みひろは一旦お茶を飲んで喉を潤すと、持論を展開する。
「今から十四年前、有海春子さんは役所に海外転居届を提出し、数週間ほど海外旅行を楽しんだ後日本に帰国した。そして四年かけて育てた弟子のジルコさんと別れた後、懇意にしていた古銭商の元店主――ここでは便宜上『先代エーちゃん』と名付けましょう――に、コイン売買の本場ヨーロッパで暮らしてみてはどうかと提案した。店の権利書や住民票、運転免許証など、先代エーちゃんの資産と稼業全部ひっくるめて、春子さんが買い取る事にして。あなたは数か月から一年、先代エーちゃんと一緒にこの店で働き古銭商のノウハウを学んだ。その後先代エーちゃんはなんの手続きもせず、海外に旅立っていった」
昨晩聞いた時もびっくりしたが、これがみひろの導き出した推論。
ただし――、
「へへっ、面白いシナリオだが、今の時点では推測の域を出ねえぞ。そこまで言うからには、何か証拠があって言ってるんだろうな?」
エーちゃんが言う通り、この仮説は推理とも呼べない不確かなもの。
それでもみひろは、笑顔と共に胸を張る。
「藍海のお母様、万智子さんが失踪されたのは七か月前。春子さんは電話で、警察が私のところにも事情徴収に来たと言っていました。春子さんは海外転居届を出したままもう日本に住んでいない事になってるのに、どうやって警察は、春子さんの居場所を特定できたのでしょう? もし春子さんの証言が嘘だと言うなら、どうしてそんな嘘を吐く必要があったのでしょう?」
「……」
「春子さんは、最近の藍海の状況をよくご存じでした。有海邸が一晩でリフォームされたとか、葉室警備の人がご近所をウロウロしてるとか。メディア規制がかかってる現状、このような情報は、有海邸のご近所の方に聞き込みでもしない限り知り得ません。つまり春子さんは、少なくともこの街のどこかに住んでいる」
「……」
「そして極めつけが、先ほどの密室システムの稼働です。春子さんを待つ間、他のお客さんに入られて困るなら、普通に看板をクローズにして鍵をかけるだけで良かったはずです。でもあなたは窓のブラインドを全部閉めて、この部屋を外界からシャットアウトした。伊織、今のスマホの電波状況はどうなってます?」
「圏外です」
「おそらく密室システムの稼働は、電波
私も自分のスマホで確認してみる。確かに圏外になっている。
今まで何度もエーちゃんと取引してたけど、電波妨害までしてるなんて知らなかった。
「それでもあなたは密室システムを稼働した……それは、私たちを信用していないから。大事な話し合いは既に始まっていて、春子さんから携帯に連絡が入らない事を知っているから、ではないでしょうか」
みひろはそこで一旦話を区切り、静かにお茶を飲む。
特に表情に変化もなく、エーちゃんは平然と言い放った。
「どれもこれも状況証拠で、ちゃんとした証拠とは言えねぇな。全部うっかりミスでした、で済む話だ」
「仰る通りです……、ですが」
みひろは私たち二人に目配せすると、エーちゃんを正面から見据えた。
ママそっくりな紫目に、深い慈愛の想いを乗せて。
「既にお気づきの通り、私の助手・伊織は、男装を得意としています。そして藍海は凄腕のスリ師。ご同意頂けるなら、エーちゃんさんが変装してるかどうか、この場で確認する事ができると思います」
「ほう……俺が同意しないと言ったら、今度は力ずくで来るのかい?」
「いえ。それは私の主義に反します」
「ご立派な事で。じゃあどうやって俺に認めさせる気だ?」
今だ。
私はバンッと机を叩くと、前のめりでエーちゃんに詰め寄った。
やれる事はひとつだけ。この胸の内の想いを、真剣に、真摯にお願いする。
「お願い、お祖母ちゃん。私にスリを教えてほしいの」
エーちゃんは、いつもの仏頂面のまま私を見つめて……突然デレっと相好を崩した。
驚く私の前で顔を手で抑え「いひっひっひ!」と、こみあげる笑いを抑え切れずにいる。
「やられたよ……面と向かって孫娘にそんな事言われた日にゃ、さすがのあたしも、ニヤけ面が抑えられないってもんさね」
「それじゃあエーちゃん……ホントにホントなの!?」
「こういう時、バサッとマントをはためかせ、正体を明かせればカッコつくかもしれないが……現実じゃそうもいかない。まぁ古銭商のオヤジが皺くちゃババアでも、どうでもいいよと言われるのがオチだろうが」
口調どころか雰囲気すらも……エーちゃんから発するオーラが、男性から女性へと切り替わっていく。
「改めて自己紹介しよう。あたしの名前は有海春子。あんたたちの言う通り、先代店主エーちゃんからパスポート以外を全て買い上げた、古銭商の老店主。しかしてその正体は……昭和スリ師の成れの果てってね」
* * *