次の日の夜。
「ただいまぁ……」
覇気のないオジサン声が玄関から聴こえるも、リビングにいる妻子は誰一人出迎えに行こうともしない。
それもそのはず。中学生の娘二人はみひろが語るセレブ生活を夢中になって聞いてるし、奥様も私たちの突然の訪問で、おもてなしの準備に大忙しだ。
「表に車が止まってたけど……どうした? 今夜はやけに賑やかじゃない……かっ!?」
孝也叔父さんは、自宅リビングのソファーでくつろぐ見知った親戚の女子高生を見て、固まった。
私は挑戦的な笑みを浮かべると、お淑やかな声色で挨拶する。
「おかえりなさい、叔父さん。お仕事お疲れ様でしたぁ」
「あ……藍海ちゃん? どうしてウチに?」
「おかえりなさい、あなた。藍海ちゃんがね、どうしてもあなたに相談したい事があるって。こんな時間まで待っててもらったのよ。それと、藍海ちゃんのお友達の――」
奥様の紹介を待つまでもなく、みひろは立ち上がり深々お辞儀する。
「初めまして、芹沢さん。わたくし、葉室財閥当主・葉室久右衛門の孫娘、葉室みひろと申します」
「はっ、葉室財閥総帥の……まごむすめっ、さまっ!?」
叔父さんは二、三歩後後ずさると、動転のあまり持ってた鞄を落としてしまう。
「はい。まさか藍海さんのご親戚に、葉室商事にお勤めの部長さんがいらっしゃるなんて。是非一度ご挨拶させて頂きたいと思い、無理を言って付いてきてしまいました。ご迷惑じゃなかったでしょうか……?」
お淑やかさでは私の数段上を行くみひろの、ロイヤル笑顔に気圧されたか。叔父さんはパンクな
「そんなっ! 迷惑だなんてそんなっ! 狭い家で恐縮ですが、どうぞごゆるりとおくつろぎ頂ければ……とっ!?」
ペコペコ頭を下げる叔父さんの前で、私は京風小鞠のキーホルダーを、これ見よがしに回してみせる。
「そんなに時間は取らせないわ、叔父さん。私が訊きたいのは、この鍵の事。これ、どこで手に入れたの?」
「あっ、えーと? そんなカギ、初めて見るかなぁ~……なんて」
「あっそ」
私は中学生の娘二人に振り返ると、鍵を見せて訊いてみた。
「ねぇねぇ、この鍵に見覚えない?」
「えー? これウチのカギ? 私、見た事ないよ」
「このキーホルダー可愛い! お父さんのなの?」
女子中学生二人の前で、私は悪い顔して囁いた。
「実はこれ、私が夜一人で帰ってきた日にね、君たちのお父さんがね……」
「待った待った! 思い出した! 思い出したからっ‼」
父親の突然の大声に、二人の娘のみならず奥さんまで、奇異な視線を送ってくる。
みひろはパンと柏手を打ち、拝むように奥様に話し掛けた。
「そうそう、そうでした! 旦那様は車にお詳しいとの事で、ぜひ外に停めてある私の車を見て頂きたかったのです! 奥様、少しだけ旦那様をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「えっ、車でいらしてたんですか? もしかして、運転手さんもいらっしゃいます?」
「いえ、お食事等はお構いなく。用事が済みましたらすぐにお
二人の娘と奥様に引き留められながら、私とみひろは叔父さんと一緒に玄関を出て、家の前で待機してた車の後部座席を開ける。最初にみひろ、次に叔父さん。最後に私の順で乗りこむと、運転席の伊織さんがドアをロック。それと同時に透明な窓ガラスに色が付きはじめ、目隠し用のスモークが張られた。
うら若き女子高生二人に両脇を固められ、叔父さんはすっかり縮こまっている。みひろはさっきとは打って変わり、冷たい口調で話しかけた。
「幸せそうなご家族で、羨ましい限りですわ。もっともその幸せが、いつまで続くかは……芹沢さん、あなたの心がけ次第ですが」
「だから! あれはただの合鍵だ! 私が預かってただけだ」
「そんな事は分かってるわ。私が訊きたいのは、叔父さんはあの鍵をどこの誰から手に入れたのか。もし正直に言わなかったら……」
運転席の伊織さんが、振り向きざまにスマホのメール作成画面を見せつける。
「現在葉室商事でオープンになってる海外転勤先は、パキスタン支社と、アフリカのキャンプカーオフィスの二つです。芹沢部長はどちらに転勤希望を出されたいですか?」
「わかった、ちゃんと言うから! その鍵は……万智子さんのお母さん、有海春子さんから預かったものだ!」
やっぱり……思った通りだ。
親戚連中に嫌われてたママが、叔父さん夫婦に自宅の鍵を預けるはずがない。万が一あったとしても、こんなお婆ちゃん好みのキーホルダー、ママも叔父さんも付けるわけがない。
となれば、京風小鞠のキーホルダーを付けたのはお年を召したお婆ちゃん――母方の唯一の親戚・春子お祖母ちゃんくらいしかいないわけで。
これで、有海春子に繋がる細い糸をなんとか手繰り寄せる事ができた。
「春子お祖母ちゃんは今どこに住んでるの? 連絡先は?」
「どこに住んでるかまでは知らないけど、連絡先なら……はい、これだ」
叔父さんは自分のスマホを取り出して、アドレス帳アプリを表示した。伊織さんは「失礼」と言ってスマホを受けとると、画面の電話番号をメモ。助手席に置いてあったパソコンに、叔父さんのスマホを接続する。
「なっ…何をする!」
「スマホデータのバックアップを取らせて頂きます。今後藍海さんや私たちに非協力的、もしくは破廉恥な行為を取れば、中のデータを徹底的に調査します。葉室商事社員として不適切なデータが見つかれば、証拠と一緒に取締役会に速やかに報告します」
「そ、そんな……」
「もちろん、清廉潔白な叔父さまなら不適切なデータなんて持ってるわけないし、私たちに非協力的で破廉恥な行為をする事も、ありえませんよね~ぇ?」
手首を捻りながら作り笑いを見せる私に、叔父さんは白い歯カタカタ言わせながら、小刻みに何度も頷く。
その様子を見て、みひろが優しく問いかける。
「春子さんから、有海邸の合鍵を預かった経緯について、詳しくお話してもらえませんか?」
しどろもどろになりながら、叔父さんが話してくれたのは大体こんなところだ――。
叔父さんはパパの葬儀で、初めて春子お祖母ちゃんに会った。
葬儀会場の隅っこで、見た事ない老婆が佇んでいるのを見て、叔父さんは気になって話しかけたそうだ。その人こそ有海春子、私のママ・有海万智子のお母さんだった。
喪主の実母が、旦那を失い悲嘆にくれる娘孫と距離を置いている……つまり気まずい関係であると察した叔父さんは、その場でその事に触れなかった。代わりに何かお手伝いできる事があればと名刺を渡したところ、お祖母ちゃんからも名刺をもらったそうだ。こうしてお祖母ちゃんの携帯番号をゲットした叔父さんは、後日有海邸と私の事を相談するため、電話をかけた。
その時、お祖母ちゃんから私を説得するようお願いしたが、事情があって会う事はできないと言われてしまった。その代わり、有海邸の合鍵を郵送するから、そっちで話し合ってほしいと頼まれた。
その後有海邸に上がって待ってたら、帰って来た私に追い出され、鍵まで無くしてしまったわけで。
とりあえずお祖母ちゃんには知らせず、時間を置いて私が冷静になった頃に、また話し合いに行こうと思っていた。
との事。
つまり、叔父さんがお祖母ちゃんと会ったのは、葬儀の日の一度きり。
名刺に住所は書いておらず、何処に住んでるかも分からないと言う。
期待してた住所は分からなかったものの、携帯番号だけは入手する事ができた。
奥様の作った料理は叔父さんが全部平らげると約束させ、私たちは叔父さんを解放、有海邸に戻っていった。
* * *