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2-06 初バイト

「俺からは以上だ。じゃあ初めてのバイトの心得を、藍海先輩から一言」

「つまみ食いは厨房で! 大将にバレないよう、こっそりとね!」

「つまみぐい……映画で見た事があります! いいんですか!?」

「いいわけないだろ! ……って、たまに無くなってたのお前かーっ!」


 放課後の蕎麦処、『合気庵』

 作務衣に草履、ほっかむりを被って面接に臨んだみひろを、ヤル気重視採用の大将が断るはずもなく。みひろは私と一緒に、合気庵で働く事になった。


 もちろん大将にはバイト初めてって事は話したし、超が付くほど世間知らずのお嬢様って事も言った。そしたら『じゃあ藍海が面倒見てくれよ』と、自然な流れで教育係を押し付けてくるわけで……まぁ、そうなりまさーねー。


 初めてみひろが家に来た時の事を思い出し、覚悟を決めてバイトに入ったわけだが……、お嬢様は思いのほか優秀だった。

 配膳、片付け、テーブルセッティングは素早く丁寧。レジ操作もメニューの価格も、一度見せれば完璧に覚えてしまう。

 コイントスせずともこの器量……さすが氏立探偵を務める才媛。これなら手もかからないし人手が増えて私も楽できると思った矢先――、思わぬ弱点が露呈する。


「そうかあ、みひろちゃんは藍海ちゃんの友達か~! おじさんはね、藍海ちゃんがこーんな小さい頃から知っててね~!」

「本当ですか? 小さい頃の藍海さんて、どんな感じだったんですか?」

「そりゃあもう今にも増して生意気だったけど、そこがまた可愛くてね~! 合気道の道場に来た時なんか、初日から男の子をバッタバッタと……」

「うわー、すごいです!」

「みひろちゃーん、こっち手伝って! あと、酔っ払いは新人に関係ない事吹き込まないで!」


 優しすぎるみひろは、お客さんに呼び止められるとついつい長話に付き合ってしまい、動きが止まってしまうのだ。


「酔っ払いの言う事なんて、いちいち真剣に受け答えしなくていいよ。適当に受け流して、仕事あるのでって言って、すぐ戻ってくればいいから」

「でもぉ……大事なお話かもしれませんし」

「オジサンが若い女の子に聞いてもらいたい話なんて、自慢話と愚痴だけだから」

「それでも、適当に受け流すのも失礼かと……」

「居酒屋店員はね、適当に酔っ払いの相手してあげるくらいがちょうどいい礼儀なの! 中身なし! ノリだけオッケー! みたいな。みひろちゃんは、礼儀正しい居酒屋店員になりたくないのかな?」

「分かりました。私も藍海さん見習って、頭からっぽで中身のないノリ会話、頑張ってみます!」

「ちょっと引っかかるけど……まぁいいや。じゃあ練習」

「はい」

「みひろちゃ~ん、こっち来てオジサンにお酌して~!」

「あらあら。じゃあ私も一杯頂こうかしら。大将、ロマネコンティを一本」

「ねーよ」


 一事が万事こんな調子のみひろは、バイト初心者というより世俗初心者である事の方が問題だった。

 例えば――。


「みひろちゃーん! 悪いけど今から言うの、倉庫から持ってきて欲しいんだけど」

「はいどうぞ」

「美少年」

「えっ?」

「あと、初孫」

「倉庫に子供がっ!?」

「日本酒だってば」


「お待たせしました、板わさです」

 お客さんは、持ってたロックグラスをみひろに見せる。

「これ、同じの」

「かしこまりました~!」

 分かるかな~? とみひろの様子を窺ってると、新聞紙を丸めて何やら包み始めた。

「お待たせしました~! せっかくですから、もういっこ包んじゃいました♪」

「お店のグラスを売りつけないで! しかもペアで!」


「お客さんに、お小遣いをもらってしまいました」

「あー、お釣りをそのまま渡された感じ? いくら?」

「三〇〇円です。皆で美味しいものでも食べてきなって」

「一人一五〇円かあ。何が食べれるかなあ」

「あの……大将さんの分は」

「そっか、足りない分は大将に出してもらえばいいんだ。おーい、大将~!」

 大将は顔を出すと、茶封筒を渡してくる。

「これで美味しいもんでも食べて来い」

「さすが大将さん、太っ腹です」

「ちょっ、これ、割り箸しか入ってないんだけどっ!?」


「まかない食べよう」

「お客さんが食べてるの見ると、お蕎麦食べたくなりますね」

「大将、天ぷらそば二丁!」

「でも二人で一緒に食べてたら、接客の人手が足りなくなるのでは?」

「じゃあ一口ずつ、交代しながら食べようか」

「まさかそれは、伝説の……」

「?」

「一杯のかけそば!」

「天ぷら付きじゃ、悲壮感ないなぁ」

「まかないはカレーだ。異論は認めん」


 最後の二つは、問題ってわけじゃないけれど。

 こうしてみひろのバイト初日は騒がしくも楽しく過ぎていき……私も、夜の駅前公園で残業する必要がなくなった。

 それはそれで喜ばしい事ではあるんだけど……やっぱりこの子、どこかママに似てるんだよなぁ。


「お疲れ様でしたー! はーっ、アルバイトって意外と疲れるんですね。それじゃ、帰りましょうか」


 店を出て、「うーんっ」と空に伸びをしたみひろは、私に振り向いた。夜の小径に、大きな紫目が妖しく光る。

 こういう悪戯っ子っぽい表情も、ママを彷彿とさせる。


「えっと……どこに帰るの?」

「それはもちろん――」


 そして――やたらサプライズが好きなところも。


* * *

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