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4-04 スリ

「少し前に日本に戻って来た俺は、ババアが昔住んでた杉並区の一軒家を見に行った。だがそこに家はなく、代わりにでっかいマンションが建っていた。その足で杉並区役所に確認したところ、有海春子は十年以上前に海外転居届を出していた事が分かった」

「という事は、現在も海外にいらっしゃるのでは?」

「へっ……あのコテコテ昭和な婆さんが、外国暮らしなんかするわけねえ。海外転居届も、税金対策で国外に出たってだけで、数週間で戻ってきたんだよ」

「どういう事ですか?」

「上流階級のお嬢さんは、競馬って知ってるかい?」

「もちろん。日本の公営ギャンブルの一つで、競走馬レースの事ですよね?」

「そうだ。そして、これはあまり知られてないんだが……競馬ってのはギャンブルの癖に、儲けすぎると税金を払わなくちゃならない。一世一代の大勝負で億単位の金をゲットしても、半分は税金で持ってかれちまう」

「それはそれは……世知辛い世の中ですね」

「それがそうでもないのさ。もし払い戻しを受け取った人間が、海外転居届を出していたらどうなる? 住民票がなきゃ納税義務は発生しない。誰かが国税庁にチクったとしても、納税義務のない者に税務調査は行われない」

「つまり春子さんは競馬で大儲けした後、海外転居届を出して出国した。ほとぼりが冷めた頃帰国し、現在も帰国届を出さず日本に住み続けている」

「そうだ」

「でもそれだと……競馬に勝った日の戸籍は日本にあったわけで。税金逃れはできないのでは?」

「それが面白いとこでな……あのババアはレース前に海外転居届を出してから、払戻金を受け取っている。つまり有海春子は、自分に大金が転がり込んでくる事を事前に知っていて、キッチリ節税対策してたってわけだ」

「どうして自分が競馬で大勝ちすると、事前に分かるんです?」

「スッたんだよ、八百長かましたヤクザの親分から。不正で儲けた払戻金十億円の、当たり馬券を」


 私は思わず口を挟む。


「スッた……? 私のお祖母ちゃんもスリって事っ!? それって何年前の話よ?」

「十四年前、俺がまだ十五のガキだった頃の話だ。ババアに小遣い渡されて、場外馬券場でヤクザのオッサンに体当たりかましてやったのが、この俺ってわけさ」


 そう言えば……いつだったかママから聞いた憶えがある。

 ママのママも、私と同じような特技を持ってるって……!?


「オッサンはひっくり返り、俺は走って逃げようとしたが取り巻きのヤクザに捕まった。俺はその場でボコボコにされ裸に剥かれた挙句、当たり馬券を持ってないかケツの穴までほじくり返された。そこで初めて、あのババアにスリの片棒担がされた事に気付いたんだ」


 我が祖母ながら、強引なスリの手法に舌を巻く。

 相手は取り巻き連中を従えるヤクザの親分……当たり馬券もバッグか何かにしまいこんで、換金所まで持っていこうとしたに違いない。

 その鉄壁の防御を、子供を使って強引に隙を作り、一瞬でスリ取るなんて……。


「復讐が目的で、春子さんを探しているんですか?」

「まさか。そりゃあん時は心底ムカついたが、俺はババアに頼まれた事を一切ゲロしなかった。ヤクザにボコボコにされてもな」

「どうしてです?」

「ババアに貸しを作るためだ」


 そうだ……ジルコとお祖母ちゃんは近しい関係だった。私の事、散々聞かされたって言うくらいなんだから。

 何よりこの人のスリは、私と同じかそれ以上……という事は。


「当時の俺はなかなかにヘビーな環境にいてな。生きてくために何かしらスキルが必要だった。ヤクザにババアの事をチクっても、一銭の得にもなりゃしねえ。だが黙っときゃ、ババアに貸しが作れる。スリの技術をモノにできりゃ、一生食うに困らねえってな」

「それで春子さんが帰国した後、あなたは弟子入りした。藍海も同じく、春子さんからスリの手ほどきを受けていると信じ込んでいた……」

「そうだ。なんでも孫娘にとんでもない才能の持ち主がいるとかで、弟子入りした当初は何かと比較されバカにされてきたが……あのババア、自分も会ってなかったとは」


 私には分かる。

 きっとママが、私とお祖母さんを会わせないようにしてたのだろう。

 だって――、


『藍海の右手は、神様がくれた天賦の才ギフテッド。だから自分のために使っちゃダメ。人を助けるためだけに使うと、ママと約束して』


 ――二人が出会ってしまったら、最愛の娘がスリになってしまうから。


「結局俺は、四年ほどババアの特訓を受け独り立ちした。と言えば聞こえはいいが、とある事件がきっかけでな……」

「何があったんです?」


 逡巡してるのか、ジルコは答えない。三人の視線が一台のスマホに集中した、その時。

 車の窓ガラスが一斉に悲鳴を上げ、粉々に砕け散った。


* * *


 ヒビ割れながらなんとか枠にしがみついていた窓ガラスも、外から革手袋のパンチを喰らい、あっけなく突き破られた。その手がドアロックを解除する。

 私は襲撃に備え身構えていたものの、男はドアを開き私の顔を確認しただけで、そのまま背を向け立ち去ってしまった。


「みひろ! 伊織さん!」

「お嬢様! 藍海さんも! 大丈夫ですか?」


 私たちは互いに声を掛け合う。

 運転席の伊織さん、隣に座ってるみひろも同様の襲撃を受けてたけど、どうやら無事なようだ。肩を震わせショック状態のみひろを、後ろから抱き締める。


「大丈夫? みひろ、怪我はない?」

「はい……その、怪我はないのですが」


 こちらに向き直ったみひろを見て、愕然としてしまう。

 彼女の制服ブラウスは、横に真一文字に裂けていて、下着と胸の谷間が露わになっていた。

 そして……大きな胸の谷間に頼りなげに横たわる、ペンダントのチェーン。

 コインが嵌めこまれていたトップフレームが……無くなってる!?


「私を襲ってきたのはジルコだったようで……すみません。コインをスられてしまったようです。

「なんですって!」


 伊織さんが大きな声を出すと同時に、スマホから勝ち誇ったジルコの笑い声が聞こえる。


「ははははっ! 驚かせてごめんよ。昔から口約束は信用できない性質たちでね、コインは預からせてもらった。返してほしければ、一週間以内にババアを見つけて連れてこい。もしできないなら、このコインはアマルガムに渡す事にする」

「あなたはアマルガムより、春子さんを見つける事を優先してたんじゃないんですか?」


 みひろの必死な呼びかけに、電話の向こうのジルコはニヒルな声を響かせる。


「俺がアマルガムにいる理由は、ババアを探すためだ。だがアマルガムも俺を雇ってる以上、結果を求めてくる。コインを手に入れるという、分かりやすい結果をな。あんたらがババアを連れてくるってんなら、俺はアマルガムを去ったっていい。あんたらにコインを返してやっても構わないし、有海万智子の居場所を教えてやったっていい」


 私はごくりと唾を飲みこむと、恐る恐る訊いてみる。


「もし私たちが、お祖母ちゃんを見つけられなかったら……?」

「無能と判断し、コインはアマルガム上層部に渡す。俺は引き続き、俺のやり方でババアを探していくさ。アマルガムのコネクションを使って、ゆっくりとな」


 ジルコがそこまで執着し、探し求めるお祖母ちゃん。

 いったい二人の間に、どんな因縁があるというのだろうか?


「……結局のところジルコ、あなたは蒐集家コレクタなの? お祖母ちゃんに会って、それでどうするつもりなの?」

「コインが手に入った以上、その質問に答えてやる義理はない。やるかやらないか。どっちだ?」


 間髪入れず、みひろが答える。


「もちろんやらせて頂くわ。必ず春子さんをお連れするので、そのコインはあなたが大事に持ってなさい」

「いい返事だ。スマホの電源は切っておけ。次電源を入れる時はババアを見つけた時。分かったな」

「ええ、分かったわ」

「それじゃ、いい報告待ってるぜ。ギフテッドのお嬢ちゃん」


 その言葉を最後に、通話は切れた。

 すっかり風通しがよくなった車内で、私たちは互いの顔を見合わせるしかなかった。


* * *


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