黒眼帯の結び目を解くと、片手で眼帯全体を覆うように包み、ゆっくり目から外す。
右目は左目と同じ紫目に戻っていて、コインは眼帯と共に、みひろの手の中に収まっていた。
「コレクタは、自分の意思でコインを外す事ができます。眼帯ですらこんな感じで、コインを見られる事なく外せるのです。夏美さんはヘルメット脱ぐ瞬間コインを外し、中のインナーパッドを直すフリしてヘルメット内部にコインを隠した。秋人さん、あなたが自作したヘルメット内部の、コイン台座に嵌めこんでね」
「なっ……違う! あれは……最近のヘルメットは耳部分にインカムスピーカーを仕込むための窪みがある。あの台座は、そのへこみを埋めるために造っただけだ!」
「なるほど? それは安全性向上のためですか?」
「そうだ!」
大声で反論する秋人さん。
その隣で夏美さんは、必死に言い訳する兄を不安そうに見上げている。
「それはおかしいですね……」
今度はみひろではなく、伊織さんが物言いをつける。
「夏美さんのヘルメットは髪型が崩れないよう、内部にベンチレーションライナーを入れていると聞きました。そのために、ワンサイズ大きなヘルメットを使ってるとも。安全性を優先するなら、髪型が崩れようともジャストサイズのヘルメットを使うべきだし、例え大きなヘルメットを使ったとしてもインナーパッドを増やし、窪み穴もパットで埋めればよかったのでは?」
更にみひろが、畳みかける。
「そういえばレーススタート直前、ヘルメットのバイザーを上げた夏美さんは、私と藍海さんに笑いかけて下さいました。口角を上げ、とても愛らしい笑顔で。本番前なのに随分余裕があるなと違和感を覚えましたが、その違和感は態度ではなかった事に、後から気づかされました」
「え……?」
夏美さんは顔を上げ、不安な顔を覗かせる。
「伊織」
「はい」
伊織さんは自分のフルフェイス・ヘルメットを取り出すと、その場ですっぽり被った。
「笑ってみてください」
伊織さんはバイザーを全開にし、にこっと笑ったようだったが……私たちからは多少目が細まったくらいにしか思えず、笑ったかどうかの判別ができない。
「レースで使われるフルフェイス・ヘルメットは、インナーパッドで頬や顎が圧迫され押し上がってしまうくらい、ジャストサイズが好まれます。とはいえ人の頭の形はそれぞれですし、被ってみて痛いところがあればパッドを薄くし、隙間があればパッドを増やし調整します。つまりヘルメット装着時は表情筋を動かす余裕なんて全くなく、笑った際に口角が上がるなんてありえないのです」
みひろが説明してる間も、伊織さんは笑顔を作ろうと必死に顔を動かしている。しかし、私たちから見えるバイザーの中の伊織さんは、鼻の筋と両目だけ。パッドで抑えつけられた表情筋は動かしようがないし、見てても笑顔には見えない。
「にも関わらず、夏美さんはヘルメットを被った状態で口角を上げ笑っていました。ワンサイズ大きなヘルメットを被っていても、インナーパッドは夏美さんの頬に軽く触れる程度。わざと隙間をもたせているとしか思えません。これはなぜでしょう?」
「それは……以前のスポンサーのリクエストだ。夏美の髪型が崩れたり笑顔が見えないのはイメージダウンに繋がるって言われて、それでカスタマイズしたまでだ。スポンサーが離れた後もそれで不都合があったわけじゃなし、買い替えるにもコストがかかるからそのまま使ってただけだ」
以前のスポンサーが、夏美さんの容姿にこだわっていたのは聞いている。
だからといってライダーの生死に直結するヘルメットを、お金がかかるからの理由だけで元に戻さないのは矛盾に思えてしまう。
「それに……もしメットの中にコインを隠しておくスペースがあったとしても、レース中に取り出す事なんてできないだろ!? さっきみたいにコイントスしなきゃ、夏美の耳には貼り付かないんだから」
「その通りです。それが最後の謎でした」
みひろは人差し指を立て、絡まった謎を紐解いていく。
「どうやって夏美さんは、ヘルメットを被ったまま内部に収納したコインを回転させ、耳に貼り付けたのか……いくらヘルメット内部にスペースがあったとしても、中でコインを回転させるなんて不可能です」
「だろ!? いくら難癖つけようが、無理なものは無理なんだよ!」
「普通に考えればそうですが……幸い私は自分のコインを持ってますので、すぐに実験する事ができます」
みひろは自らのコインを両手で摘まむと、コイントスの動きをスローで再現し始めた。
コインの表と裏を何度も指でひっくり返しつつ、コインを上方に持ち上げていく。
「普通コイントスと聞くと、皆さんサッカーのキックオフを思い浮かべます。コインは指で弾かれ、このように縦回転しながら飛び上がる。この回転運動がかかると、
実際にコインを指で弾いて見せると、プロビデンスアイはみひろの右目の中に収まった。
「次にコインに、横回転を加えてみる事にしましょう。一般的なコイントスではこのような回転はありえませんが……」
みひろは目からコインを取り外すと、今度はコインを机と垂直に立てて、コロコロとタイヤのように転がしてみせた。
コインは机を転がって床に落ちる寸前、突然方向転換し、みひろの右目に戻っていった。
「このようにコインは、縦回転でも横回転でもコレクタの元に飛んでいきます。そこに一早く気付いた秋人さんは、ヘルメット内で手を触れず、コインを横回転させる方法を思いついた」
もはや秋人さんは、何も反論もできない。
青い顔で妹の肩を抱き、唇をぷるぷる震わせながらみひろの話を聞いていた。