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3-11 トリック

「おめでとうございます、夏美さん、秋人さん。お二人の信頼関係があってこそ、あのような素晴らしい走りができるわけですね」


 サーキット傍の管理局に用意された別室で、みひろは二人を褒め称えた。

 しかし夏美さんと秋人さんは引きつった笑顔を浮かべるだけで、心ここにあらずといった様子だ。


「ありがとうございます。あの、それでお兄ちゃんは……」

「はい。私に二言はございません。夏美さんと一緒に秋人さんにも、新しく結成されたチームに加入頂きたいと思います!」

「ありがとうございます。じゃあ私たちこれで……」

「え? もう行ってしまわれるんですか?」


 素っ頓狂な声を出すみひろに、秋人さんは焦れたような、ぶっきらぼうな声を上げる。


「マシンの整備や片付けが残ってる。早く戻って作業がしたい」

「それでしたら、お気になさらずとも結構です。葉室工業の者が、パドックの後片付けをしておりますので」

「なっ……勝手な事するなっ!」


 憤慨し部屋を出ていこうとする秋人さんだったが、伊織さんが黙って扉の前に立ち、退出を許さない。


「どけっ! 急いでるんだ!」

「レースが終わってから、ずっと何か探しものをしてたみたいですが……」


 みひろの声を背中で受けて、秋人さんの肩がびくっと跳ねる。


「お探しモノはこれで、お間違いないでしょうか?」


 秋人さんが後ろを振り返ると同時に、私はポケットの中のコインを取り出した。

 表面は、フランスを擬人化した女神マリアンヌ。

 裏面は――、指揮棒を口に咥えたべートーヴェン。聴覚のコイン<タクトシュトック>を。


「藍海ちゃん……どうして?」

「な、なんだ。あんたたちが拾ってくれたのか。それは俺の大事なものなんだ。返してくれ」


 動揺を隠しきれない兄妹に、みひろは静かな声で語り始める。


「これは錬金金貨クリソピアコインと言って、葉室財閥が海外から持ち帰った貴重なコインです。不幸な事故でどこか遠くへ飛んでいってしまったため、私たちはこれを探していました」

「ううっ……」

「夏美っ!」


 夏美さんは真っ青になって、その場にしゃがみこんだ。

 すかさず秋人さんが駆け寄って、震える肩を抱き寄せる。


「このコインを指で弾くとその持ち主――蒐集家コレクタの身体に貼り付き、異能と呼べるほどの聴覚と、鋭敏な五感をもたらします。聴覚のコイン<タクトシュトック>はおそらく、夏美さんの耳に貼り付き、特別な力を授けていたのでしょう」

「知るかっ! そのコインは俺が拾ったんだ。お守り代わりに持ってただけだ!」


 私は二人の前に歩み寄ると、目の前でコインを弾いてみせた。

 コインは上空に飛び上がると、急に方向転換して、夏美さんの左耳へ向かっていく。

 ぶつかったと思った瞬間、コインは真ん中からぐにゃりと曲がり、左の耳たぶを包みこんだ。

 まるで黄金のイヤーカフを付けてるみたいに。


「夏美っ……!」


 秋人さんが妹を立たせようとするも、私はすぐに右手を飛ばし、彼女のコインをスリ取った。

 瞬間移動したみたいに私の指に収まるコインを見て、二人は呆気に取られている。


「藍海さんの前では、コインを隠す事も持ち去る事もできません」


 みひろの説明を聞いて……岡島兄妹は、まるで幽霊でも見たかのような顔で私を見つめる。

 その驚愕と恐怖の視線に、罪悪感が頭をもたげる。


 考えてみれば……こうして人にバレてもいい状況で、スリを働いたのは初めてだ。

 スられてしまう恐怖を前にすると、人はこうも怯えるものなのね……。

 神様からもらった天賦の才ギフテッド――そう言ったら聞こえはいいが、結局はスリの手にすぎない。

 姑息で、卑怯で、汚らわしい右手。

 そう思うと、急に自分が邪悪な犯罪者になったように思ってしまう。


「くそっ。あんたがコインをスったってわけか……でも、だからなんだっつーんだよ! コインが勝手に夏美の耳に飛びついてきたんだ。俺たちが盗んだわけじゃねぇ」

「その通りです。しかし、コインがもたらす異能に気付いたあなた達は、その力を使って大分ロードレースで優勝した。それはアンフェアなやり方だったと思いませんか?」

「異能? なんの事だいそりゃ」


 ここまできて、スッとぼける秋人さん。

 みひろは無言で立ち上がり彼の前まで歩み寄ると、黒眼帯をズラし右目を見せた。

 コインの瞳にたじろぐ秋人さんの胸を指でつつき、恥ずかしそうに告げる。


「私の異能は透視です。ここに小さいほくろが二つ、ありますよね?」


 バッとみひろの手をはたくと、秋人さんは夏美さんを抱きかかえたまま後ずさる。


「ふんっ……だからなんだってんだ。夏美が異能を使ってレースに勝ったなんて証拠、どこにもないだろ!? 今日だって、夏美はコインを付けてない。こんなイヤリングみたいなもん付けてたら、レースじゃ失格になっちまうからなっ!」


 虚勢を張る兄に肩を抱かれたまま、夏美さんは立ち上がる事すらできずにいた。

 ただ床に座って、焦点の合わない目で二人のやり取りを聞いている。


「その通りです。ライダーは、サーキットに私物を持ち込んではならない。レース直前のプレスインタビューやライダー同士の交流の場では、ヘルメットも被ってない。いよいよレースが始まる段になってようやくメットを被るけど、そこでコイントスなんてしようものなら、私物を持ち込んだとして失格になってしまう。衆人環視のスタートグリッドで、隠れてコインを身に付ける方法なんてない……」


「そうさ。大分のレースで優勝した時の映像にも、夏美がパドックに戻ってきてヘルメットを脱ぐ様子が映ってる。金のイヤリングなんて付けてなかった事は、一目瞭然だ」


 秋人さんは自信満々言い放つも、みひろは黒眼帯を付け直し、断言する。


「そのトリックは簡単でした。こうすればいいのです」


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