「あれ? ローゾーンは見つかった? 今の人達は?」
「オジサーン! 助かったよ。この子、男の人に絡まれやすいから交番に連れてくね。オジサンも一緒に来る?」
「え? あー、いや」
「そう? じゃ、ありがとね。バイバーイ!」
私がハコの手を引き交番に歩き出すと、オジサンは諦めて駅へと戻っていった。
ごめんよオジサン、いいように使っちゃって。お礼に二千円は、財布の中に戻しておいたから。
ホッと息を吐いてると、ここまでされるがままだったハコが、問いかけてくる。
「あの……もしかして人違いをされてませんか? 私はハコさんではありません」
「箱入りお嬢の略だから。気にしないで」
「ええっ、気にします! 私、そんな風に見えてるんですか? 仕事で来てるのに!?」
「仕事?」
「はい。実はここだけの話……私、探偵業をしていまして」
「へー、すごいね」
「やっぱり信じて頂けないですよね……では一つ、推理を披露してもよろしいでしょうか?」
「なんの?」
「さっきの男性……あなたは彼に、スリを働いたのではありませんか?」
交番に向かう足が、ピタリと止まる。
ハコは大きな紫目をぱちくりと見開き、虫も殺さぬ顔で見つめてくる。
ありえない……こんな箱入りぽやぽやお嬢様に、私のスリが見破られるわけない!
「一応聞いてあげるけど、どうしてそう思ったの?」
「ナンパ目的の二人組から私を助けるために、あなたは友達のフリをして、もうすぐ父親が迎えに来ると言いました。誰が聞いてもその場しのぎの嘘だと分かりますが、実際に私達親世代のオジサンが近付いてくれば、彼らも信じざるを得ません」
人差し指を躍らせるハコは、編み棒に絡まった毛糸を解くように、さっきの顛末を紐解いた。
「ではあなたはどうやって、そんな都合のいいオジサンをこの場に呼び寄せる事ができたのでしょう? お知り合いがたまたまいた? いいえ。彼は開口一番『あれ? ローゾーンは見つかった?』と言いました。あなたはあのオジサンに、ローゾーンの場所を聞いていた。でも違う場所にいたので、彼は不思議そうな顔でそう訊ねたのでしょう」
「私、ひどい方向音痴なの。結局見つからなくて、諦めて帰ろうとしただけよ」
「なるほど。ではどうしてあなたは、こんな夜中にオジサンに道を聞いたのですか?」
私は笑顔のまま黙り込んだ。
片手を胸に添え、飛び跳ねる心臓を必死に宥めながら。
「オジサンは赤ら顔で、お酒の匂いもしました。酔っていたのは明らかで、女子高生が好んで道を尋ねる相手に思えません。もしあなたが援助交際目的の女子高生だったり、オヤジ狩りの
ハコは私と手を繋いだまま、はっきりと真相を口にする。
「ターゲットに近付くための、女スリ師のテクニック――ではないかと思いまして」
繋いだ手のひらに、汗が滲み出る。
通り向かいの交番が、丘陵に立つ断頭台に見えてくる。
まさかこの子……私をこのまま、警察に突き出すつもり!?
焦った私に気付いたのか。ハコはパッと手を離すと、その手を振ってあわあわと謝り出した。
「驚かせてしまってごめんなさい! あなたがスリだなんて、本当に思ってるわけじゃないんです。さっきのオジサンも、駅前の売店で財布を出して何か買っていましたし、スリにあってない事は明白です。これはあくまで推理ゲームでして、証拠もいらない思考実験みたいなものです」
「び、びっくりした~、てっきりこのまま、スリに仕立て上げられるのかと思ったよ」
「いえいえそんな。助けて頂いた方にそんな恩知らずな事しません。でも……私が探偵だって事、これで信じてもらえました?」
「うん、信じる信じる!」
「ありがとうございます」
夜の街に燦然と輝く、ロイヤル笑顔。
頭いいんだか悪いんだか……とにかくさっきの二千円、返しといてホントによかった。
「それで。可愛い探偵さんは、こんな時間にそんな恰好で何してるの?」
「あ……この服、そんなに目立ってますか?」
「ウエディング・パーティか、カクテル・パーティの帰りかなって思うくらいには」
「惜しいです。正解はクラシック・コンサートの帰りで……って、そうそう! 駅前で人と待ち合わせしてるんです。もうそろそろ来てもよい時間なのですが」
「待ち合わせの相手は、車?」
「いえ、電車です。……おかしいですか?」
「まぁこの街は、お嬢様がわざわざ電車乗って来るような、健全な街じゃないからね」
ハコはきょろきょろと、遠巻きにこちらを窺う夜の住人を見回した。
そのたびに艶のある黒髪がふわふわ揺れ、キューティクルが夜の街を浄化する。令嬢プラズマクラスターか。
「この時間、酔っ払いやナンパ男も多いから。駅前の待ち合わせでも、交番近くに立ってた方がいいと思うよ」
「そうみたいですね……ご親切にありがとうございます」
当然のように差し出される、華奢な右手。連れてけってか。
少しカチンとくるものの、私はその手を取って引き寄せた。思ったより強い力だったようで、ハコは少しつんのめってから、私の隣に並んだ。
「ああ、ごめん。じゃあ行こっか」
夜の街、女子高生とお嬢様が手を繋いで歩く。交番までのランデブー。
エスコートは数秒で、それは私にとって十分すぎる時間だった。