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4-02 090


 私とみひろは合気庵のバイトを一時間早く切り上げ、迎えに来た伊織さんの車に乗り込んだ。そのまま新宿歌舞伎町のライブハウス『ジルコTOKYO』へ向かう。

 首都高に入ると、伊織さんはこれまでに分かった情報を共有してくれる。


「コイン探索班に確認したところ、一応このライブハウスの存在は知っていました。資本関係を洗ったところ、アマルガムはもちろん海外資本は一切入ってない事を確認済みです。それが理由でアマルガムとは無縁の施設と結論付け、それ以上の調査は行われてない状況でした」

「でしょうね……」


 みひろは探偵モードに切り替わり、顎に指を添え何やら考え込んでいる。

 いたたまれなくなった私は、伊織さんに頭を下げた。


「すみません。ライブハウスの名前を見るまで、すっかり忘れてました……」


 去り際、ジルコがスマホと一緒に投げ捨てたセリフ――『ほらよ、返してやる。東京で待ってるぜ』

 私はすっかり、近いうちジルコから東京のどこかに呼び出しがあるものとばかり思ってた。

 あれがもし『ジルコTOKYOで待っている』を意味してたのなら……少なくとも現場も見ず、書類上の確認だけで済ませていいとは思えない。


「藍海さんが謝る必要はありません。私ももジルコの発言は現場で聞いてましたし。それが根拠で都内のアマルガム拠点をやっきになって探してたわけですが……まさかそんな分かりやすい形で、店名を表していたなんて……」


 運転席の伊織さんは、言葉に悔しさを滲ませる。


「ま、まだそうと決まったわけじゃないですけどね……」

「いいえ。九分九厘、間違いないでしょう」


 フォローを入れる私に被せるように、みひろが重い口を開いた。


「そもそもあの方は、一度も自分で名乗ってません。ただスマホのアドレス帳、名前欄に『ジルコ』と打っただけです」


 言われてみれば確かにそうだ。

 電話番号だって契約されてないものだったし、名前が偽名じゃない保証もない。


「そもそもアマルガムとは、水銀と他の金属を混ぜ合わせた合金の総称です。ジルコという名前は宝石ジルコンを連想させますし、いかにもアマルガム構成員が付けそうな名前です。白人ハーフの名前がカタカナでも違和感ないですし……そういう人の先入観を、上手く利用した暗号だったのでしょう」

「……面目次第もございません」


 今度は、伊織さんが小さい声で謝った。私は不思議に思ってしまう。


「どうして伊織さんが謝るの? ジルコ探索は、コイン探索班の仕事じゃないの?」

「いえ、そういう事ではなく、その……」


 珍しく言い淀む助手に、みひろは圧を帯びた笑顔を向ける。


「もちろんー! こーんな初歩的な謎解きはー! 氏立探偵である私がインターネットで検索すればー、立ちどころに判明してしまうカーンターンなものですがー?」


 みひろの歌うような大声に、伊織さんはハンドルを握ったまま猫背になって前傾姿勢。分かりやすく縮こまる。


「どういうわけか伊織はー、私にぜーったいスマホを与えないという暴挙に出てるわけでーっ!? 一ヶ月も進捗なしで、これはどーかと思いませんかー? ねーっ、あーいみっ!」


 みひろは嬉しそうに私の腕に抱きつき、運転席にべーっと可愛い舌を出す。

 うっわー。スマホ買ってほしいただの子供じゃん……。


「伊織さん……これはさすがに、買わないわけにはいかないんじゃないですか?」

「分かってます。ですが、外界に免疫のないみひろ様がスマホを持ってしまったら……どんな悪影響があるか心配で」

「私もう十七歳ですよ!? 伊織だって、この機会に外の世界に触れるのはいい事だって、言ってくれたじゃない!」

「それは、学校に通ったりアルバイトしたりする事で、インターネットで世界の暗部に触れる事じゃありません!」

「そんなもの、私が見にいくわけないじゃないですか!」

「えっちな自撮り写真をSNSにアップしたり、承認欲求を満たすような投稿も……」

「しません! とにかく、今度こそスマホは買ってもらいます! 私だって学校のお友達と、夜中にメッセのやり取りとかしてみたいんですっ!」


 結局それかよ……まぁ今日も瑞穂にも言われてたし、気持ちはわからんでもないけど。


「とりあえずスマホ問題は置いとくとして。みひろはジルコの残した携帯番号――『090-7432-7415』について、どう推理してるの?」

「今はまだなんとも言えませんが、どうして『090』なんだろうと引っかかってはいます」

「どゆこと?」

「090が携帯番号の頭番号として登場したのは一九九九年。その後番号枯渇のため二〇〇二年に080、二〇一三年に070が割り当てられました」


 いつものように人差し指を躍らせて、みひろは何も見ずにすらすら説明を始める。


「スマホも持ってないのに、よくそんな事知ってるね」

「最近のお嬢様は私のスマホを借りて、スマホの事ばかり調べていますから……」


 よっぽど欲しいんだね、みひろ。可愛いなあもう。


「当然、今新しくスマホを契約すれば、ほとんどの場合070が発番されます。それなのにジルコが書き残した番号は090。これはなぜか」

「ジルコは昔日本にいて、海外に引っ越して最近帰って来たばかりだから知らなかった……とか?」

「それも考えられますが、実際この番号は契約されてないものです。もしこの数字が携帯電話番号を装った何かの暗号だとすれば、前述の通り070にしておいた方が無難です。でもジルコはしなかった。それはなぜか。070や080では意味が通じなくなる、090でなければいけない事情が、あったのではないでしょうか?」


 話してる間に、車は首都高を下りて国道に合流した。しばらく進むと、新宿区役所の正面玄関前に到着する。

 向かって左側に区役所の正面玄関があり、道を挟んで右側、向かいのビル案内板に『ジルコTOKYO』の文字が見える。

 ちょうどライブが終わったタイミングなのだろう。通りに面した地下に続く階段から、何人もの若い女性が地上に上がってくる。みんな楽しそうに話しながら表に出ると、ほとんどの人が二階へ続く階段の下、一階通路奥に設置されてるコインロッカーに向かっていく。


「どうしますか? とりあえずライブハウスの従業員と、お話してみます?」

「……とりあえずこのまま。お客さん全員いなくなるまで、ここで待機してましょう」


 みひろはじっと、車の中からお客さんの様子を窺っている。私も真似して、彼女たちの様子を観察してみた。

 『ジルコTOKYO』は狭いハコらしく、一〇〇人入ればかなりキュウキュウとネットに書いてあった。そのためお客さんは一階のコインロッカーに手荷物を預けるか、少し割高な料金を支払って、ライブハウスのカウンターに預かってもらうシステムになっている。

 その情報通り、お客さんのほとんどは一旦通路奥のコインロッカーに向かい、バッグを手に駅方面へ去っていく。最後の一人が見えなくなると、みひろは私たちに振り返った。


「伊織はここで待機して下さい。私と藍海で様子を見てきます」


 私たちは車を降りると、道路を渡って『ジルコTOKYO』の前に立った。

 地下のライブハウスはイベントの片付けをしているみたいで、開けっ放しの扉の中から、ドタバタと片付けの音が聞こえてくる。

 私が階段を降りようとすると、後ろからみひろに呼び止められた。


「藍海、そっちじゃないです。こっちこっち」

「え?」


 みひろは、二階に続く階段の下を指差す。

 奥まった通路の両壁には、鍵の付いたボックスばかりのコインロッカーが並んでいる。


「ライブハウスの人に話を聞くんじゃないの?」

「それはもういいです」


 紫の瞳に自信の光を宿し、みひろは当然のように言い放つ。


「090の謎が解けました」


* * *


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