目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報
1-07 ルースター金貨

 ノーテンキな声で挨拶してカウンターに座ると、老眼鏡の上から一瞥をくれたエーちゃんは、傍に置いてあったタブレット端末をポンポンポンとタップする。

 すると背後のスチール扉からカシャンと小気味良い音が響き、窓のブラインドカーテンがシャカシャカ自動で閉まっていく。表のディスプレイは今頃、『CLOSED』の画面に切り替わっているだろう。エーちゃん特製、密室商談スペースの出来上がりだ。

 初めて来た時はかなり怖かったけど、今となっては安堵の息が漏れる。

 盗品売りたい女子高生と、コイン狂いの古銭商オジサンには、それなりの舞台が必要なのだ。


 ブラインドが完全に閉まると、エーちゃんはバッグの底に顔をつっこんだまま、くぐもった声で話し掛けてきた。


「久しぶりだな、藍海。元気にしてたか?」

「せめて顔見て言ってよ。ブランドバッグの底よりは、元気な顔してるはずだよ?」

「確かに。中古ビートンの底なんざ、どいつもこいつも疲れきってる。だが、綺麗に化粧してやりゃ金になる。歓楽街の永久機関だ」

「ビートンのバッグで発電できれば、世の中クリーンになるのにねえ」

「はっ! ちげえねえ」


 バッグから顔を出すと、エーちゃんは吐き捨てるように笑った。


 ビートンを買ったオジサンが、夜のお姉さんにプレゼントする。

 お姉さんはエーちゃんの店に売りに来て、また別のオジサンがそのバッグを買う。

 歓楽街が生んだ究極のエコシステムは、誰も傷つかないハッピーバッグ・リサイクル。

 皆が笑顔でバッグを回していく姿は、子供の頃に遊んだハンカチ落としを思い出す。

 世の中不毛でいいんだなと、女子高生にあるがままの世界を教えてくれる。


「百年続いた古銭商ウチも、今じゃブランドバッグの修理・転売がメインだ。コイン蒐集なんざ、今時流行らないからな」


 いつもの高めイケボでそう言うと、エーちゃんは手元のバッグを後ろに放り投げる。

 見事、山盛りの『完了箱』に収まった事も確認せず、いそいそとカウンター席にやってきた。


「で、今日はどんなコインを持ってきた? 偽物でも構わないぜ。今日は朝からバッグしか触ってないんだ。ギザジュウでも買い取ってやりたい気分だぜ」

「えー、私もブランドバッグ、売りに来たかもしれないじゃん」

「そんなもん持ってきたら、つまみだす。いいか、俺がわざわざリスク冒してまで女子高生と取引してんのは、お前が珍しいコインを持ってくるからだ。その期待を裏切るような真似、絶対すんなよ」

「はいはい。密室で可愛い女子高生には目もくれず、コインに夢中でしたなんて、警察の人も信じてくれないだろうしね~」


 私はポケットから例のコインを取り出し、アクセサリートレイに置いた。

 トレイのデジタル表示窓に『三〇グラム』と表記され、老眼鏡の奥で、エーちゃんの瞳に光が宿る。白手袋をはめるのももどかしく、様々な角度からコインを鑑定し始めた。


「こいつぁフランスの金貨だな。表面は、有名なルースター金貨と同じデザイン。フランスを擬人化した女神、マリアンヌだ」

「マ!? もしかして、お宝コインって事!?」

「いやいや」


 エーちゃんはイスに座ったままキャスターを転がして、ショーケースに移動する。

 戻ってきたその手には、立派な桐の箱に入った金貨が輝いていた。


「こいつが本物の、マリアンヌ・ルースター二〇フラン金貨。表面は同じだが――」


 白手袋が、コインをひっくり返す。


「裏はほら、雄鶏ルースターが描かれてるだろ?」


 確かに……立派なニワトリがなにやら雄叫びを上げている。

 気色悪いピラミッドの瞳とは、似ても似つかない。


「じゃあこのコインって、ルースター金貨のニセモノって事?」

「いや。偽物なら、裏面もそっくりなデザインにするはずだろう? こいつは、ルースター金貨を模して造られたお土産用の金メッキか、どっかの金持ちが道楽で造らせた記念金貨。ま、こいつで調べりゃ一発で分かるさ」


 エーちゃんが机の下から取り出したのは、ちっちゃい拡声器みたいな機械だ。


「こいつは、小型の元素分析機だ。物体にエックス線を照射し、物質を構成する元素を調べる事ができる」

「えーと……意味がよく、分かんないんだけど?」

「いいか。金貨ってのは当たり前だが、金で造られている。問題はその含有率だ。偽造コインや土産屋で売られてる金貨なら、真鍮や銅に金箔を貼り付けただけの金メッキで、金含有率はせいぜい数パーセント。だがもし、金持ちが道楽で造らせた記念金貨だったら、十八金以上――金含有量七十五パーセントは下らない。ちなみにルースター金貨は二一・六金、金含有率は九〇パーセントにも上る」

「へ~。つまりその機械で、このコインにどれくらい金が入ってるか調べれば、おのずと価値が分かるって事ね」

「そういうこった」


 エーちゃんは拡声器の上蓋を開けると、コインを中に入れた。スイッチを押して数秒すると、ぶいーんと動き始める。

 お嬢様がアクセサリーにしてた金貨なら、金メッキって事はないだろう。

 それどころか――。


「もしかしてさ。ルースター金貨より価値が高い~、なんて事ある?」


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?