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4-10 ネイル

 自分の祖母だと分かっていても、見た目がエーちゃん――オジサンのままだと、どうしてもお祖母ちゃんと呼ぶのに抵抗がある。


「あの……ちょっと気持ちの整理がつくまで、今はまだエーちゃんって呼んでいい?」

「そりゃそうだ。あたしだって十年以上このナリでやってきて、エーちゃんと呼ばれ慣れている。考えてみりゃ春子って名前だって、英語で言えばエープリル。そっちの二人もそう呼んでもらって構わない。ただし、さん付けはいらないよ」


 みひろは小さく笑いながら「分かりました」と頷いた。

 伊織さんは興味深そうに、エーちゃんの顔をじっと見つめている。

 エーちゃんは伊織さんに向き直ると、いきなりダメ出しし始めた。


「あんたは元が女顔だから、カッコだけ男になっても女だってバレバレなんだよ」

「あ、えっ? そうでしたか?」

「そんなキレイな顔してる男なんざ、少女漫画か役者にしかいない。いい感じに肌荒れしたように見えるファンデーションあるから、試してみるといい」

「そっ……それは興味あります! ありがとうございます」


 恐縮しきりの伊織さんにエーちゃんは満足そうに頷くと、今度はみひろに問いかけた。


「あんたの言う通り、あたしは万智子が失踪してから、陰ながら藍海の事を見守ってきた。もちろんあんた達が、藍海と一緒に暮らしてるのも知っている。物騒な外人武装組織の話も聞いてるし……あのコインが、騒動の火種になってるんだろう?」

「はい」


 みひろは短く肯定する。コインの事をどこまで話していいのか、まだ迷ってるんだろう。

 エーちゃんも、訳知り顔でうんうん頷いてる。


「まぁ言えない事があるのも分かるがね……だからこその密室だ。ここはひとつ、お互い腹を割って話そうじゃないか」

「……はい、分かりました」

「藍海がスリの手ほどきを頼みに来たって事は、あのコインが盗まれたって事だね?」


 みひろは否定も肯定もしなかったけど、私は分かりやすく息を呑んでしまう。

 その様子を見て、エーちゃんはニヤっと口角を上げる。

 みひろはひとつ息を吐くと、今度こそ諦めたように口を開いた。


「どうしてそこまで、ご存じなのですか?」

「そうでもなきゃ、わざわざあたしの携帯番号調べて連絡してこないだろ? ましてや藍海がスリを教えろなんざ、あたしに頼むはずもない」


 もう待ちきれない。私はぐいっと、エーちゃんににじり寄った。


「エーちゃんさ。バッグを切って中にある財布をスリ取るなんて事……できる?」

「なるほどね。ペンダントを切られて、トップのコインをスリ取られたってわけか」


 みひろは小さく頷いた。


「ちょっとお待ち……」


 エーちゃんは席を立ちカウンターの中に入っていくと、奥の部屋から綺麗な模様が描かれた洒落た木箱を持ってきた。天板蓋を開くと、木箱は三段引き出し式の小物入れになっていて、色とりどりのネイルグッズが姿を現す。

 一段目は、色やサイズも様々な付け爪ネイルチップ各種。二段目はマニキュアやポリッシュ等の化粧小瓶が並んでいて、三段目は爪やすりやニッパーなど、お手入れグッズが収納されている。


「何これエーちゃん……もしかしてネイリストとかもやってんの?」

「その技能検定を取るために、若者に混じって研修に行った事もあったねえ。先生よりあたしの方が上手だったから、資格取るのもバカらしくなってバックレちまったが……ほら、右手出しな」


 私は自然と右手を伸ばす。

 エーちゃんは私の手を取ると、人差し指の爪を細いやすりで磨いていく。


「あの……今はネイルなんてしてる場合では」

「すごいです! 私、ネイルしてるとこ初めて見ます! 伊織も見て下さい。すごい速さですよ!」


 みひろは私とエーちゃんの傍まで来ると、大きな紫目を輝かせた。

 伊織さんも近くに来て、エーちゃんの手際の良さに目を見張る。


「後で私にも、してもらっていいですか?」

「……あんたみたいなお嬢様に、こんなの危なっかしくて付けらんないよ」

「そんなあ」


 爪を研ぎ終わったエーちゃんは、今度はジェルを塗ってネイルチップを重ねる。トンネル型ライトに人差し指を差し入れると、光が照射されジェルが硬化。一分足らずで、人差し指にネイルが固定された。


「あとはマニキュアをネイル全体に塗って、先端のシールを剥がせば……ほら、これで完成だよ」


 解放された右手を目の前にかざし、まじまじと指を見つめる。

 近くで見れば分かるけど、薄いネイルチップとマニュキュアのおかげで、遠目で見たらしてる事すら気づかない。すごく自然な仕上がりだ。

 もちろん、指に異物が乗ってる感覚はある。

 でもそれは、思った以上に気にならない違和感で、不精して爪を伸ばしすぎた感覚に近かった。


「藍海」


 エーちゃんはビートンのバッグを持って、私の前に立った。


「人差し指の爪先で、バッグの表面を軽くなぞってみなさい」


 それってまさか……?

 私はスリをする時と同じくらいのスピードで、バッグ表面を軽くなぞってみる。


「え?」


 丈夫な生地のブランドバッグは、指がなぞった軌跡を辿り、真一文字にばっくり割れた。

 私は再び、自らの指先にフォーカスを当てる。綺麗にカーブを描く爪の先に、わずかに光る鈍色の刃……。

 もしかして……これが!?


「このネイルチップの先端には、本革でもスパッと切れる特殊カッターが仕込んである。こいつがあれば、獲物がポケットの中だろうがバックの中だろうが関係ない。どんな生地でも切断し、中のモノをスリ取れる」


 顔を上げたそこには、百年続いた古銭商はもういない。

 昭和、平成、令和と移りゆく時代を、右手一本で駆け抜けた、本物のスリ師が立っている。


「右手の指は五本ある。一度切ったら切れ味が落ちるから、全部の指に仕込んでおいた方がいい。ブラウスなんかの薄い生地は薬指や小指を使いな。厚い生地のバッグや小物入れは、力の入る人差し指と中指がいい。そして親指は緊急用。スリ目的というよりも逃げるため、自分を守るために使う。目にぶっ刺して相手の視界を奪ったり、首に押し付けて頸動脈を切ったり……ま、使わないに越したことはないけどね」


 ドン引きする私たちを見て、エーちゃんは豪快に笑った。

 そしてみひろに向き直ると、いきなり核心を突いてくる。


「あんたはこうやって、ジルコにコインをスられたんだ」


 スリらしからぬ、正面突破で。


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