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3-02 女性ライダー

 伊織さんの運転するベンツで再び葉室家の敷居をまたぐと、またもメイドによる儀式が始まる。

 これも慣れてしまえば、お風呂に入る手間が省けていいかもと思ってる自分がいて……セレブに慣れるのも考えもん。


 お揃いの白いワンピースに身を包んだ私とみひろは、前回と同じ大講堂に通された。

 もちろん前回と同じく、部屋の壁には遠巻きに見知らぬオジサン達が私達を見守ってて。

 前回と違うところは……今夜は最初から八雲さんが待っててくれた事だ。


「二人とも、夜遅くに呼び立ててすまない。来てくれてありがとう」

「八雲さんこそ。リモートでご説明戴いてもよろしかったのに」

「こんな生活していると、人と会うってだけで楽しみでね。ましてや藍海さんは、葉室家の外の人。前回はちょっとしか話せなかったから、面と向かって色々話したかったんだよ」

「分かります! 私も藍海さんと暮らしてて、毎日が刺激的な事ばかりですよ」

「みひろはいいなぁ。僕も君たちの家に遊びに行きたいぐらいだよ」


 八雲さんの笑顔に、私は黙って会釈を返す。

 彼の病気を知った今『ぜひ遊びに来てください』と軽々しく言えない自分がいて、少し歯がゆい気分だ。

 八雲さんは「それはさておき」と前置きし、ポケットからリモコンを取り出した。

 周囲の透明アクリル板の前に、武骨なシャッターが下りていく。

 私はエーちゃんの自動密室システムを思い出した。そりゃやっぱり、こういうのもあるよね。


「では早速、今回調査してもらう二枚目のコレクタ候補について、説明しよう」


* * *


 隣でジェット機でも飛び立ったかと思うよな、耳をつんざくエキゾーストノート。

 もっと違う場所の方がいいんじゃないかって思ったけど、案外内緒話というものは、静かな会議室よりうるさい場所――例えばここ、サーキット脇のチーム待機所パドックみたいなトコの方がいいのかもしれない。

 だって、目の前の四人家族が一斉に驚愕の声を上げても、隣接する他レースチームのパドックには聞こえてないみたいだし。


「あの、本気で言ってます……?」

「もちろん」


 黒眼帯にゴスロリルックのみひろは涼しい微笑みのまま頷くと、派手なレーシングスーツに身を包んだ女性ライダー――岡島夏美さんに、声を落として囁いた。


「葉室工業株式会社は、岡島夏美さんと可能な限り早期にスポンサー契約を結びたいと思っています。詳細は契約書をご確認頂きたいのですが、簡単に申し上げますと――マシンとレーシングスーツに弊社ロゴを付けて頂く代わりに、J-GP3エントリー費、マシンメンテ費、人件費、他レースに関わる一切の費用を、スポンサー料としてお支払いします」


 夏美さんが座るパイプ椅子の後ろでは、彼女の両親が立ったまま分厚い契約書をめくり、口々に「本当だ……」「こんな好条件で……」と呟いている。

 そんな両親とは対照的に若い兄妹――メカニックの兄・秋人さんと、ライダーの妹・夏美さんは、無言で互いの顔を見つめあていた。やがて小さく頷き合うと、夏美さんはみひろに切り出す。


「すごく有難い話ですけど……私たちまだ全日本選手権のJ-GP3クラスで、世界選手権のMOTO GPには参加資格がありません。それでも本当にいいんですか?」

「もちろんです!」


 間髪入れずそう答えたのは、みひろ……ではなく、男装執事の伊織さん。

 秘書っぽい黒スーツにタイトスカートの私と違い、モーニングスーツに白手袋、ベストとタイでビシッと正装してる。


「先日開催された大分ロードレースでの優勝……私、とても感動しました! 夏美さんならきっと、日本人女性初のMOTO GPライダーとしてチェッカーフラッグを受ける日が来ると、葉室グループは信じています!」


 主人の右斜め後ろで直立するイケメン執事は、興奮気味に声を張った。

 隣に立つ私と目の前の岡島一家が、ぽかーんしてしまうくらいの熱量で。

 夏美さんは両手人差し指の先端を擦りつつ、恥ずかしそうに礼を言う。


「ありがとうございます……でも大分のレースは今年初めて勝ったレースだし、これまでの戦績を考えると、今シーズンは総合優勝どころか入賞も無理だと思うんですけど……」

「確かに、来シーズンのMOTO GP参戦は難しいでしょう。それでも! 日本人女性ライダーで世界に挑戦できる可能性があるのは、夏美さんをおいて他にいません! 我々は今年来年の話をしてるのではなく、二年後三年後を見据えた上での契約をご提案しています!」


 イケメン執事の熱のこもった答弁に、夏美さんは頬を朱に染めて、ふわふわのショートボブを指で梳いている。

 分かる、分かるよその気持ち。イケメン執事にこんな直球で褒められたら、そりゃ恋の予感のひとつやふたつ感じちゃうよね。

 中身、女の人だけど。


 それにしても夏美さん……十九歳って聞いてたけど、私やみひろと同い年と言われても信じてしまいそうなくらい、童顔キュートで可愛らしい。さすが十六歳でプロデビューした当時、『美人すぎる女子高生ライダー』として、メディアに引っ張りだこだっただけある。


「素直に喜べよ夏美。これは今まで頑張ってきたお前と、家族みんなへのご褒美だよ」

「お兄ちゃん……」


 夏美さんの隣に座る兄・秋人さんは、妹の肩を叩いてその苦労を労った。

 後ろに立つご両親も、涙を浮かべて自慢の兄妹を見守っている。

 誰が見ても仲の良い、幸せ家族を前にして……やばい。鼻の奥がツンとしてきた。


「そうだよね……これでまた家族四人、レースを続けていけるもんね!」


 そう言って夏美さんが後ろを振り向くと、岡島夫妻は顔を曇らせた。

 その様子に驚いた秋人さんが、父・春彦さんの手から契約書をひったくると、冒頭の文面を指と目で追っていく。


「本契約はバイクレーサー岡島夏美との個人契約で……必要な機材、スタッフ、マシンは、スポンサー葉室工業によって過不足なく提供される……?」


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