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1-05 ロジック

「いいかい、藍海ちゃん。君のママ――万智子さんは現在、一般行方不明者という扱いになっている。今年の四月、男と車で出掛けたきり戻ってこない事から、警察は万智子さんの意思で家出したと判断し、積極的な捜索は行われていない状況だ」


 そんな事、叔父さんに言われるまでもなく分かってる。

 犯罪に巻き込まれた可能性がなければ、警察は行方不明者を探さない。

 言い換えれば、ママはどこかで必ず生きてるわけで、ワンチャン『そんな事あったっけ~』みたいな顔でひょっこり戻ってくるまである。


「死んだ弟の奥さんを、悪く言うつもりはないけど……万智子さんはとにかく自由な人だった。十六歳で哲也と結婚した事もそうだが、君を産んでからも突飛な言動が多くてね。親戚一同、驚かされてばかりだったよ」

「そうですね。我儘で傍若無人、人の親にあるまじき非常識って、散々ママの悪口言ってましたもんね」

「あれは他の親戚の受け売りでね……僕自身、そう思ってたわけじゃないんだ」


 叔父さんは、根っからの営業マンだ。

 自社製品を売るために仕立ての良いスーツを着て、ホワイトニングで白くした歯で、耳心地の良い言葉だけ口にする。

 そんな人の言う事を、信じられるわけがない。


「万智子さんは今年三十二歳。未亡人のまま一生を終えるには若すぎるし、もちろん再婚したっていいとは思うんだが……藍海ちゃんに負い目があったんだろう。哲也の死後苗字もすぐ旧姓に戻していたし、僕らの事は忘れて、新しい家族で人生やり直したかったのかもしれない」

「つまり叔父さんは、『お前は母親に捨てられたんだから、いつまでもこの家で待ち続けても意味はない。だから大人しく俺の扶養に入れ』と、言いたいんですか?」

「万智子さんが一〇〇パーセント戻ってこないとは、僕も思ってない。でも現実問題、君は十七歳の女子高生だ。まだまだ保護者が必要な年齢で、この家に一人で暮らすのは無理がある」

「家のローンや光熱費は、毎月ママの口座に入金して、ちゃんと引き落とされています。生活費だって、ママが残してくれたお金とバイトでやりくりしてます」


 私は中学生の頃から、自分の口座にお小遣いを振り込んでもらう方式を取っていた。

 ママの失踪後、私の口座に五〇〇万円が振り込まれていたし、ママの通帳とキャッシュカードも見つかった。

 そっちの口座はすっからかんだったけど、当面お金の心配はない。


「振り込まれてたのは、五〇〇万だけだろう? その金額じゃ君が成人するまで足りないし、高校生のバイト代なんて雀の涙だ。ママが戻ってこなかったら、どうする気なんだい?」

「高校卒業したら働くので、お金の心配はいりません」

「ならこの家の税金はどうする? 住宅ローン控除に固定資産税、都市計画税。各種保険の更新に、修理修繕、町会費……どの手続きも、成人してなきゃ話にならない」

「それは……なんとかします」

「残念だが、子供一人でなんとかなるものじゃないんだ」

「……」

「例えば、僕の扶養を拒否すれば行政が動き出し、君を児童養護施設に入れるだろう。この家に住み続ける事はできなくなり、万智子さんが戻ってきてもそう簡単には再会できない。育児放棄の母親と子供を無条件で会わせるなんて、お役所はそういうリスクを一番嫌うからね」

「……」

「でも僕の扶養に入れば、そんな心配しなくて済む。バイトなんかしなくったって今まで通り学校に通えるし、勉強を頑張るなら大学にだって行かせてやるつもりだ。もちろん、万智子さんが帰ってきたらすぐに会えるし、事情が許せば元の生活に戻る事だってできるだろう」


 私は俯き、下唇を噛み締めた。

 経験に裏打ちされた大人の説得ロジックに、子供が反論できる隙なんてない。このままこの家に住み続けたら、遅かれ早かれ叔父さんの言う通りになるんだろう。


 それでも、顔を上げれば書いてある。

 私を養女にすれば、4LDKの立派な戸建てと五〇〇万円が手に入ると、そのイミテーションみたいな笑顔の下に書いてある。

 反面、私へのセクハラは慎重姿勢が見えるので、それだけでもまだマシになったと言えるけど……こんな嘘吐きが親代わりなんて、死んでもイヤ。


「……叔父さんが勝手に捜索願いを出しただけで、ママは失踪したと決まったわけじゃありません。戻ってくれば万事元通りですし、私はこの家で、ママを待っていたいだけなんです」

「藍海ちゃんの気持ちを考えて、僕も待ったよ。でも半年経っても万智子さんは帰ってこなかった。叔父さんはね、姪っ子の藍海ちゃんが心配なんだよ。今日だってこんな夜遅くまでバイトして、いつ悪い大人に騙されやしないかと――」


 スカートから伸びる太ももに、粘着質な視線がまとわりつく。

 背中がぞわぞわするような、嫌悪感がせりあがる。

 バイトで鍛えた営業スマイルを浮かべると、私はスカートの裾を手で抑え、ソファーから立ち上がった。


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