滅茶苦茶な命令。
それこそ信じられない人選。
ただの学生に航空機の操縦を任せること自体がありえない。
その不安を祥子は隠しきる事等当然できるはずもない。
それ以上にメッキが剝がれ責任から逃げた庄司。
曲がりなりにも信じていた祥子は完全に庄司に裏切られる形になっていた。
向かい側に座らされた有珠。
混乱しつつもテーブルの下で祥子の手を優しく掴んで微笑んで見せた。
何の根拠も理由もない。
けれど祥子が不安になりつつある一方で有珠はその時青木集の事を信じていた。
伊集院庄司よりも集の事の方が対処できると判断していたのである。
なら…この緊張感ある茶番を有珠は続けようと考えたのだ。
―今必死になって飛行機を飛ばそうとしている―
―青木君の邪魔をさせるわけにはいかない―
その為ならこの場にこの責任から逃げようと足掻き続ける男を…
動かない様におもてなしをする事が必要。
そう結論付けた有珠は自然と笑みを作っていた。
祥子も有珠も不安を消し切れる訳がない。
それでもその沈黙を破り祥子は庄司に質問をする。
震える声で。
「庄司さんこれからどうなるのでしょう?」
「何、優秀な若者に命令したんだ。
彼等には良い経験できっとやり遂げられる。
私にはわかる。彼等に出来ない事は無いのさ。
有珠さんも安心すると良い。
副機長の私が任命したんだ。失敗するなんてありえない。
さぁ先ほどの話の続きをしようか」
庄司はその現状に対しての問題点は終わった事にされている。
操縦席に集を座らせた事で何もかもの責任を負わせられる集を立てた時点で。
だからこそ簡単に考える。
差し迫る危機を前にして必死に現状を打開しよう模索する集達を気にしない。
「…そうですか」
部屋の奥に押し込められる形で座らされた有珠と祥子。
これから彼女達は庄司を宥める事を求められたのだ。
3人の様子を見て興奮を隠せなくなっていた撮影スタッフ。
一種の狂気に染まっているようにしか見えないのであるが。
その恐怖に染まっている庄司の生々しい感情の起伏さ。
そのリアルな感触にカメラを向けている撮影スタッフもまたまともでは無かった。
素晴らしい極限状況の感情の推移。
それを映像に保存できること進行形で行われている異常事態を気にも留めない。
撮影だけに集中して気を紛らわしつつもリアルなドキュメンタリーを取れる事。
その出来事自体にすら興奮していたのだ。
良い絵が取れる。
この映像をどういった形とするのかは別の問題であとで考える。
下手な取り繕いと人間的弱さ。
他人に責任を擦り付けようとする浅ましさは映像越しにも伝わってきていた。
一歩間違えば凶行に及びそうな一触即発の瞬間。
その刃が付きつけられているのは奥に座らされた祥子と有珠。
そのシーンが取れたことを映像を創ることを生業としているスタッフは止めない。
介入もしない。
映像が全ての彼等にとって、リアルな有り様をカメラに収める事が全てにおいて優先されていた。
止めなければ。
少しでも常識的な行動を。
そう願い祥子はもう一度願いを口にする。
撮影している場合ではないと。
飛行機を一番問題なく着陸させられるのは庄司だから。
庄司を信じた上で祥子の発言だった。
「いくら何でも無責任すぎませんか?
機長が倒れたのです。
その代わりを担うべきは庄司様です。
借りにも庄司様は副機長なのでしょう?
この飛行機の責任を負うべき立場でしょう?」
「黙れ!その話は終わったんだ!
綾小路の娘ごときが生意気な口をきくんじゃない!
今は飛行機の事なんて関係ない撮影に集中しろ!」
「私は貴方の婚約者候補です。いくら何でも…」
「だったら未来の妻として夫に恥をさらす様な話題をふるな!
時と場合を考えろ」
その時と場合を考えたからこそ…
大人しく祥子はそれ以上の事は口にする事はなかった。
ただ悲しそうに。
そして巻き込んで連れ込まれてしまった有珠にごめんなさいと。
そう言おうとして口を開こうとした瞬間。
「祥子!これ以上口を開くな!」
庄司のその声に仕方がなく…
祥子は深々と頭をその場で下げる事だけをして。
この場の雰囲気を創ることに専念する役割が与えられたのである。
「さぁ…楽しい空の旅を続けよう」
「「…」」
「続けるんだよ!」
ここまでくれば現実逃避も甚だしい。
けれど祥子も有珠も今は庄司の望むままに楽しい空の旅。
庄司のする自慢話を聞き続けると言う接待をする事になってしまったのである。
半ばあきれ顔で個室の外から庄司の状態を見る事になっていた紘一と楓。
この状況でも慌てる事無く冷静に庄司の事を眺める事になっていた。
撮影スタッフが紘一と楓の前に陣取っていて。
それこそ隔たりがある様に二人が感じてしまっていたからかもしれないが。
庄司は次に二人に目を付けたのである。
「お前も…暇をしているのなら飲み物の一つでも運んで来い」
「は、はいっ」
指さされたのは有珠と祥子の事が心配で紘一の後ろから個室を見ていた楓。
その瞬間、楓はキャビンアテンダントの代わりをする事が決まったのであった。
機体後部へとおもてなしの準備をする為に歩き始める楓。
その楓を紘一も肩を支えてやりながら移動する事になったのだ。
「手伝う」
「うん」
決して広くはない。
機体後部の雑事を行うギャレースペース。
そこで使いっパシリやることになってしまった楓。
これから庄司のおもてなしに付き合わされることになったのだ。
補佐としてついてきた紘一と二人きりになった瞬間。
か細い声で楓は紘一に問いかける。
聞いてはいけないと思いながら。
「あ、あのね?大丈夫だよね?」
何がとは楓は言わなかった。
しかしそんな不安そうにしている紘一は頭を撫でながら。
楓を抱き締めてやりその身元で楓以外に聞こえない様に話しかける。
「大丈夫だ俺の弟子は凄い。
…この難局も問題なく熟してしまえる」
「うん…」
紘一が怯えていた楓を慰めそして動揺せずにいられたのは集を見て来たから。
何かをアイツは持っている。
そう確信めいた物があったのだ。
経験に裏打ちした奴しか解らない楽器の感性の最終調整。
その正解をほぼ一発で引き当てる事等熟練した職人でなければありえない。
そのほぼ正解を修繕の経験もろくにない集に言い当てられた。
その時点で紘一は集を才能と知識の塊だと思う事にした。
天才というには紘一自身と考えが重なる点が多く変人では無い事からも。
年齢に見合わず膨大な知識を持って経験不足をカバーしているのだと。
でなければ青木集の様な奴はいないのだから。
その膨大な知識が今回も集に閃きを与えてこの難局を乗り切ってくれる。
俺の弟子は優秀なのだと納得し集がやり切ってくれると。
紘一は機内でパニックを起こさない様に楓を安心させるべく立ち振る舞うのだ。
上空数千メートルの機内。
そこで状況を考えない命令権を持つ副機長。
庄司は色々な意味で王国を完成させたのである。
「すごい」「すてき」「すばらしい」の3Sを使った接待が始まる。
なまじ航空機の操縦が難しい事を理解している庄司。
だからこそ任命した集がうまく飛行機を着陸させる事が出来ると思っていない。
口で必ず成功するなどと言ったとしても、
ただの高校生である集が出来る等とは思っていなかった。
なら、あと数時間の命を全て映像に残して生きた証を記録に残す。
自身がどれだけ偉大であり素晴らしい人であったのかを残す時間に当てたのだ。
コックピットで奮闘している二人をしり目に全員がよくわからない覚悟を決めて。
機内は可笑しな秩序と落ち着きを見せ始めていたのである。