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4-01 ライブハウス

 チーン。

 古めかしいチャイムの音と共に一階ランプが点滅から点灯に変わり、エレベータのドアが開く。

 出てきたのは、背の低い一人の老婆。

 エレベータを降り正面玄関へ向かう足取りはしっかりしたもので、なぜ片手に杖を持ってるのか不思議に思うくらいだ。

 老婆は玄関扉を開け薄暗い商店街裏通りに降り立つと、ふと今出てきたビルを振り返った。


 各階案内板の一番上に『古銭買取店 エーちゃん』の文字。その横には、センスの欠片もない虹色フォントで『ブランドバッグ高価買取受付中!』とテプラが貼り付けられている。

 老婆は一つ溜息を零すと、誰に言うでもなく呟いた。


「有為転変は世の習いと言うが……中古バッグの修理転売で稼いでるなんて、カッコ悪いったらありゃしない」


 一人で愚痴っているとすぐ隣のピンク看板のお店から、よれよれスーツのサラリーマンと肌の露出度が極めて高いキャミソールを着た女が現れた。店の敷居を境に笑顔で手を振り合う二人は近くの老婆に気が付くと、そそくさとそれぞれの居場所に戻っていく。


「ま、あんなとこに出入りされるよりは、幾分マシかも分からないけどね」


 呆れ口調とは裏腹にどこか機嫌よく「へっ」と鼻を鳴らすと、老婆は細い路地裏を抜け、夜の歓楽街へ消えていった。


* * *


 葡萄ぶどうの季節も終わりを告げる十月下旬、昼休みの校舎裏。


「藍海……私、とんでもないものをもらってしまったのかもしれません……」


 紅葉舞い散る大樹の傍で、下ろしたばかりの冬制服に身を包んだみひろが、ほんのり頬を染めている。

 両手を後ろに回し、くねくねとその身を捩るたび、胸の巨峰がゆさゆさ揺れる。

 おーい。ここにまだ収穫してない葡萄があるぞーい。


「とんでもないものって?」

「そんな事……私の口からは言えません。当ててみて下さい」


 腰を曲げ、上目遣いで私を見つめると、はにかんだような笑顔を見せる。

 どうやら背中に回した両手に、その『とんでもないもの』を隠し持ってるようだけど……まさか。

 いやいや、まさかっ!?

 スマホ全盛のこの時代に……ラブレターとかっ!?

 ううん、みひろなら十分ありえる。


 学年どころか全校生徒合わせても、ぶっちぎりの可愛さとスタイルの良さを誇るみひろは、いまだ自分のスマホを持ってない。

 みひろとお近づきになりたい男子どもは、メッセ交換もままならず、直接話そうにも私や瑞穂含めた女子友に阻まれ近寄れない。

 ならば最後の手段と、最も古典的で確実に本人に届く方法――下駄箱ラブレターを実行に移しても、不思議じゃない! むしろ古風なみひろには、そっちの方が好印象与えるまであるっ!


「うふふっ、さすがの藍海もお困りのようですね。それじゃあヒントは……愛です!」

「あいっ!?」


 そんなド直球なヒント、出されても!

 自分で発した『愛』というワードに思うところがあったのか。みひろは秋晴れの空を見上げ、感慨深げな長嘆息。

 いやもうこれ、クイズ形式の恋煩こいわずらい、聞かされてるようなもんじゃない!?


 夏美さんのコイン――タクトシュトックを回収したのが、ちょうど一か月前。

 その後、八雲さん率いるコイン探索班も懸命に調べてくれてるみたいだけど、新たな蒐集家コレクタ候補は見つからず。ジルコの行方も知れず。ママの居場所も分からない。

 こうもナイナイ尽くしの状況じゃ、私たちコイン回収班も動きようがない。学校通ってバイトしての繰り返しで、拍子抜けするほど平穏な毎日が過ぎていく。

 でもみひろにとって『平穏な毎日』は、何より新鮮で刺激的らしく。

 普通の女子高生ライフを満喫するのはいいんだけど……だからって女子高生らしく、彼氏とか作ってる場合じゃなくないっ!? 私だって、彼氏いた事ないんだからねっ!?


「藍海はこういう経験……した事ありませんか?」

「ど、どういう経験?」


 人差し指と中指を、桜色の唇に押し当てて、ほんのり頬を赤くしたみひろは遠くを見つめている。


「唇が少し触れただけで、ドキドキするんです。気付いた時にはもう、私の舌にこれでもかってくらい絡んできて……。不覚にも私は、その甘いくちどけの虜となってしまったようです……」


 舌に絡んでって……それってディープキスって事!?

 ラブレターもらうどころか、キスされるとこまでいっちゃってんの!?


「どうしましょう藍海。私、こんな事初めてで……すごく動揺してます。この胸焦がす情動を、どう抑えたらいいのでしょう!? もういっその事、伊織にそのまま伝えようかと……ううんダメダメ。こんな事、口が裂けても言えません」

「一旦落ち着こう、みひろ。恋は盲目って言うでしょ? 今はちょっと、目が眩んじゃってるだけだよ」

「こい? そうですね……やはり私は、恋に落ちてしまったんですね……この、紅茶ガッテンに!」


 背中からバッと差し出された手には、五〇〇ミリリットルのペットボトル。

 ベージュ色のラベルには『紅茶ガッテン ロイヤルミルクティー』と書かれている。


「これは本場イギリスのティーパーティでも滅多にお目にかかれない、究極のロイヤルミルクティーです! 煮詰めた牛乳に合わせた茶葉が、まろやかな飲み心地とほのかな甘味を醸し出し、私の舌を甘やかに蕩けさせてしまいました。上品な茶葉の香りが鼻腔をくすぐると、自動販売機から出てきたばかりというのに、優しい温もりがじんわり胸を温めてくれます。そしてその味たるや、薄汚い校舎裏が、ロンドンのアフタヌーンティーサロンかと錯覚してしまうほどの衝撃で!」


 恍惚とした表情で、ペットボトルに頬ずりしてるみひろ。すごいね紅茶ガッテン。お値段わずか一六〇円。

 手間暇かけて高級紅茶を淹れてくれる伊織さんに、今のみひろはとても見せられない。


「あははははっ! そんなに気に入ってくれて私も嬉しいよ、みひろちゃん」


 後ろで見守ってた瑞穂が、笑い涙を指ですくいながら近づいてくる。


「そういやみひろちゃん。紅茶ガッテンにはレモンティ、ピーチティ、白ぶどうティ。沖縄限定のシークゥーサーティなんてのもあるんだよ?」

「本当ですか!? それは聞き捨てなりません! 瑞穂さん、週末は空いてらして? 沖縄で爆買いしましょう。いえ、沖縄ならパスポートもいりませんし、早速今日の放課後にでもプライベートジェットで――」

「今日もバイトあるでしょ? それにそんなのイマドキ、ネットで買えるし」


 私はスマホを取り出して、ショッピングサイトで検索する。

 紅茶ガッテン沖縄限定シークゥーサーティの商品ページを見せると、みひろは目を丸くした。


「紅茶だけに、アイティー革命って事ですね!」

「誰がうまいこと言えと」


 肩寄せ乳擦り付けてくるみひろにかされながら、目についたご当地紅茶ガッテンを片っ端からカートにぶちこんでいく。これが続々ウチに届いたら……伊織さん、絶対微妙な気持ちになるよなあ。まあ私宛だからいっか。

 私たちの様子を呆れ顔で見守ってた瑞穂は、みひろに進言する。


「みひろちゃんはさ、プライベートジェットよりスマホの方が必要なんじゃない? 女子高生がメッセできないとか、人生八割損してるよ」

「前に家の人にお願いしたら、ブラックペリーを渡されそうになりました。セキュリティがどうとかで、皆さんとはメッセできないって言われちゃいました」

「古い洋画の大統領みたいでカッコいい! でもそれじゃ、意味ないよねぇ」


 瑞穂の憐憫の目に、みひろはしゅんと肩を落とす。

 葉室家専属の氏立探偵みひろは、私と一緒に暮らすまで、葉室家以外の人と直接連絡を取り合う事がなかったらしい。当然スマホも不要なわけで、メールや電話のやりとりは全部、助手の伊織さんが間に入ってくれたそうだ。

 コイン回収のためとはいえ、世間一般の学校に通うのもかなり難色を示されたらしいし……なぜ葉室家は、みひろを外の世界に触れさせたくないんだろう? 今時スマホなんて、小学生だって持ってるってのに。


「あ、そうそう。紅茶ガッテンいっぱい買うんなら……藍海、これスマホで読み込んでみ」


 瑞穂は、自分が飲んでるペットボトルラベルのQRコードを見せてくる。


「何これ?」

「今まで紅茶ガッテンのCMに起用されたバンドが集結して、限定ライブやるらしいんよ。そのチケットが当たるキャンペーン。藍海が好きって言ってたバンドも出るみたいよ?」

「マ? いいの?」

「いいっていいって~。私そういうの興味ないし、どうせ一口じゃ当たんないだろうし。いっぱい買うんならこれも足しにしときなよ」

「ありがと~!」


 早速スマホでQRコードを読み込み、専用サイトへ飛ぶ。ライブの出演情報を確認すると贔屓のバンドはもちろん、他にも人気バンドが目白押しで、俄然興味をそそられる。


「すごいけどこれ、めっちゃ倍率高そう……場所は歌舞伎町かあ」

「ちっさいハコだけど、その分近くで見れるから限定感あるよねー」


 私はスマホ画面を下にスクロールして、ライブ情報を目で追っていく。

 なるほどね。完全招待制でお客さんの数を絞ってやるから、こんな小さなライブハウスでもできるわけ――ねっ!?


「ライブって、コンサートと何が違うんですか?」

「え? うーん、なんだろ。人種?」


 瑞穂がみひろの質問に困ってると、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

 私達は食べ終わったお弁当箱を片付け、校舎に戻っていく。

 下駄箱で瑞穂が靴を履き替えている間に、私はみひろの袖を引っ張って、さっきのスマホ画面を見せた。


「なんですか?」

「ここ、見て」


 新宿歌舞伎町にあるライブハウス。

 そこには、『ジルコTOKYO』と名前が載っていた。


* * *



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