」
「遠慮はいらん。君にもコイン集めで世話になってる。貸しを返してほしければ、いつでも言ってくるがいい」
このお爺ちゃん……一生口きいてくんない天上人とばかり思ってたけど、意外といい人じゃん!
調子に乗った私は、やや突っこんだ質問をしてしまう。
「あの……今日来て頂いたのは、私と二人っきりで話したかったから……だったりします?」
「どうしてそう思った」
「みひろと伊織さんが、お屋敷に行ってる間に来られたので。そういう事なのかなと」
久右衛門さんはギロリと私を睨み上げると、すぐに視線を外しお茶を飲んだ。
そのいちいち威圧感巻き散らすパワハラ気質、ホントやめてほしい。寿命が一年くらい縮んだ気がする。おまけにすぐ黙っちゃうし……会話のキャッチボールって知ってる?
「君は春子さんから、スリの手ほどきを受けたらしいな」
「はい。一週間とちょっとくらい、でしたけど。すごく勉強になりました」
「では、私の財布をスり取れるかね?」
「それは無理ですね」
私の即答に、久右衛門さんは面食らったように目を見張る。
「だって久右衛門さん、お財布持ってないじゃないですか。お金持ちの人はお財布持ち歩かないって、本当なんですね」
久右衛門さんはわずかに口角を上げると、「ほう」と感心したように呟いた。
「君に目を付けたみひろは、
「あの、ちょっと質問いいですか?」
「なんだ」
「コインを五枚全部集め終わったら、みひろはどうなるんです?」
「どうなる、とは?」
「コインを集め終わったら、みひろはまた葉室家に連れ戻されて外界と隔離されて……一生葉室財閥の中で、氏立探偵しなきゃならないんですか?」
「みひろには持って生まれた使命があり、あの子もそれを重々心得ておる。儂がどうこう言うまでもなく、みひろ自身、葉室家を疎かにする生き方を選ばないだろう」
「みひろは頭が良くて、すっごく優秀な子です。外で暮らしても、好きな大学に行っても、葉室財閥のお役に立てると思うんです。だから――」
「お線香、終わりました。ありがとうございました……」
その時、客間から秘書さんが戻って来た。
一旦話を切り上げて、秘書さんの分のお茶を淹れようとするも「次の約束がございまして、これでお
久右衛門さんも席を立ち、秘書さんと一緒に玄関に向かっていった。
「今度、みひろと伊織さんがいる時に、またいらして下さいね。みひろ、伊織さんに習ってお料理勉強中なんです。バイト先でも賄い作らせてもらったりして、結構美味しいんですよ」
玄関先でそう言ってみるも、久右衛門さんは「コインを集める事に集中しろ」と言い残し、さっさと出て行ってしまった。代わりに秘書さんが深々お辞儀すると、久右衛門さんの後を追っていく。
「まったく……取り付くシマもありゃしない」
家に戻ってくると、私は後祭りの前に座って一人愚痴る。
二本のお線香が立つその横に、自分の分をぶっ刺して、遺影のお祖母ちゃんを見上げた。
「あと二枚……ママに会っちゃったら、私、どんな顔すればいいのかな?」
お祖母ちゃんは笑ってるだけで、何も答えてはくれなかった。
* * *