数日後。
「藍海ちゃーん!」
オシャレなカフェのオープンテラスでスマホを見ていた私は、車道から名前を呼ばれた。
振り向くと、バイクに乗った藍海さんが左手をブンブン振って猛アピールしている。
「夏美さーんっ!」
私は立ち上がって手を振り返すも、そのタイミングで信号が青になったみたいで、バイクは通り過ぎた後だった。お客さんの奇異の目が私に集中し、愛想笑いを浮かべ座り直す。
まったく。こんなオシャレなカフェに呼び出しといて、自分はバイクで来るなんて。
窓に映る、歩くブランド女と化した自分を見て、私は小さく溜息を吐いた。
夏美さんとの待ち合わせ場所が有名ブランドのアパレルカフェと知ったみひろは、伊織さんと一緒になってファッションショーを開催した。
なんとかカジュアル路線は死守したけど、このコーデ、総額いくらになるのやら。
うっかり飲み物でも零したらどうしようと思うと、カフェにいるのに全然リラックスできない。
そんな事を考えていたら、ライダースジャケットにヘルメット持った夏美さんが店内に入って来た。手刀の切っ先を眉間にぶつけながら、向かいの席に座る。
「ごめんねー、いきなり呼び出しちゃって。迷惑じゃなかった?」
「いえ。私も直接会って、色々お話したいなって思ってました」
「そう? よかったー。あ、私アイスティーでお願いします」
夏美さんはメニューも見ずに注文を終わらせると、ライダースジャケットを脱いで空いてる席の背にかけた。ヘルメットも座席に置いて足を組むと、とてもバイクに乗ってやってきたとは思えない、ゆるふわ系オシャレ女子に早変わりしてしまう。
「やっぱり夏美さんて、カッコ可愛いですね」
「えー何よそれ。どっちつかず?」
「だって、バイク乗ってる時はカッコいいし。降りたら可愛いし」
さっきまでオシャレなカフェに違和感バリバリなライダー姿だったのに、今はふわふわショートボブにタイトなロンT、ジーンズを着こなす美人さんだ。こういうのが、いわゆるギャップ萌えって言うんだろうなあ、ずるい。
「えへへ、ありがとう。でも藍海ちゃんも女子高生なのに、葉室財閥ご令嬢の秘書をやってるんでしょう? そっちの方がカッコ可愛いじゃない?」
「メッセでも言いましたけど、私の役目は秘書というよりお嬢様の話し相手です。みひろちゃんはいつも公務で忙しくって、放課後クラスメイトとお喋りする時間もありません。だからアルバイトの私を秘書兼ボディーガードとか言って、強引に連れ回してるだけなんです」
夏美さんは目を丸くすると、我慢できずに吹き出した。
「あはははっ、葉室グループのご令嬢ってホント、マンガに出てくるようなお嬢様だよね。今回の契約だって、偉そうなオジサン一人も出てこないし。伊織さん……だったっけ? 彼もまだ若いんでしょう?」
「二十七歳って聞いてます」
「やっぱりアレ? ご令嬢とイケメン執事の、禁じられた恋……みたいな?」
「えーっと、それはなさそうかなあ」
開幕早々、女子高生みたいな会話に辟易するも、私は何も知らない風を装った。
その後も夏美さんは、みひろの事を根掘り葉掘り聞き出そうとするが、適当な理由を付けて受け流す。
やがて夏美さんから笑顔が消え、真剣な表情で訊いてきた。
「えとね……実はお願いがあって、例の契約についてなんだけど……」
「はい」
「やっぱり私だけじゃなく、家族みんなでってわけにはいかないかな?」
やっぱり、その話ですよねえ。
葉室陣営の中で、唯一話が通じそうなの、私だけだしねえ。
「私もよく分からないですけど、みひろちゃんも事情があってそういう風にしてるんだと思います」
「でも、藍海ちゃんはみひろさんのお友達でしょ? ダメ元でいいから、そういう風にしてあげた方がいいんじゃないって、お願いしてもらえないかな?」
「それはまぁ、夏美さんのお願いなら言ってみますけど、あまり期待はしないで下さいね」
「ありがと、それだけでも助かるよ!」
夏美さんは拝むように両手を合わせると、ストローを咥え愚痴モードに入る。
「ほら、みひろさんって少し世間離れしてるってゆうか、浮世離れしてるってゆうか……。ゴスロリ黒眼帯なんて、コスプレ以外で初めて見たし。正直私とは住む世界が違いすぎて、分かってもらえないと思うんだよね……」
正直すぎる感想に、思わず私も苦笑い。
みひろも好きで、ゴスロリ黒眼帯してるわけじゃないんだけどなあ。
中二病の痛い子みたいに思われてて、ちょっとかわいそうになってくる。
「でも、夏美さんから直接言ってもらった方が、熱意は伝わると思いますよ」
「そうだね。今度葉室邸にお呼ばれしてるし、その時話してみる」
「すみません。私じゃお役に立てそうになくて」
「ぜんぜんぜんぜん! それに今日お茶に誘ったのも、藍海ちゃんとお友達になりたかったのがメインだし」
「私と?」
「うん。だって藍海ちゃん、初めて会った時もそうだけど、めっちゃオシャレじゃん! 今日だってすっごい気合入ってて可愛いし……服好きなんでしょ? あたしも好きでー、バイク降りても普通に街中歩けるファッションにこだわってるんだ!」
そういえば、パドックでは秘書に見えるよう、葉室財閥に高級ブランドスーツを
下手に服の話題になってボロ出す前に、夏美さんを褒め倒す事にしよう。
「そういえば夏美さんの髪って、どうしていつもふわふわしてるんですか?」
「え? これ?」
夏美さんは、ショートボブの毛先をくるんと指に絡ませた。
「いえ、あの。大分ロードレースの優勝インタビューでも、先日のテスト走行直後にお会いした時も、今日だって……夏美さん、メット脱いでも髪がふわふわしてるから。何かコツがあるのかなって」
「あはは、よく見てるね」
夏美さんは座席に置いてたヘルメットを取ると、中から格子状のパッドを取り出した。
「コツはこれ。ベンチレーションライナー」
「なんですか、それ?」
「ヘルメットの頭頂部に仕込んでおく、シリコン製の緩衝材よ。ヘルメットって頭全体に圧し掛かるから髪がぺしゃんこになっちゃうの。でもこれは、表面が凸凹してるから髪との接地面が少なくなって、普通に被るより髪型が崩れにくくなる」
「なるほど! それは女子ライダーのマストアイテムですね!」
「レースで使ってる人はいないと思うけど……私の場合、前のスポンサーに『見た目もちゃんと気を遣え』って言われちゃって。お兄ちゃんがこれ見つけてきて、ワンサイズ大きいメットに取り付けてくれたんだ。それで気に入って、今ではプライベートのメットにも使ってるってわけ」
「夏美さんって、お兄ちゃん子ですよね」
「そうだねぇ。お兄ちゃん、いつも私の事一番に考えてくれて、助けてくれて……。だから、これからも一緒にやっていきたいなーって思ってるんだ」
ヘルメットを戻すと、夏美さんは私の両手を取った。
「だからお願い。もう藍海ちゃんだけが頼りなの。お兄ちゃんだけでもみひろさんが用意する新チームに入れてもらえるよう、説得してくれないかな?」
みひろは、コインのあるなしに関わらず、岡島一家は葉室財閥の庇護下に置かなきゃいけないと言っていた。
もちろんそれを話すわけにはいかないけど……家族と離れ離れになりたくない気持ちは、私にもよく分かる。
「はい。夏美さんの思いはちゃんとみひろちゃんに伝えます。きっと大丈夫だと思いますよ」
「ホント!? ありがとう、今日はじゃんじゃんおごっちゃう! パフェ頼む? それともクレープ?」
美味しいスイーツに舌鼓を打ちながら、私は心に決めていた。
コインのあるなしに関わらず、夏美さんと秋人さん――二人が引き剥がされるような事にはならないようにしよう。そのために必要な事は全部やろう。
たとえそれが、夏美さんからコインを奪う事だとしても。
* * *