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3-01 二枚目

「ぐはあっ!」


 蕎麦処『合気庵』の店先で、中年オヤジが空中を一回転。腰から地面に落ちるところを、お情けで尻まで回してやった。

 地面に尻餅を付いてきょとんとするオヤジを、作務衣の腰に両手を付いて覗き込む。


「お客様ぁ~あ? 来るお店を間違えていませんか? ウチの店員おさわり禁止なんですけど?」

「なっ……違う! 俺は注文したくて、肩を叩いて呼び止めただけで……」

「じゃあどうして! 私が通りがかってもスルーして、みひろちゃんばっか何度も何度もタッチするのかな!?」

「そっ、それは~……」

「帰れ! 二度と来るなっ!」

「ひぃっ! す、すみませんでした~!」


 見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、オジサンは大慌てで逃げ出した。通りすがりのヤジ馬たちが非難の目を向けてくるけど、知った事か。

 無言の抗議を無視して店の入口まで戻ると、固まってるみひろの手を取って従業員控室に入っていく。ホールからは、お客さんに平謝りしてる大将の声が聞こえた。


「あの……藍海さん、ごめんなさい。あと、ありがとうございました」


 消え入りそうな声で謝ると、みひろは深々頭を下げた。

 みひろは別に悪くない。悪くないけど……あなたなら、いくらでもなんとかできるでしょう? と思ってしまう。


「みひろちゃんもさぁ、ああいうオジサンは遠慮なくぶちのめしちゃっていいよ。お客さんはセクハラした時点で客じゃない。大将だって分かってくれるよ」


 酔客は理性のレベルが一段下がる。だから私も護身術発動レベルを一段下げて防衛してるわけだが……そうなると見るからに大人しそうなみひろに、客のセクハラは集中する。作務衣越しでも分かる大きな胸も、オヤジホイホイに一役買っているのだろう。

 セクハラには抵抗すべきだし、抵抗しないなら最初からそういうお店で働けばいい。


「私はその……肩くらいなら我慢できなくもないですし。藍海さんが代わりに怒ってくれますし……」


 頭の中でかちんと、なんかの音が鳴った。


「あのさ、なんか勘違いしてない? 私が約束したのはコインの回収であって、お嬢様のお守りじゃないよ?」

「いえ、決してそのように思ってるわけではなく」

「じゃあなんなのよ!?」


 思わず語尾を荒げてしまうと、扉が開いて大将が顔を出す。


「おいおい。せっかくお客さんに謝ってきたとこなんだから大声出すな。スマイルスマイル」

「すみません」


 みひろは大将に一礼すると、いつもの愛らしい笑顔でほほえんだ。

 私はと言うと……口角をピクピク引きつらせながら、ブサイク面を晒すだけ。


「みひろちゃんは先にホールに戻ってくれ。藍海は休憩だ。まかないでも食べて気分転換してからにしろ」

「じゃあ、満漢全席!」

「蕎麦屋だっつってんだろ! ちくわ揚げ付けてやるから、ざるそばで我慢しろ」

「そこは海老天くらい付けても、罰は当たらないんじゃないかな!?」


 交渉の末ゲットしたかき揚げで蕎麦をすする私は、厨房の暖簾越し、きびきび動き回るみひろを目で追っていた。


 ウチに引っ越してきて二週間。みひろはすっかり私と同じ生活に馴染んでいた。

 美人で優しく人当たりも良いみひろは、たまに飛び出すお嬢様キャラもウケて、クラスの人気者になっている。

 蕎麦屋の仕事も手際よく、常連さんからも好かれて、今や合気庵の看板娘はみひろの方になるだろう。

 私はせいぜい、陰から姫をお守りするくノいちポジション。近付く不届き者を薙ぎ払う荒事専門のお目付け役。

 それが嫌ってわけじゃない。みひろが私をメイド扱いしてるとも思わない。

 ただ……誰にでも優しいみひろを見ていると、いかに自分が気分屋で自分勝手な女なのかがよく分かり……背中にずしんと自己嫌悪が圧し掛かる。


「まったく……愛されキャラだよなぁ」

「みひろちゃんか?」


 隣で調理していた大将が、私の一人言に反応した。


「そ。優しいし可愛いしおっぱい大きいし。頭が回って明るくて仕事も真面目、愛想もいい。おまけに少々のボディタッチにも寛容なわけだから、人気が出るのも当たり前だよね」

「なんだ。看板娘を取られて悔しいのか?」

「そういうんじゃないわよ。あの子ぽやっと見えて学校の体育でも大活躍なの。どうやら武道も一通りやってたみたいで……なのに酔っ払いがベタベタ触ってきても嫌な顔一つしない。ぶちのめせとまでは言わないけど、文句の一つも言ってやればいいのに」

「さっき『ぶちのめしちゃっていいよ』って言ってなかったか?」

「それは言葉の綾」

「まぁ、断れない性格なんだろ。俺だって藍海のイヤはよく聞くが、みひろちゃんのイヤは聞いた事がない」

「そうは言っても酔っ払いはすぐ調子に乗るからさ。軽いちょっかいのうちに拒絶しといた方がいいと思うんだよね」

「どっちがいいと思うかは、人それぞれだ。みひろちゃんみたいな甘いバニラアイスが好きなヤツもいるし、藍海みたいにちょっと苦味走った抹茶アイスが好きなヤツもいる」

「私、そんな苦々しい顔で接客してないよね!?」

「ははは。さっきはちょっと、してたかな」


 そう言われてしまっては、黙って唇を尖らせるしかない。


「俺が好きな蕎麦屋ってのはさ、その日の気分で色んな料理が楽しめる、幅がある店だ。蕎麦ってのはガッツリ海老天で喰いたい日もあれば、さっぱりなめこおろしで喰いたい日もある。どっちがいい悪いじゃない。どっちもあるってのがいいんだ」


 そう言って大将は、私の前に抹茶アイスの皿を置いた。


「え、なにコレ? 特別サービス?」

「三番テーブルだ、とっとと持っていけ」

「もう休憩時間、終わってたのっ!?」


 仕方なく抹茶アイスを三番テーブルに持っていくと、相変わらずみひろが客に捕まり話し込んでいた。

 しゃーない。苦み走った大人の合気道をみせてやるかと近寄っていくと……そこには見知った顔が座っていた。


「こんばんは、藍海さん」

「伊織さん!? 来てくれたのは嬉しいけど、なんでアイスだけ注文?」

「すみません、今夜はまだ仕事が残ってまして。二枚目について、ですが」

「え?」

「そう……」


 みひろはふーっと息を吐いた。バイトでは見せた事がない、憂いた横顔。

 その顔を見て私もようやく理解した。

 二枚目――つまり、みひろのプロビデンスアイに続く二枚目のコインを持つ蒐集家コレクタ候補が、見つかったという事。


「アルバイトが終わる頃に、車でお迎えにあがります。家には帰らず、そのままお店でお待ち下さい」


 三口ほどで抹茶アイスを食べ終わった伊織さんは、会計もそこそこに忙しなく店を出ていった。


「藍海さん」

「うん」


 みひろの真剣な眼差しを受け、胸が高鳴る。いよいよだ。

 ただ待つだけの私はもうおしまい。

 コインをこの手でスる事で、私からママを探しに行く。

 その日はその事ばかり考えてしまい、どこか上の空でバイトする羽目になってしまった。


* * *

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