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1-01 看板娘

 いきなり立ち上がった酔っぱらいに、左手首を掴まれた。

 私は右手で相手の手首を捻ると、突き放すような小手返し。酔客は後ろにたたらを踏んで、倒れ込むように椅子に座った。その衝撃でテーブルから徳利が転げ落ち、床に落ちる寸前、私はそれを客の前に置く。ついでに板わさとお猪口も並べ、軽く席を整えてあげる。


「はい。酒は呑んでも呑まれるな~、呑むなら楽しくやってよね!」


 綺麗に並んだ蕎麦前に、きょとんと呆ける酔っぱらい。

 向かいの連れに「あとは頼んだ」の目線を送ると、相方のオジサンは徳利を取って酔客のお猪口に注ぎ始めた。


「まぁまぁ、落ち着いて。話は最後まで聞いてくれよ」

「お、俺だって喧嘩したいわけじゃない……悪かったな、藍海ちゃん」

「分かってくれればいいって~。あ、お蕎麦食べたくなったらいつでも声かけてね。オススメは、藍海ちゃん特製カレーだよ!」

「そりゃ蕎麦の内に入らないだろ……カレーがアテじゃ呑めないよ」

「それが、赤ワインとカレーなら相性抜群なんだって! 試してみる? 持ってこようか?」

「相変わらず商売上手だなあ。徳利これが空いたら、考えてみるよ」

「オッケー。いつでも声かけてね」


 笑顔で手を振りカウンターに戻ってくると、暖簾の隙間から大将の厳めしい顔が出てきた。

 途端に、作務衣のお尻に集まってたオジサン達の熱視線が、ひゅんと引っ込む。


「藍海。酔っ払いを諫めてくれるのは助かるが、小手返しはやりすぎじゃないか?」

「女子高生にお触りしといて、床に投げられなかっただけまだまし。ちゃんと手加減したし」

「全く……お前ほど日常で合気道使ってるお転婆娘、全国でもそうそういないだろうな」

「私だって、好きで使ってるんじゃないもん。お蕎麦屋さんのくせに酔っ払いしか来ない、このお店がいけないの!」


 作務衣の胸にお盆を抱いて、呆れ顔の大将に、いーっと歯を剥いた。

 お蕎麦屋さんだって言うから引き受けたのに、バイトを始めて三か月、蕎麦だけ食べて帰る客なんていやしない。蕎麦処『合気庵』は、酔いどれオヤジご用達の蕎麦居酒屋なのだ。


 大将曰く『茶髪ポニテに手ぬぐい巻いた、作務衣姿の女子高生がいるお蕎麦屋さんの方が、普通の居酒屋で呑むよりお得なんだよ』との事。

 まぁ看板娘って事で、見るだけなら酒のアテになってあげてもいいけどさあ。オジサン達ももうちょっと、理性のハードル上げてほしい。


「あと、ウチはお蕎麦屋さんだからな。カレーは薦めるな」

「えー。だってカレー残ってると私のまかない、自動でカレーになっちゃうんだもん」

「そもそも藍海ちゃん特製カレーってなんだ? 俺が作ってるんだから大将カレーだろ」

「特別に藍海ちゃんがよそってあげるから、藍海ちゃん特製カレー! 大将カレーより可愛いから、売れるに決まってるじゃない?」

「赤ワインに合うってのも、高校生なんだから……って、飲んだ事ないよな!?」

「ないよ~、テレビで言ってただけ。あ、お客さん来た。いらっしゃいませ~!」


 草履の音も軽やかに、小走りでお出迎え。ご新規オジサン四人組をテーブル席に案内する。

 まったく……大将もなんだかんだでオジサンだ。

 やたら私と話したがるし、たまにお父さんみたいな事も言う。

 それが面映ゆく、そういう時に限って私は、早目に会話を切り上げる。

 いつかぽろっと、言っちゃうんじゃないかって思うから。


* * *


 時刻は二十二時過ぎ。私は蕎麦屋のバイトを終え、制服に着替えて駅まで戻ってきた。

 駅前ロータリーの横には、コストカットと手抜き工事の末なんとか体裁だけ整えた、薄暗いコンクリ公園が広がってる。

 ここから先は残業タイム。今日もいるいる、わんさかいる。


 座って酔い覚まししてるオジサン。ここぞとばかり白い煙を吐くオジサン。飲み足りないのか、コンビニで買った缶チューハイを呷るオジサン。

 夜の公園で思い思いにくつろぐオジサン達は、水辺で翅を休める蛍のよう。スマホの画面を光らせて、じっとその場に佇んでいる。

 クラスの女子は毛嫌いしてるけど、私は割とオジサン好き。だってオジサン達は毎日遅くまで働いて、社会を回してくれている。だから私にも、いくらかお金が回ってくる。


 そんなわけで私は、赤ら顔で手すりに腰かけてる、酔い覚ましオジサンに近付いていった。

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