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5-09 伝説のスリ師

 降りしきる雨の中、ジルコは雑居ビルの中に入っていく。

 隣の管理人室では殴打の音が聞こえるも、すぐ静かになった。目出し帽を被った男たちは警備員二人の服を脱がし、何事もなかったように彼らにすり替わった。

 ジルコは手招きで、外で待ってたフードの女を呼び寄せると、一緒にエレベータに乗り込んでいく。


 最上階で扉が開くと、すぐ目の前に『古銭買取店 エーちゃん』と書かれたスチール扉が立ちはだかる。

 普段なら営業時間中にも関わらず、フォトディスプレイの表示はクローズド。ジルコはドアのカギ穴に二本のピンを差し込み、慣れた手つきでピッキングを始める。ものの数秒でロックは解除された。

 店内に入ると、カウンター内でバッグを修理している老婆の姿が目に入る。

 無断で入ってきた二人に気づいても、さして驚く様子もなく、バッグを『完了箱』に放り込んだ。


「どうやら思ってた以上に、もうろくしちまったようだなクソババア。こんな簡単に俺らの侵入を許すなんて」

「年を取ると、面倒くさがりになっちまってね。危険に頓着がなくなってくるのさ」


 店主の変装すらしてない春子は、ゆらりと立ち上がると、カウンター越しにジルコを睨みつけた。

 その視線が隣の、目深にフードを被った女に向くと、驚愕に目を見張る。

 女はフードを取って、老婆を見つめ返した。引き込まれそうなほど神秘的な、二つの紫目を光らせて。


「万智子……あんたがあたしの前に姿を現すとは……びっくりしたよ」

「翔也のお葬式以来かしら……面と向かっての挨拶は、十年以上なかったと思いますけど。お元気そうで何よりです、お母さん」

「あんたたち二人が一緒に来たって事は……なるほどね。ジルコが万智子の居場所どころか、聖庇アジールまで知ってたのも納得だ。二人とも、アマルガムとかいう組織の世話になっているんだろう?」

「私はアマルガム日本支部支部長、有海万智子。ジルコは雇われ傭兵みたいなものかしら。そしてお母さん、あなたはアマルガムの宿敵、葉室財閥に協力している。おまけに、あれほど会わないでと口酸っぱくゆってきたのに、藍海に会ってスリを教えた」

「濡れ衣はよしとくれ。あたしはただ、ネイルを教えただけだ。あの子は母親が蒸発した事がきっかけで、スリを始めた。言ってしまえば万智子、あんたが娘をスリにしたんだよ」


 万智子は呆れたように溜息を吐くと、ジルコに命令する。


「卒業試験よ、ジルコ。有海春子を殺しなさい」

「……母親なんだろ? あんたはそれで、本当にいいのかよ?」


 目の前の老婆を殺す。

 実の娘より、弟子だったジルコの方が、その事に躊躇していた。


「もちろんよ。私、お母さんの事、大っ嫌いだったんだから。スリの癖に正義感ぶるし、本音と建前は全然違うし……イライラする」

「藍海とあんたは、だいぶ違うようだね。あの子は蒸発したお母さんの事が、今でも好きらしいよ」


 ぴくっと、万智子の眉が跳ね上がる。


「藍海も、祖母がいなくなれば少しは考えも変わるでしょう。まぁ、たかが出会って数週間、そこまで影響力はないでしょうけど」

「あんたがあたしを嫌ってるのは知ってる。でもどうして……どうしてそこまであたしを殺したいんだい? こんな婆、わざわざ手を汚さなくても、数年でポックリいくかもしれないってのに」

「お母さんが葉室財閥に協力する事で、私たちアマルガムはコイン争奪戦で不利な状況に追い込まれる。それを阻止できるのなら、私は親だって殺す覚悟よ」

「ハードボイルドだねぇ……昔から変わった子ではあったけど、実の娘にこんな事言われるなんて、想像もしてなかったよ」


 春子は立ち上がると、近くに立てかけておいた杖に手を伸ばそうとする。

 が、春子が掴むより先に銃声が響き、杖は真っ二つになってどこかに転がっていった。


「両手を挙げろ。拒否するなら、このまま頭を撃ち抜く」


 ジルコは拳銃を構えたまま、低い声で脅しを入れる。春子は素直に従った。


「万智子さん、このババアは人質に使える。生かしておいてコインと引き換えにした方が、殺すよりお得ってもんですよ」

「こんな危険人物、死体にしないでどうやって拘束できるの?」

「それをやってのけてこそ、このババアから卒業できるってもんでしょう」


 ジルコは拳銃の切っ先を横に振って、カウンター内から春子を外に出した。

 万智子は少し距離を取り、二人の様子を見守っている。


「娘といい、弟子といい……あたしゃつくづく、人の育て方を間違ってきたんだね」

「スリに御託は不要だ。見せてみろ……あんたとっておきの、聖庇アジールをなっ!」


 ジルコのリボルバーが火を噴く直前、春子の身体からドス黒いオーラが広がった。

 部屋に充満する黒の中、自由に動けるのは春子だけ。素早くジルコとの距離を詰めると、右手甲のグローブを爪斬りで一閃、その下にあるコインをスろうとする――が。

 グローブの下は金色に光るコインではなく、薄い鉄板が縫い付けてあった。

 すぐさまグローブ表面を、鉄板の輪郭に沿うよう四角に切り抜くと、板が落ちて今度こそ金貨コインが見えた。これさえスリ取ってしまえば、ジルコの能力はガタ落ちになる。あとは万智子を拘束して――と思っていたら、


「そこまでよ、お母さん」


 春子のスリの手は――いつの間に近付いていたのか、娘・万智子の手によって、ガッシリ掴まれていた。

 驚愕し、手を引こうとするも動かない。強い力で握られてるわけでもないのに――っ!?

 そこで春子は気が付いた。動かせないのは、右手だけではない事に。

 首も、目線も、息遣いさえも。全身が金縛りにあったように、春子は一歩も動けない。

 間違いない。これは万智子が生み出した、スリの最終奥義・聖庇アジール

 娘が放つ渇望のオーラが、春子の身体をがんじがらめに縛り付けていたのだ!


 次の瞬間、ジルコの右手指先が光ると、爪弾ソウダンが撃ち出される。

 五発の黄金爪は春子の全身にヒット。老体は後ろにすっ飛んで、壁に叩きつけられた。

 すかさずジルコは飛びかかり、左手で春子の右手を斬った。健も筋も全てが切り裂かれ、血飛沫がほむらに舞う。

 赤い霧が見えるほど、容赦のない斬撃が続く。


 ジルコが飛び退くと、壁を背にした春子の右腕は、赤の肉塊と化していた。

 鮮血に染まりだらんと垂れ下がった右手は、ぴくりとも動かない。


「左手まで使えるようになってたとは……随分修行したんだね、ジルコ」


 勝負は決した。春子の右手は、もう二度とスリが働けないほどの重症を負っている。

 だが、それでも――、伝説のスリ師の左手が、無傷だという事を忘れてはならない。

 彼女の左手には、黄金を咲かせる手ミダスタッチのコインが握られていた。


「なっ! てっめ……いつの間に!」


 ジルコは急いで春子に飛び掛かるが、一瞬早く、春子は左手のコインを口の中に放り込み、喉を鳴らして飲み込んだ。


「何しやがるババア! 吐きやがれっ!」


 春子の背中を足でめちゃくちゃに蹴るジルコ。

 万智子は慌てた様子でジルコに命令する。


「腹をかっさばいて、コインを取り出せ!」

「無茶言うな! 爪斬りネイルカッターじゃそんなに深く切れねーよ!」

「まずいな……そろそろ葉室財閥が来る。撤退するぞ!」


 バリバリとヘリの音が聞こえたかと思うと、窓の外から機関銃による一斉射撃が部屋を襲う。ブラインドの降りた全ての窓ガラスが粉々に砕け散ると同時に、エレベータから藍海と伊織が飛び込んでくる。


「お祖母ちゃんっ!」


 しかし、時既に遅し。

 ジルコと万智子は窓からヘリに飛び移ると、上空に飛び去ってしまう。

 血塗れの老婆と、彼女が身を挺して奪い取った、ジルコのコインを残して。


* * *


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