目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
3-14 追走

 乾いた音が耳に届けど、夏美さんが頬を抑えて倒れていても、にわかには信じ難い。

 誰よりも優しく、温厚で、冷静沈着なみひろが……平手打ちを放ったのだから。


「私の事をどうなじってもらっても構いませんが……藍海さんを泥棒呼ばわりする事だけは、断じて許しません!」


 紫目に浮かぶ涙もそのまま、みひろは夏美さんの胸倉を掴む。


「神様からスリの才能をもらったとして、あなたは人のお金をスりますか? これは神様がくれた幸運だからと言い訳し、平気で人からモノを奪い取れるんですか!?」


 みひろの迫力に言葉を失い、夏美さんは顔をそむけた。


「私たち蒐集家コレクタはまだいいです。コインさえ取ってしまえば、心の奥底に眠る薄汚い欲求を、実行に移さずに済みますから。でも藍海さんは違う」


 みひろは夏美さんの顎を掴み、強引に前を向かせる。

 金貨の右目をこれでもかと近づけ、食い入るように睨みつける。


「藍海さんの右手は外せない。そのために、彼女が掲げてるルールをご存じですか? 私利私欲に走らないために、天賦の才ギフテッドをドブに捨てる覚悟でそれを守ってる事を、あなたは知っているんですか?」


 夏美さんの瞳に、涙が溢れてくる。

 私はみひろに駆け寄ると、開いた背中に抱きついた。


「もういいよ。ありがと、みひろ」

「藍海さん……」


 みひろは手を離した。床に座って泣きじゃくる夏美さんに、秋人さんが駆け寄る。

 夏美さんは顔を上げると、掠れた声を絞り出した。


「藍海ちゃん……酷い事言って、ごめんなさい」

「……うん」

「コインは、あなたたちに預けます」


 みひろと顔を見合わせる。それだけで以心伝心、ほっと胸を撫で下ろす。


「ありがとね、夏美さん」


 初めてのコイン回収は紆余曲折あったけど、これにてミッション・コンプリート!

……と思っていた矢先、伊織さんの叫び声が部屋にこだまする。


「みひろ様!」


 勢いよく部屋の扉が開け放たれると、目出し帽を被った黒ずくめの男が数人入ってくる。


「藍海さん!」


 男はみひろに気が付くと、拳銃を前に突き出す……が、私はそれを咄嗟にスリ取った。

 ついでに小手返しで手首を極め相手の自由を奪うと、次々やってくる目出し帽の男達に投げつける。

 でもその時にはもう、秋人さんと夏美さんは捕まって、部屋の外に連れ出されていた。


「藍海さんこちらに! 早く!」


 背後から伊織さんの声が聞こえると同時に、乾いた銃声が部屋を揺さぶる。

 私は走って逃げると横倒しになった長机の陰に、頭から飛び込んだ。

 先に逃げてたみひろが、勢いよく滑ってきた私の手を取り、引き寄せてくれる。それと同時に、机に銃弾の雨が浴びせられた。


「あいつら! 夏美さんと秋人さんを連れてっちゃった!」

「彼らはアマルガムの戦闘員です。どうやって葉室警備の包囲網を突破して……」


 リロードで机の陰に引っ込むと、伊織さんは悔しそうに呟いた。

 その間にバタバタと連中が逃げてく音がして、すぐに葉室警備隊が駆けつける。


「申し訳ありません、井ノ原警部。アマルガムを手引きした内通者がいたようで、包囲網を突破されてしまいました!」

「内通者?」

「岡島春彦です。トラックで建物に横付けすると、荷台からアマルガムの構成員が出てきました。ヤツは裏で、アマルガムと繋がっていたんです!」


 みひろは青い顔して警備員をせかす。


「アマルガムと裏取引しようとして、騙されたのでしょう。急いで彼らを追って下さい。なんとしても夏美さんたちを取り返して下さい!」

「はっ!」


 みひろは、私と伊織さんに振り返る。


「私たちも急ぎましょう。夏美さんはコインを持ってません……もしそれがアマルガムの知るところとなれば、殺されても不思議ではありません!」


* * *


 走って建物から外に出ると、サーキットは蜂の巣をつついたような大混乱に陥っていた。

 逃げ惑う人々、怒号とタイヤの軋む音……何がどうなってるのかさっぱり分からない。


「複数のトラックが、同時多発的に暴走を始めたようです。その混乱に乗じて逃げられました!」


 報告に来た警備員の後ろから、複数の警備員に運ばれてきたオジサンが、アスファルトに投げ捨てられた。


「この男が、誘拐犯のトラックから落ちてきました」


 連れて来られたのは、ぼろぼろの服で顔面もところどころ腫れている、岡島家の父・春彦さんだった。


「すまない……私が浅はかだった。夏美と秋人を回収したら、私だけトラックから蹴落とされてしまった……」

「やつらはどこへ?」

「ジムカーナ駐車場方面に走って行った。どうか二人を助けてくれ……頼む! この通りだ」


 土下座する春彦さん。おそらく好条件を餌にアマルガムに協力し騙されたのだろう。

 だが今は、そんな事追求している場合じゃない。


「藍海さん! 後ろに乗って下さい!」


 振り返ると、伊織さんがレースに使ったバイク――トリプルアールに乗って横付けしてきた。みひろが私の背中を押す。


「コインを交渉材料に使ってもらって構いません。とにかく、夏美さんたちの安全を最優先に!」

「分かった!」


 慌ててタンデムシートに跨ると、伊織さんの腰に手を回す。

 バイクはタイヤを鳴らして、とんでもないスピードで飛び出していった。


* * *


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?