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2-03 錬金術

 絵画ひしめく長い廊下をひた歩き、いくつもの扉を通り過ぎて、ようやく目的の部屋に辿り着く。

 小さなキッチンが備え付けられた可愛いお部屋には、紅茶準備中の伊織さんがいるだけで、他に誰もいない。

 みひろはダイニングテーブルに座ると、緊張の糸から解き放たれたように右腕を上げ、一つ大きく伸びをしてみせた。

 私も、ソーサーの置いてある席に座って一息つく。テーブルをL字に囲んで、みひろと顔を見合わせた。


「ここなら、何を話しても構わないのよね?」

「はい。私と伊織以外に聞いている人はいません。なんでもお話し下さい」

「それじゃとりあえず……私の家が、今どうなってるか教えて。ハリウッド映画かってくらい、窓も玄関も吹っ飛んじゃってたし……今頃警察やマスコミが集まって、大騒ぎになってんじゃないの?」

「その心配はございません」


 天高くティーポットを掲げていた伊織さんが、紅茶と一緒にタブレット端末を持ってきてくれた。

 スタンドに立て掛けられた画面には、空から撮った住宅街が映っている。

 その中央に映った家には所々ブルーシートが張られ、中で何人もの人が作業してる様子が……ってこれウチじゃん!


「これはドローンが撮影している、現在の有海邸のライブ映像です。葉室建設と葉室警備保障の社員が、二十四時間体制で警戒、監視、修繕作業にあたっています。警察マスコミへの圧力も抜かりなく、集まった野次馬にも、ガスの工事ミスによる爆発だったと説明しています」


 すらすらと、事も無げに説明する伊織さん。今更ながら背筋に悪寒が走る。


「そりゃあ、葉室財閥なら色々融通利かせてくれるってもんでしょうけど……警察やマスコミまで、あの騒ぎを見て見ぬフリしてるの……?」

「コイン奪取は、葉室家でも一部の者しか知らない極秘任務ですから。当然の処置です」


 法治国家は庶民向け、治外法権はセレブだけ。それでいいのか日本社会。

 呆れる私の隣では、カップを傾けティータイムを満喫するお嬢様。目が合うと、無邪気な笑顔を見せてくる。


「色々納得できないところもおありかと思いますが、ここはひとつ、飲み込んで頂けると」

「氏立探偵なんてものがどうして必要か、よーく分かった気がするわ。でも、私だって面倒事は嫌いだし、家も直してくれてるし……一応ありがとうと言っておく」

「いえ。こちらこそ、ご自宅を巻き込んでしまってごめんなさい。まさかアマルガムが、あそこまで強硬策に出るとは思っていませんでした」

「そう! そのアマルガムってやつらも、なんなの? あんな軍隊みたいなテロ組織、日本で許されるわけないよね!?」


 みひろは、胸のコインを手に取った。

 ペンダントのトップフレームに収まったプロビデンスアイに傷一つなく、ぴかぴかに磨き上げられている。


「その質問に答えるためにも、クリソピアコイン――錬金金貨について、もう少し詳しくお話した方がよいでしょう」


 みひろは紅茶を一口飲み、長く湿った吐息を漏らすと、おもむろに語り始めた。


* * *


 今年二月。

 アイスランドに派遣された葉室研究所考古学調査チームは、火山麓の洞窟で大規模な地下遺跡を発見しました。

 それこそが二十世紀最後の錬金術師、フルカネリが拠点としていた地下実験施設でした。


 錬金術については、ご存じですよね?


 読んで字のごとく、鉄や鉛といった卑金属から貴金属――金を生み出そうとする、夢物語のオカルトです。とはいえ、昔の錬金術師がまとめた理論は現代化学の礎となり、後世の科学者に多くの知見を遺してくれました。

 無論、現代化学をもってしても錬金は不可能です。ところがフルカネリの錬金術実験施設の跡地から、五枚の金貨が出てきたのです。

 金貨の表面は全て女神マリアンヌの横顔が描かれており、裏面にはそれぞれ視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚――五感の一つと密接に関わるシンボルがデザインされています。

 同じ遺跡で見つかった古文書によると、金貨の名前はクリソピアコイン。

 ギリシャ語のCHRYSOPOEIA《クリソピア》は、英訳するとゴールド・メーキング。

 つまりこの五枚は、フルカネリが錬金術で精製した金貨だと書いてあったのです。


 古文書には、更にこう記されていました。


『クリソピアコインは、自らの意思で蒐集家コレクタを選ぶ。全てのコイン・コレクタが一堂に会した時、賢者の石――即ち、万能薬が手に入る』


 賢者の石なんて、まるで映画や小説のようですよね? 研究チームも最初はそう考えて、錬金術によくあるオカルトの一種と軽視していました。

 しかし五枚の金貨を持ち帰り、最先端技術を使って実験を行うと、驚くべき結果ばかり出てくるのです。


 例えば。

 コインを元素分析機にかけると純金製と出ますが、普通の金と比べ質量が重く、全く傷が付きません。金製品の加工に使われる王水に浸けても、溶ける事はありませんでした。

 つまり金貨と思しきこのコインは、厳密に言うと金にあらず。全く新しい元素で構成された金色に輝くコイン、と定義せざるを得ませんでした。


 例えば。

 コインに回転運動を加える――つまりコイントスすると熱エネルギーが発生し、自ら上空に飛び上がります。その回転運動と飛翔エネルギーは永続的で、天井や障害物にぶつからない限り、コインはどこまでも飛んでいってしまいます。

 ではコインの向かう先はどこか? それは古文書にある通り、コインが認めた蒐集家コレクタの元です。


 コインはまるで、それ自身に意思があるかのようにコレクタに引き寄せられ、その人の身体のどこかに張り付きます。研究チームはこの現象を『コイントス』と命名しました。

 コイントスは何度やっても同じ人、同じ身体の部位に貼り付きます。私であれば右目の瞳孔――もうちょっと隠しやすいところに貼り付いてほしいところですが、その要望は聞き入れてくれないみたいです。

 コイントス状態になったコレクタは五感が鋭敏になり、特にコインの司る感覚が、神か超能力者かというレベルに達します。藍海さんも、スリの手を掴まれた以上、これについて異論はないでしょう。


 こうしてコインの超常現象を目の当たりにしてしまうと、古文書に記された『六枚全てのコイン・コレクタが一堂に会せば、賢者の石が手に入る』という記述も、あながち嘘だと言い切れなくなります。


 葉室研究所は、クリソピアコインの謎を解明しようと、様々な実験を行っていきました。

 ところが実験を始めて二か月が経った夜、謎の武装集団が研究所を襲い、コインを奪おうとしました。

 彼らこそ有海邸を襲った武装テロ組織、秘密結社アマルガムです。


 アマルガムは錬金術と深い関わりを持つ米フリーメイソンから派生した組織で、長年アイスランドでフルカネリの実験施設を探していました。行き詰った彼らに葉室財閥が共同調査を提案――技術や資金、専門家を提供する代わりに、これまでの知見を共有してもらい、地下遺跡発見に至ったのです。

 発見したクリソピアコインは最先端設備で分析を行う必要があったため、葉室財閥が全て日本に持ち帰りました。これがアマルガムの不信を買い、襲撃に繋がってしまったようです。


 アマルガムは戦闘ヘリから葉室研究所をミサイル攻撃し、爆破によって開いた穴から侵入を試みました。

 ちょうどその時、研究所ではコイントス実験が行われていました。機械による回転運動が加えられた五枚のコインは天井穴から飛び出して、夜空に飛び散ってしまいました。

 アマルガムは退却しコインの行方を追います。もちろん我々も慌てて捜索に向かいましたが、時すでに遅し。コインはいずこかへと飛び立ち、その行方は誰にも分かりません。

 しかし幸運な事に、その内の一枚はすぐに見つかったのです。


 最初に見つかったコインの名は、プロビデンスアイ。

 それは私、葉室久右衛門の孫娘――葉室みひろの、右目の中にありましたから。


* * *


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