「昨日お会い頂いた、八雲さんの事です。私はただ『兄』と申し上げましたが、厳密に言えば、彼は腹違いの義兄です。八雲さんは、お祖父様の一人息子で私の父・葉室六郎太と正妻の間に生まれたただ一人の嫡男で、私は別の愛人から生まれた……妾の子です」
どうりで……。
兄妹のわりにやけに余所余所しい口ぶりだと思っていたら、そういう事情があったのか。
「あの場で長々説明するのもどうかと思い、一言『兄』で済ませてしまいました。ごめんなさい」
「謝らなくていいって~。八雲さんと初対面の私が、そんなデリケートな話されても困るし」
「だからこそ、二人きりでいる時にお話しなきゃなと思いまして……」
「お風呂で話せばよかったじゃん」
「お風呂はお風呂で、楽しみたくて。バタンキューしちゃいましたけど」
みひろはちろっと、可愛い舌を出す。猫の目のようにくるくる変わる表情は、やっぱりママにそっくりだ……たまに飛び出るオッサンワードは、ママと全然違うけど。
それはともかく。この際だからもう、聞きたい事は全部聞いてしまおう。
「だったらついでに聞いちゃうけどさ。大講堂の壁際オジサンたちって、一体なんだったの? 講堂にはたくさんの観客席があるのに、どうしてみんな、檻の外みたいなとこから見てたわけ?」
みひろは困ったように微笑むも、誤魔化さずに答えてくれる。
「彼らの多くは、分家の親戚筋です。養子縁組、政略結婚、その他諸々で葉室の名を手に入れた方も多くいらして……彼らはお祖父様の信頼を得られていません。かといって親戚のため無下にもできず、あのような形に収まったのでしょう」
「それにしても部屋の様子だけ見せといて、壁の外に追いやって声も聴かせないなんて……それってなんか意味あるの?」
「私も理解に苦しむところですが……お祖父様や八雲さんに『壁越しでも会った、お見かけした、一緒にいた』事実は、彼らの世界でそれなりの権威として作用するみたいです」
「話に絡んでないどころか、その内容すら聞いてなくても?」
「そこが本家と分家の、落としどころだったのでしょう」
なるほどねぇ。
例えばこれが、孝也叔父さんだったら……。
『いやぁ。先日葉室財閥の当主・葉室久右衛門さんと、その後継者の八雲さんにお会いしましてね。色々勉強させてもらいましたよ。あ、もちろん内容は言えませんけど』
みたいな感じで、虎の威を借りる狐になるわけだ。下らない。
みひろもはふぅと一息吐くと、意を決したように顔を上げ、私を見つめてくる。
「実は……これは葉室家では公然の秘密でして。正式には発表されていない話ですが……おそらく八雲さんは、生まれつき身体が弱い方だと思われます」
「え、そうなの? 確かに細くて色白だなとは思ったけど、持病持ちには見えなかったよ?」
「具体的に言うと、先天性免疫不全症候群でしょう。生まれつき病気に対する抵抗力が弱く、普通の人なら二、三日で治ってしまう風邪も、八雲さんにとっては致命傷になりかねない……」
私は、握手を求めた時の事を思い出した。
私が手を伸ばした瞬間、壁際オジサン達がざわめきたったのって……そういう事!?
「もしかして……私たちがメイドさんに丸洗いされて、服まで着替えさせられたのも?」
「大講堂――八雲さんの仕事場に入る者は、必ずしなければならない儀式とされています」
そりゃあ、ばっちぃ菌いっぱい持ってそうなオジサン達が、講堂内に入れないわけだ。
「八雲さんは現在二十歳。一粒種の御曹司に万が一の事があれば、お家騒動に発展する事は間違いないでしょう」
「でもそうなったら、いよいよみひろちゃんの出番じゃないの? 実際コイン回収班を任されるくらい、久右衛門さんに信頼されてるわけだし」
「妾の子は、私だけではありませんよ」
「え?」
みひろは困ったように眉を下げ、月光に輝く紫目に諦めの色を滲ませた。
「私の父・葉室六郎太は、稀に見る好色漢だったようです。結局、十人の愛人に二十人の子供を産ませた後、腹上死しました」
「にじゅう……にん!?」
「庶子の多くは、私と同じように葉室教育機関で英才教育を叩き込まれます。しかし結果が残せない者は投資に見合わないと判断され、母子共々葉室家から放逐されます。特に……幼少の頃に母を喪くし、保護者代わりの専属近侍を必要とする私は、生き残るのに必死な毎日でした」
伊織さんは、みひろが十歳の頃から仕えていると言っていた。
専属になってすぐ失態を犯し、子供のみひろに助けてもらったとも……。
二人が潜り抜けて来た修羅場を想像すると、その揺るぎない主従関係にも納得がいく。
「私にとってコイン回収は、先日お話した三つの理由ももちろんありますけど……引き続き葉室財閥に属するのであれば、必ず成し遂げねばならない至上命題なんです」
「もし失敗したら……」
「コイン回収班は、私の次に有望な庶子が指揮する事になるでしょう。私は……家を追い出される事はないでしょうけど、コイン研究の実験体として、人生の大半を研究所の隔離部屋で過ごす事になるかもしれません……」
初めて見る外の世界に、浮かれまくってたみひろが……そんな境遇に立たされていたなんて。
「もちろん今は、そんな心配していませんよ。藍海さんにお手伝い頂くわけですから」
「……私さ、自分の右手がギフテッドだって言われた時、ママと約束したんだ」
「?」
「この手は自分のために使っちゃいけない。使うなら、誰かのために使いなさいって。だから……ひょっとして今がその時なのかなって、思ってる」
「藍海さん……」
みひろは私を抱き締めると、そのまま二人、ベッドに横たわった。
透き通る紫目が、力強く訴えかけてくる。
「私も約束します。藍海さんの右手を、決して悪い事に使いません。私や葉室家、みんなの幸せのために、使ってもらいます」
「ありがとう。それ聞いて安心したよ」
「藍海さん」
「なに?」
「コイン……必ず全部、集めましょうね」
「そうだね」
「それで、万能薬を手に入れたら……」
「うん?」
「すみません、もう起きてるのも限界で……このまま眠っちゃって、いい、ですか……」
仰向けになって目を瞑ったみひろは、すぐに可愛い寝息を立て始めた。
布団を掛け直してあげると、代謝による熱と、お風呂上がりのいい匂いが漂う。
ベッドに横たわって隣を見れば、長い睫毛と高い鼻。
ほんのりピンクの唇から規則正しい寝息が漏れて……そのたびに上下する二つの連峰を、いつまでも眺めてしまう。
万能薬を手に入れたら……。
みひろが言いかけたのは、八雲さんの事だろうか?
葉室財閥当主・葉室久右衛門がコインを求める理由なんて、それしか考えられない。
それもまた人のためではあるんだから……私に異論はないけれど。
誰かと一緒に寝るなんて、何年ぶりだろう。
じんわり火照っていく身体を持て余し、私はなかなか寝付く事が出来なかった。