車で自宅に戻ると、もう日を跨ごうかという時間帯。
こんな深夜に、老婆に電話するのは憚れる。私たち三人は順番にシャワーを浴び、寝る準備を整えてリビングに集まった。伊織さんの淹れてくれたハーブティで一息つくと、今後の方針を話し合う。
「ジルコに襲撃されたのが昨日。芹沢孝也から春子さんの連絡先を聞き出したのが今日。ジルコが設定した一週間のタイムリミットまで、あと五日となりました」
伊織さんは手元のタブレットを操作しながら、テレビに表示されたタイムスケジュールを説明する。
「コインを奪われた事を葉室家に隠し通せるのも、もって一週間とみていいでしょう。それまでになんとしても春子さんとジルコを引き合わせ、みひろ様のコインを取り戻さなければなりません」
そう。コインが奪われてしまった事を、みひろは葉室家に報告していない。
コインを取り戻す事さえできれば、この失態はなかった事にできるから――とはいえ。
「あの様子じゃ、お祖母ちゃんとジルコの間になんらかのトラブルがあった事は間違いないでしょ? もしジルコの名前を出したら……お祖母ちゃん、電話切って逃げちゃうんじゃない?」
「私としても、いくらコイン奪還のためとはいえ、藍海のお祖母さまを危険な目に合わせたくありません」
私はともかく、みひろの意向を聞いた伊織さんは、顔面蒼白になってしまう。
「ですが、みひろ様。アマルガムにコインを奪われたなんて事が、久右衛門様のお耳に入ってしまったら……」
「どうなるの?」
何の気なく聞いた私に、伊織さんは人類滅亡まったなしな絶望顔を向ける。
「みひろ様はコイン回収班から外され、この家を追い出されるどころか、葉室家から永久追放されてもおかしくありません!」
「ええっ!? いきなりそんな
驚く私に、みひろは眉尻を下げ困ったような笑みを浮かべる。
「理由は様々ですが、私のような庶子でお家追放の憂き目に合った方は、これまで何人も見てきました。今回はコイン絡みで守秘義務もありますので、追放ではなく地下実験施設に幽閉……なんて事も」
「いやもうそれ、普通に追放される方がまだましじゃん!」
本気で心配する私に、まるで他人事のようにくすくす笑うみひろ。
「今は最悪の事態を想定するより、そうならないための対策を考えましょう。藍海の言う通り、春子さんとジルコの間に何かしら因縁がある以上、ストレートに会ってくれと頼むのはリスクが高いです。であれば、他の口実を考える必要があります」
みひろは膝に畳んだブラウスを、パッとテーブルの上で広げた。
制服のちょうど胸の位置にあたる生地が、スパッと真横に切られている。
「車の中でジルコに襲われた際……指抜きグローブを付けた彼は、ナイフやカッターの類を持っていませんでした。それなのに、まるで魔法のようにぱっくりとブラウスが裂け、中にあったコイン・ペンダントが飛び出しました。私の胸を一切傷つけずに、です。」
みひろは、切られたネックレスのチェーンをテーブルに置く。
「次にジルコは、プラチナ製のネックレスを切断し、ペンダント・トップごとコインをスリ取っていきました。見て下さい、この切断面を」
私はチェーンを手に取って、額の高さに掲げると、ぶらりと下がった切り口をまじまじと見た。
まるで工業用カッターで切られたみたいに、切断面がつるつるになっている。
「薄手のブラウスを、生身を傷付ける事なく真一文字に切る技術……鉄の二倍硬いプラチナ合金を、切り口も綺麗に切断する技術。どちらも専門のハサミや特殊カッターが必要なはずで、同じ刃物でできるとは思えません」
「つまりジルコは、
「おそらく」
二人の言う通り、ジルコは
それでも私は、恐怖よりも興味を覚えてしまう。
「私も、みひろのペンダントをスリ取った経験があるからよく分かるよ……あのコイントップの金具は、パッと見だけじゃ外し方が分からない。だから私は、ネックレス込みでスリ取ったの」
伊織さんにネックレスを渡すと、私はみひろと初めて会ったあの夜を思い出す。
「あの時私は、みひろの手を強く引っ張った。みひろが前につんのめってバランス取ってる隙に、首後ろにあったネックレスの留め具を、外しやい首横にズラしたの」
髪に隠れた位置では、手探りで留め具を外さなきゃならない。
だからまず、見える位置にネックレスの留め具を持ってくる。その後タイミングを測って留め具を外し、ネックレスごとペンダントをスリ取る。言わば二段階スリだ。
でももし私に、ジルコと同じスキルがあれば、わざわざ留め具をズラす必要はない。ネックレスを切ってしまえばいいわけだから一回で済む。その分バレるリスクも減る。いい事ずくめ。
人様のモノに傷をつける……そこに抵抗がないのなら。
私もジルコも、スリである事は間違いない。
でもそのやり方……信条とでもいうべきか。
スリ行為に対する超えてはいけないラインが、私とジルコでは圧倒的に違う。
「こんなチェーンを切ってスっちゃう技術があるんなら……チャック付きのハンドバックに入ってる財布だって、簡単にスれるはずよ……」
ここまで鮮やかな手口を見せつけられると、もう認めざるを得ない。
ジルコは私より、高度なスキルを持つスリであると。
でもそれが恐怖に繋がるわけじゃない。なんとゆうか……身体の奥底から湧き上がってくる、高揚感?
まだまだ足りないと気付かされる。自分でもできないか試してみたくなる。
これを向上心と言うのなら、罪悪感は遥か遠くに置き去りになってしまう。
いけない。これはスリなんだ。ホントはやっちゃいけない事。やってはいけないからこそ……ワクワク感が止まらない。
ハッと気づくと、みひろは私をじっと見ていた。
頬を赤らめ、興奮したように笑ってる私の横顔を。
「藍海……この技術、習得してみませんか?」
「え?」
このままじゃ、大変な事になっちゃうのは目に見えてるのに。
みひろはいつも、自分より私の事を考えてくれていて――、
「ジルコが
まるで自分の事のように。
心から、嬉しそうに。
* * *