前に出たのは伊織さん。有利な直線で差をつけると、車体を傾かせ第一コーナーをクリアする。
しかし、車体を起こし次のカーブへ侵入しようとした時には、夏美さんがすぐ後ろに付けていた。
コーナー侵入時にバイザーを閉める余裕を見せると、夏美さんのマシンは伊織さんのインを突き、一気に前に躍り出た。
その後の連続カーブもひらりひらり。華麗な体重移動で駆け抜けると、排気量で上回るトリプルアールを置き去りにする。
直線に入ると伊織さんはアクセルを開け差を縮めるものの、コースの八割を占めるカーブで置いていかれる。
この繰り返しでは勝負にならず、じりじりとその差は広がっていく。
結局、最終ラップで夏美さんがゴールするまで伊織さんが追いつく場面はなく。非公式ながらこの日の夏美さんの走りは、コースレコードを上回るタイムを計測した。
夏美さんがウイニングランを終えパドックに戻ってくると、チーム岡島は歓声を上げ彼女を出迎える。
夏美さんはバイクを降りるとヘルメットを脱ぎ、飛びこんできた家族一人一人と、熱い抱擁を交わした。
その笑顔に――、金のコインが貼り付いてるはずもなく。
隣に立ってるみひろが何も言わないという事は……プロビデンスアイの透視をもってしても、夏美さんの身体にコインを見つける事ができなかったという事だ。
レース中チーム岡島のパドックに入った葉室財閥化学班が、マシンに注入されたオイルとガソリンを調べたが、支給されたもので間違いないとの報告も上がっている。
これで岡島兄妹どちらも、コレクタじゃない事がはっきり分かったわけだ。
「コレクタじゃなかったのは残念だけど、これなら夏美さんも、新チームで結果を残してくれそうじゃない?」
「そうかもしれませんね」
みひろは微笑を浮かべて、歓喜に湧く岡島家を見つめていた。
その中心には、カフェで話した時と同じくふわふわのショートボブを揺らし、屈託なく笑う夏美さんがいる。
ホント美人さんだし、葉室財閥が支援していけば成績も上がって、彼女の人気も再燃するだろう。
私たちも、初めてのコイン回収で色んな事が学べた。次に本物の
この経験は決して無駄じゃない。何より、夏美さんたちを悲しませる結果にならなくて良かった。
「申し訳ありませんでした、お嬢様。まったく歯が立たなかったです」
私とみひろがチーム岡島を見守っていると、レーシングスーツを着た伊織さんが戻ってきた。
ヘルメットで潰れたのだろう。髪形が歪なアシンメトリーになっていて、いつもの凛々しさが五割減になっている。
「お疲れ様、伊織。全力で走ってくれて感謝しています。これで夏美さんの実力が、抜きんでてる事を確認できました」
「という事は、やはりコインは見つからなかったと……」
みひろは無言で頷く。私は櫛を取り出して、伊織さんに振って見せた。
「お疲れ様、伊織さん。髪の毛すごい事になってるよ? 直してあげようか?」
「ありがとうございます。でも櫛は大丈夫です。ヘルメットで乱れた髪は、シャワーでも浴びない限り直らないものなので……」
「そういえば伊織さんって、ベンチレーションライナー使ってないの?」
「なんですか? それ」
「えーとね……夏美さんも使ってる、ヘルメット頭頂部に仕込む緩衝材らしいよ。ワンサイズ大きなヘルメットに仕込んでおけば、髪とヘルメットの接地面を減らして、髪型が崩れにくくなる効果があるみたい」
「へぇ、今はそういうのがあるんですね。だから夏美さん、髪型が崩れないのか……」
「そうそう。そういうのに気を遣ってるのも美人の証だよね。ヘルメット被ってても可愛いし、取ったらもっと可愛い。そんな女の子、そうそういないと思うもん」
その時、後ろからみひろが私の肩をガッと掴んだ。
振り返ると、みひろは俯き、聞き取れない声でぶつぶつ呟いている。
「え? なに?」
「……藍海さん」
みひろはゆっくり顔を上げると、笑顔を共に歓喜に満ちた紫目を輝かせる。
「出番です」
* * *