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5-08 合気庵

 ホテルから、命からがら逃げ出した翌日。

 ジルコは海沿いの寂れた養護施設で、アマルガムの上司らしき女性に、今回の顛末の報告をしていた。


「つまりあなたは拳銃を無くし、有海春子に逃げられ、せっかく手に入れた<プロビデンスアイ>まで奪われてしまった……と」


 女性はどこか楽しげに指を折り、ジルコの失策をあげつらう。

 マスコミや警察は葉室財閥が上手く抑え込んだようだが、アマルガムの諜報員はそうはいかない。

 有名ホテルでやらかしたド派手な戦闘は一部映像付きで記録されてたし、一度奪ったコインを奪い返された事も、報告書にバッチリ記載されていた。ジルコは正直に、事の顛末を報告せざるを得なかった。


「スリがスられておめおめと、よくもまぁ帰ってこれたものね」

「確かに今回はやられたが、俺だって手ぶらで戻ってきたわけじゃねぇ。俺は聖庇アジールをこの目で見た。あんなもん、初見でスられねーわけがねー」

「杖に仕込んだ発煙筒で、煙幕張られた隙にスられたんでしょう? そんなもの、アジールとは呼べないわ」

「違う。アジールを使ったのは、葉室みひろと有海藍海だ。あいつらはそれぞれ、オーラとスリの長所を生かし、アジールを復活させたんだ」


 女性はしばし考え込むと、ぽんと拳で手を叩く。


「ならお前も、他人を威圧するオーラを持つ相棒を手に入れれば、アジールができるって事だよね?」

「そりゃそうかもしれないが、ああいう特別なオーラってのは誰にでも出せるもんじゃ……って、まさか!?」


 ジルコは目を見開き、女性を仰ぎ見る。

 彼女は訳知り顔で微笑むだけで、何も語らず。後ろの窓に振り向いた。


「もう一度、有海春子と勝負したいんだろう? 協力は惜しまない。まずは思うがまま、徹底的にやってみるといい」

「ありがてえ話だが……あんたはそれでいいのか?」

「もちろん。それがコインを集めるために必要な事なら、ね」


 自分に、この女の覚悟のひとかけらでもあったら、状況は違っていたかもしれない。

 そう思うと、ジルコはぶるっと身体を揺らした。


* * *


「いらっしゃいませ~って、お祖母ちゃん! 来てくれたんだ!」


 あれから数日、蕎麦処『合気庵』にお祖母ちゃんがやってきた。

 お一人様が集う大テーブルにご案内する。


「二人が働いているところを、一度見ておこうと思ってね。おやおや、随分可愛らしいカッコさせてもらってるじゃないか」

「えへへ、お蕎麦屋さんだから作務衣なんだよ」

「みひろちゃんも可愛いね、よく似合ってる」

「ありがとうございます」


 お祖母ちゃんは天ぷらそばを注文した。

 待ってる間、私たちの様子を窺っていた常連オジサンらが、お祖母ちゃんに話しかけている。


「藍海ちゃんの、おばあさんなんですか?」

「はい、いつも孫がお世話になっております」

「いや~、こっちこそ藍海ちゃんにはいつも癒されてて~」

「お前の場合、いつも調子こいて、投げられてるだけだろうが」

「バカッ、それもご褒美っつーか、癒しの一種だろ!」

「癒し担当は、みひろちゃんだろ。藍海ちゃんは元気が出る系というか、生意気なところがウチの娘によく似てて……ううっ」

「おまえんちの娘、とっくに結婚して二児の母だろーが!」


 わらわら集まる常連オジサンたちに、あっという間に囲まれるお祖母ちゃん。


「こらこら~、いくら私に無下にされるからって、ウチのお祖母ちゃんナンパしないの!」

「藍海ちゃんの小さい頃の話とか、聞いてみたいな~?」

「みひろちゃんとも、お知り合いなんですか~?」

「ほら店員さん、こちらのおねえ様にお猪口ちょこ持ってきて!」

「酔わせて聞き出そうとしないのっ! あんまり無礼がすぎると、ウチのお祖母ちゃん何するか分からないよ?」


 まったく。隙だらけの酔っ払いオヤジが、あろう事か伝説のスリ師に近づくなんて。

 気づいたらパンツ一丁になってたって、おかしくないんだから!


「藍海、こちらのお客様方に、オススメの日本酒一升持ってきて」

「お祖母ちゃん!?」

「いつも孫娘の店を贔屓にして下さって、ありがとうございます。本来なら晩酌のお付き合いをしたいところですが、生憎あたしは飲めませんので。これはほんのお礼です」


 とか言いながら、今ちゃっかりスってましたよね!?

 オジサン連中の財布からスったお金で奢るのは、オゴリと言っていいの!?

 スリの被害に合ってるとは夢にも思わず、オジサンたちは大将がもってきた一升瓶に沸き上がる。

 はぁ……まぁスられたお金は自分たちの飲み代になるわけだから、もうそれはそれでいいや。

 我先にと盃を酌むオジサンたちを尻目に、お祖母ちゃんはみひろを呼び止めた。


「みひろちゃん」

「はい」

「アルバイト、楽しい?」

「はい! 知らない事ばかりですし、何より藍海と一緒に働いていると、毎日が刺激的でとても楽しいです!」

「どういう意味よ、それ」

「それは良かった。この子は誰に似たのかケンカっぱやいところがあるから、みひろさんが一緒だと、あたしも安心できるよ」

「どう考えても、お祖母ちゃんの隔世遺伝だと思うけどっ!?」

「ほらほら店員さん。いつまでもくっちゃべってないで、キビキビ働きな。あたしは大将さんにご挨拶しなきゃ」


 よっこいせと立ち上がり、カウンターに出てきた大将に話し掛けるお祖母ちゃん。

 いつも孫がお世話にいえいえこちらこそ的なご挨拶テンプレートが始まると、待ちきれなくなった常連オヤジどもが乾杯の音頭を取る。つまらない冗談とお祖母ちゃんへの感謝を述べると、大宴会が始まってしまった。

 そこにガラッと扉が開き、伊織さんがやってきた。


「こんばんは、今日は随分賑やか……っで!?」

「ああ伊織さん、こんばんは。あんたもみひろさんの様子を見に来たのかい?」

「有海のおばあ様……どうしてここに?」

「なに。孫娘が働いてる姿を、一度見ておきたくてね。ついでに常連さんたちにもほれ、酒をふるまったらこの通りで……あんたも一杯やってくかい?」

「えっと。それじゃお言葉に甘えて、一杯だけ」


 私とみひろが忙しなく働く中、お祖母ちゃんと伊織さんはオジサンたちに囲まれて、楽しそうにさかずきを酌み交わしている。

 どうせ私たちを酒の肴にしてるんだろうけど、こちとら忙しくて何を話してるかも分からない。

 まぁ伊織さんもいるし、お祖母ちゃんも私の事ほとんど知らないだろうから、言っちゃいけない事を喋ってるわけじゃないだろうけど……気になって仕方ない。

 それでも――。


「どんだけ飲むんだい、あんたら! 大将、一升瓶三本追加で!」

「あの、おばあ様、そのくらいにしておいた方が……」

「はぁああ? 伊織ちゃんは、あたしの酒は飲めないってぇかぁあ!?」

「ちょっとお祖母ちゃん! なんでお酒飲んでないのに一番暴れてるのっ!?」

「あたしゃ昔から、ウーロン茶で酔っ払っちまう性質たちでね。ほれ、藍海とみひろちゃんも、お客さんにお酌して回りなさい! ババア一人じゃ手が足りないよっ!」

「はい♪」

「みひろっ、さまっ! いけません、うぷっ、あなたさまのようなお方が、そんなっ、侍女のような……」

「大将、そば焼酎そば湯割りで!」

「こっちは、唐揚げ大盛り!」

「プリン・アラモード!」

「おい藍海、どさくさ紛れに注文するんじゃない」

「伊織、お口直しに抹茶アイス、頼みましょうか?」

「ううっ、すみません……普通にお水でお願いします」

「がはははっ! いい店だねえここはぁ! 気に入ったよ!」


 ずっと一人、オジサンのカッコしてバッグ直してたお祖母ちゃんが、素顔のまま楽しそうに笑ってる。

 その姿を見るだけで、私まで救われた気持ちに――ううん、私の方が救われてる。


 パパが亡くなって、ママも行方不明になって。私もずっと一人ぼっちだった。

 ひとりぼっち。

 そんなの慣れてると思ってた。ママが帰ってこないなら、一生一人で生きていこうと思ってた。

 でも今は――ここにいるみんなが、家族に思える。

 ここが自分の居場所なんだぞって、おっきな声で自慢したくなる。


「どうしたの? 藍海」


 私が、ボーっとみんなを眺めてるのを見て、みひろが声をかけてくる。

 私は相棒に抱きつくと「なんでもない」と、作務衣の胸に顔を埋めて首を横に振る。

 母性溢れる豊かな胸を堪能しつつ、気づかれないよう涙を拭った。


「おっ! これが世にいう百合展開!?」

「そのままキッス、キッス!」

「大将! 店員さんが乳繰り合う飲食店は、えっちだと思いま~す!」

「うっさい! 全員投げ飛ばすよ!」

「ちちくりあう?」

「みひろさまっ……いけませんっ! SNSで検索は、まだっ、早いです……っ」

「女同士もいいけど、ちゃんと彼氏も作るんだよ、藍海」


 こーの、下品な酔っ払いどもめ。

 私は心から、素直な気持ちをぶちまけた。


「あーもーっ、うるさーいっ!」


* * *


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