「じゃあ私、帰るから。気を付けて!」
「あ、あの! お礼をさせて頂きたいのですが、よろしければお名前とご連絡先を……」
「別に大した事してないから、いいよ。気にしないで」
「あの、申し遅れました。私、みひろと申します。せめてお名前だけでも」
「みひろちゃん。可愛い名前だね、バイバーイ!」
更に呼び止められそうなところを、踵を返し、背中越しに手を振ってやり過ごした。
探偵だか令嬢だか知らないが、あの子の推理力は本物だ。これ以上は関わりたくない。さっさとズラかるに限る。
駅構内に入ったところで、燕尾服に白手袋を付けた執事風イケメンとすれ違う。この人が、お嬢様の待ち合わせ相手? 金持ちが、慣れない電車なんか使うから、こういう目に合うんだよ。
電車の中、扉付近で立ち揺れながら、ポケットの中でペンダント・トップの金具を外した。
表面は外人女性の横顔で、それを取り囲むエンボス加工のアルファベットは……リパブリック・フランスと読める。フランスの古い金貨?
ひっくり返した裏面には、三角形の真ん中に巨大な片目が描かれていた。じっとこっちを見つめてくるみたいで、少々気味が悪い。
表面同様、外周に刻まれた文字を読み取ると――。
「プロビデンス、アイ?」
スマホで検索してみると、『万物を見通す目』だそうだ。フリーメイソンやら管理社会やら色々書かれているが、要は「神様は、なんでもお見通しですよ」のシンボルらしい。
私はコインをポケットにしまい、流れる夜景に目を向けた。
車窓から望むオフィスビルは点々と明かりを灯していて、こんな時間まで働く社畜オジサンたちに、心の中で敬礼を送る。
『女子高生が好んで道を尋ねる相手に思えません』
一般的にはそうなんだろうけど、私はそうは思わない。
だってオジサン達は、来る日も来る日も仕事して、社会を回してくれている。
時に酔っぱらったり過労死したり、女子高生にワンチャン声を掛けてくる不届き者もいるけれど、総じて彼らは善良だ。
生まれ持った
「家族……か」
嘆息と共に漏れた一言は、トンネルのノイズでかき消された。耳奥まで支配するゴオーッという雑音の中、暗転した車窓に寂しげな顔が浮かび上がる。
茶髪ポニーテールと琥珀の目をした、ブレザー制服の女子高生。
蕎麦屋の看板娘で、ギフテッドの右手で悪事を重ねる、スリ常習犯。
家族は、今はいない。
* * *
自宅の車庫に車を見つけると、私は慌てて門扉を開き階段を駆け上がった。
鍵を開けるのももどかしく急いで玄関に入ると――リビングの扉のすりガラスが、ぼんやり光ってる!?
「ママ? 帰ったの!?」
靴を脱いだ瞬間、期待に膨らんだ胸が急速に萎んでいく。
見覚えのない男性の革靴……胸に手を当て本来のサイズを確認すると、廊下を大股で歩き、勢いよくリビングの扉を開けた。
「おかえり、藍海ちゃん。遅かったね」
我が物顔で三人掛けソファーに座っていたのは――パパの兄、
肩口にぞわっと、鳥肌が立った。
「どうやってウチに入ったんです? 鍵は持ってないはずですよね!?」
叔父さんはポケットをまさぐると、水色のキーホルダーが付いた鍵を取り出した。
「藍海ちゃんは僕を避けてるみたいだから、強硬手段を取らざるを得なかった。まずはお互い、話し合うところから始めてみないかい?」
叔父さんは立ち上がると、こっちに近付いてくる。
私はスクールバッグをソファーに投げ捨て、腰を落とし身構えた。
少しでも触ってきたら、また投げ飛ばしてやる。なんなら腕の一本や二本、へし折ってやったって構わない。
野良猫みたいに警戒する私に、叔父さんは猫なで声で手を振って、人畜無害をアピールする。
「待った待った、落ち着いて。もう触ったりしないよ。言っただろう、話し合いに来ただけだって」
「こんな夜中に勝手に家に入られて、警戒するなって方が無理です。どんな話がしたいんですか!?」
「この家の話だ。それと、君の将来についても。女子高生がこんな広い家で一人暮らしだなんて、世間的に許されるはずないだろう?」
「その女子高生に手を出そうとした叔父さんの方が、よっぽど許されないはずですけど?」
「だからあれは、家族としてだね……もうこの話はよそう。まずは座ってくれるかい?」
「ここは私の家で、叔父さんの家じゃありません。座るも座らないも私が決めます」
同じ部屋に二人きりなんて死んでもごめんだが、合鍵を持ってるなら、追い出してもまた来てしまう。
私は三人掛けソファーに座ると、顎で一人掛けを指し示した。叔父さんはこれ見よがしに溜息を吐くも、私の指示に従い腰を下ろした。