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6-01 真夜中の来訪者

「えーと、こちらです」

「ありがとうございます……」


 地味な中年女性秘書の、蚊の鳴くような声に会釈を浮かべ、私は二人を客間に案内した。

 その間も、淡茶の着流しに家紋入りの羽織を着たお爺さんは一言も発しない。哀しみなのか怒りなのか無なのかも分からない険しい表情のまま、後ろを黙って付いてくる。


 夜の来客なんて初めての事だからびっくりしたけど、インターホンのモニタを見て二度びっくり。

 真夜中の来訪者は、葉室財閥当主・葉室久右衛門さんとその秘書さんで、お祖母ちゃんにお線香をあげたいとの事だった。

 みひろと伊織さんは、今いない。なんでも急に葉室家から呼び出されたとの事で、今夜は向こうで泊まるらしい。それをこの人達が知らないはずもなく……みひろと伊織さんが、いないタイミングを見計らって来たとしか思えない。もしかして、あの二人をウチから引き剥がして二度と帰らせないとか……そういう事、考えてる?

 勘ぐってはみるものの、特にそういった話をされるでもなく。久右衛門さんたちは客間に入っていった。


 客間には白いクロスをかけた小机が置いてあり、その上にお祖母ちゃんの遺影と遺骨、手前にはリンとロウソク、線香立てが用意されている。いわゆる後飾あとかざりと呼ばれる簡易的な仏壇で、火葬後四十九日に納骨されるまで、家人や親しい人と別れを惜しむ場所となっている。

 まず久右衛門さんが、お線香をあげる。

 遺影の写真は、先日『合気庵』でバカ騒ぎした時に、誰かがスマホで撮ってくれてたものだ。

 屈託ない笑顔のお祖母ちゃんを見上げる、厳めし顔の久右衛門さん……その表情は険しいままでも、目尻に集まる細かい皺がわずかに緩まり、両手を合わせ合掌した。

 目を閉じこうべを垂れる久右衛門さんは、お祖母ちゃんになにを語りかけてるのか……そんなの、私に分かるはずもない。

 でも、少なくとも。

 見ず知らずの老婆に義理で線香あげに来たとは思えないくらい、彼の黙祷は長く……厳かな空気に包まれていた。

 秘書さんがお線香をあげてる間、私はお茶を淹れ、ダイニングの椅子に座る久右衛門さんにお出しした。


「わざわざお越し頂きありがとうございます。お祖母ちゃんも喜んでると思います」

「……」


 うまいともまずいとも言わず、静かに茶を飲む久右衛門さんは、元の険しい表情で黙ったまま。

 顔はともかくこっちが喋りかけてんだから、返事くらいしてほしい。


「あのぅ、もしかして久右衛門さんは、お祖母ちゃんとお知り合いだったんですか?」

「……そういう事ではない」

「じゃあ、どうしていらっしゃってくれたんですか?」

「……君の祖母は三枚目のコインをアマルガムから守り、儂らに託してくれた。その礼をしにきたまでだ」

「じゃあお祖母ちゃんは、久右衛門さんに貸しイチって事ですね」

「ふむ……彼女が帰らぬ人となってしまった今、孫の君が、貸しを引き継いだ事になるな」

「いえいえいえ! そういう意味で言ったんじゃないです!」

「遠慮はいらん。君にもコイン集めで世話になってる。貸しを返してほしければ、いつでも言ってくるがいい」


 このお爺ちゃん……一生口きいてくんない天上人とばかり思ってたけど、意外といい人じゃん!

 調子に乗った私は、やや突っこんだ質問をしてしまう。


「あの……今日来て頂いたのは、私と二人っきりで話したかったから……だったりします?」

「どうしてそう思った」

「みひろと伊織さんが、お屋敷に行ってる間に来られたので。そういう事なのかなと」


 久右衛門さんはギロリと私を睨み上げると、すぐに視線を外しお茶を飲んだ。

 そのいちいち威圧感巻き散らすパワハラ気質、ホントやめてほしい。寿命が一年くらい縮んだ気がする。おまけにすぐ黙っちゃうし……会話のキャッチボールって知ってる?


「君は春子さんから、スリの手ほどきを受けたらしいな」

「はい。一週間とちょっとくらい、でしたけど。すごく勉強になりました」

「では、私の財布をスり取れるかね?」

「それは無理ですね」


 私の即答に、久右衛門さんは面食らったように目を見張る。


「だって久右衛門さん、お財布持ってないじゃないですか。お金持ちの人はお財布持ち歩かないって、本当なんですね」


 久右衛門さんはわずかに口角を上げると、「ほう」と感心したように呟いた。


「君に目を付けたみひろは、全てを見通す目プロビデンスアイ蒐集家コレクタ――その名に恥じぬ、慧眼の持ち主というわけか……。あと二枚、期待しておるぞ」

「あの、ちょっと質問いいですか?」

「なんだ」

「コインを五枚全部集め終わったら、みひろはどうなるんです?」

「どうなる、とは?」

「コインを集め終わったら、みひろはまた葉室家に連れ戻されて外界と隔離されて……一生葉室財閥の中で、氏立探偵しなきゃならないんですか?」

「みひろには持って生まれた使命があり、あの子もそれを重々心得ておる。儂がどうこう言うまでもなく、みひろ自身、葉室家を疎かにする生き方を選ばないだろう」

「みひろは頭が良くて、すっごく優秀な子です。外で暮らしても、好きな大学に行っても、葉室財閥のお役に立てると思うんです。だから――」

「お線香、終わりました。ありがとうございました……」


 その時、客間から秘書さんが戻って来た。

 一旦話を切り上げて、秘書さんの分のお茶を淹れようとするも「次の約束がございまして、これでおいとまさせて頂きます」と、丁重に断られてしまう。

 久右衛門さんも席を立ち、秘書さんと一緒に玄関に向かっていった。


「今度、みひろと伊織さんがいる時に、またいらして下さいね。みひろ、伊織さんに習ってお料理勉強中なんです。バイト先でも賄い作らせてもらったりして、結構美味しいんですよ」


 玄関先でそう言ってみるも、久右衛門さんは「コインを集める事に集中しろ」と言い残し、さっさと出て行ってしまった。代わりに秘書さんが深々お辞儀すると、久右衛門さんの後を追っていく。


「まったく……取り付くシマもありゃしない」


 家に戻ってくると、私は後祭りの前に座って一人愚痴る。

 二本のお線香が立つその横に、自分の分をぶっ刺して、遺影のお祖母ちゃんを見上げた。


「あと二枚……ママに会っちゃったら、私、どんな顔すればいいのかな?」


 お祖母ちゃんは笑ってるだけで、何も答えてはくれなかった。


* * *


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