みひろはひとつ咳払いをすると、はっきりした口調で説明する。
「本気で世界を目指すのであれば、夏美さんには今より良い設備、マシン、複数の優秀なメカニックが必要です。申し訳ありませんがご家族の皆さんは、新しいチームのスタッフとして迎え入れる事ができません」
ずーんと重い空気が漂うも、誰の口からも反論は上がらない。彼らも分かっているのだ。
全国のサーキットを巡って争われる国内最高峰のオートバイレース――全日本ロードレース選手権に、岡島家のような家族だけで参戦しているチームなんて、皆無だという事を。
特にJ-GP3と呼ばれる排気量二五〇CC以下クラスは、レースに特化したバイクでの参戦が必須となっている。
町のバイク屋さんが保安部品を外して参戦する、アマチュアレースとはわけが違う。
レースのためだけに造られたレース専用マシンを、規定のパーツのみで構成しセッティングする、高度な技術と知識が必要だ。
それでも、チーム岡島がここまで家族運用を改めなかったのは、プロデビューから夏美さんを支援してきた大手スポンサーの意向が大きい。
女子高生ライダー夏美さんの家族思いは当時メディアで大きな話題になってたし、スポンサー各社も、好感度の高い彼女をこぞって自社CMに採用した。
もちろん、それで勝てるほどオートレースは甘くない。
入賞どころか出場権利さえ危うい成績となってしまった夏美さんは、近年メディアの露出もめっきり減って、スポンサーも続々と契約を打ち切った。
今の彼女は誰が見ても落ち目のライダーで、同業者の間ではレース引退まで囁かれていた。
ところが先月の大分ロードレースで、夏美さんは予想外の初優勝を飾った。しかもぶっちぎりのトップでコースレコード更新ともなれば――、八雲さん率いる葉室財閥コイン探索班が、
無理はないのだが……。
まさか葉室財閥のグループ企業がスポンサーに名乗りを上げて、仲良し家族を無理やり引き剥がそうとするなんて……。
背筋を伸ばし涼しい顔で座ってるみひろを見ていると……これも作戦とはいえ、やっぱり私とは違う人種のように思えてしまう。
重苦しい沈黙を破ったのは、秋人さんだった。
「少し考える時間をくれないか? 契約書も、ちゃんと読みこまなきゃならないし」
「そんなの、読むまでもないよ。お兄ちゃん」
兄の言葉に被せるように言うと、夏美さんはキッと鋭い視線でみひろを睨む。
「申し訳ありませんが、この件はおことわ――きゃっ、もがっ、もがもがっ!」
言いかけたところで、父母兄がすごい勢いで夏美さんに飛びつき口を塞ぐ。
なんとか取り繕おうと、秋人さんは引き攣った笑顔を浮かべた。
「すみません! ちょっと先に、家族だけで話し合わせてもらえませんか? こいつもなんか混乱してるみたいで、わけわかんない事口走っちゃってますんで!」
「んー、んー! ギブッ……ギブッ!」
遠慮のないスリーパーホールドに耐えきれず、兄の腕を連続タップする妹さん。
みひろは若干引きつつも、笑顔を絶やさず承諾する。
「分かりました。私どもとしましても、双方納得した上での契約を望んでいます。本日はこれで失礼しますが、また日を改めてお返事聞かせて頂きたいと思います」
岡島一家にお辞儀をすると、私たちは一緒にパドックを出る。
背中越し、夏美さんの怒声と秋人さんの弁明が聞こえてくる。本当に仲の良い兄妹みたいで、自然と笑みが零れてしまう。
それはそうと。
私は我慢できず、歩きながらみひろに耳打ちする。
「コイン、見つかった?」
「いいえ」
みひろは黒髪をなびかせて、首を横に振った。
そのまま黒眼帯と一緒に右目のプロビデンスアイのコインを外すと、胸のペンダント・トップに収納しひとつ息を吐く。
「懸念してた革製のレーシングスーツはなんとか透視できましたが……見える範囲で夏美さんの身体のどこにも、コインはみつかりませんでした」
「テスト走行直後のアポなし訪問だったし、隠す時間もなかったわけだから……これはもう、シロって事?」
「結論を出すのはまだ早いですが、その可能性が高いかもしれません。夏美さんは、私たちがコインを知ってる事すら知らないわけですから。もし直前までコインを使ってたとしても、ポケットに入れるか身に着けたままかの、どちらかでしょうし」
「そのことですが……」
伊織さんが、遠慮がちに会話に加わる。
「一般的なライダー用レーシングスーツに、ポケットは付いていません。走行中の空気抵抗を避けるため、余分な装飾は極力排除するよう作られてるはずです」
「そうなんですか?」
それは知らなかった……というか、それを知ってる伊織さんは何者なんだ。
「なるほど……でしたら、身に着けてないのは当然ですね。仕切り直しまでに作戦を考えておきましょう。伊織、次のアポの候補日時をメールで調整しておいて」
「かしこまりました」
「あ……だったら、ちょっと待っててよ」
「それは構いませんけど……藍海さん?」