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第74話

一人貨物室の中で必死に事態の打開策を考える。

副機長として華々しくこの撮影に望んだ庄司であったが。

問題はそれが自身では操縦するだけの技量が無いと言う事だった。

予定ではこんな「大きな飛行機」になるつもりはなかった。

しかし撮影スタッフと個室付きのキャビンでと要望されたために、

予定よりも大きな飛行機を使っての飛行となった。

それでも庄司は焦ることはなかった。

基本的に操縦は機長がする。

自分自身は少しばかり無線の相手をするだけで良かった。

難しい手順は全て機長がしてくれる。

庄司自身はただ座って機長の言われるがまま言葉をもう一度言うだけ。

それだけで全て上手くいく簡単に飛行機のパイロットと言う、

一種の憧れの存在となれるはずだったのだ。

なんの問題も起きなければ…

被っている優秀と言う仮面は剥がれる事はなかった。

庄司はこの大きさの飛行機を飛ばすライセンスは持っていなかったのだ。

同時に多くなった重たい撮影機材の搬入。

積載量は少しでも軽くしたい。

機長は計算して削れる所まで削って…

それでも許容量をオーバーしてしまっていたから。

別の便で荷物を送る訳にもいかない。

苦肉の策だった。

客室の乗務員と乗っている事になっている副機長を下ろしたのである。

勿論それは守るべき規律の部分でも問題がある事ではあった。

しかし運行の名目上はプライベードでの使用。

誰の目にとどまる事はない。

どうせ確認もされない。

バレる事もない。


「撮影に嘘はつきものだろう」

「しかし…」

「依頼者の要望には応えるべきだろう。

それともこの計画自体を白紙にして提携する事を辞めても良いのかい?

黙っていれば誰も気にしないさ」


それこそ大型旅客機を運行する企業が安全のために作り上げた信用。

その常識と先入観を利用して庄司は無理を強行させたのだ。

とても良い解決手段。

事なかれと言う形で庄司の意見を取り入れたのだ。


―それでも本来なら通らないその出来事は―

―何かの思惑と結果を求められて通っていた―


庄司の持つライセンスが効かないと解りながら。


庄司のその心情を受け入れ待つ事が出来る程度には非常事態ではない。

ただし操縦する気が無いライセンス持ち等この状況では役に立たない事は確か。

タイムリミットと決断するべき時は差し迫っている。

それよりも現状安定して飛行してはいるものの…このままでは、

飛行機が何処に行くのかもどうなるのかも分からない事の方が問題だったのだ。

そして更に問題が露呈する事にある。

責任者である機長が倒れたために総責任者は機長から副機長となる。

少なくとも立場的にはであるが庄司に移ってしまった事だろう。


「どうしてこんなことに?」

「いや…私はなにをすれば…」


飛ばした事もない大きすぎる飛行機。

現地まで、ただ副操縦席に座っているだけでいい。

後はカメラ映りを気にしながらCMのための絵を取らせるだけ。

そんな簡単なはずだった。

それが飛行機の総責任者となりすべての判断を庄司自身がする。

行なわなくてはいけない。

そのプレッシャーが一気に圧し掛かる。

乗員20名の命をその腕に乗せて飛行機を無事に着陸させること。


―差し迫った命を守る責任がある事―


そんな事になるなんて思ってもみなかった。

大学に通いながら学生として過ごすお気楽な毎日。

会社で役員待遇の仕事風味の書類に適当なサインをするだけの簡単な役割。

遊び半分で書類をミスしたとしても問題はない。

全ての責任は庄司の知らない誰かが何処かで責任を取らされ飛ばされる。

父親から怒られる事はあれど若気の至りって奴で処理される。

今回も事が発覚したとしても機長がその責任を取るだけ。

そうさせるはずだった。

なにも問題なんて起きない。

航空機も機長もしっかりとした経歴の人物。

責任を取るような問題なんて起こすはずはなく。

逆に責任を取らせる為の生贄として機長がいるはずだったのだ。

そして庄司は無傷でいられる。

しかしその機長が今いない。

そうなれば誰が責任を取る?

庄司の命を守ってくれる?

決断からも苦しい判断からも逃げていた庄司。

彼がこれからの判断を出来る訳が無かったのだ。


スマホを手に取り…

過度にのしかかってくるプレッシャー。

その精神的な圧力に耐えられず反射的に最後尾の貨物室に逃げ込んでいた庄司。

ともかく連絡してと思っていても…

そもそも上空で電話は繋がらない。

誰にも相談する事が出来ない状態で。

けれど周囲はそれを黙って待ってはくれなかった。


「繋がれ…繋がれよっ」



願った所でスマホが繋がるはずもない。




ドンドンとその扉が叩かれる音がして庄司は追い詰められるのだ。

隠れた荷物室の扉越しに呼ばれる声。

混乱している庄司であったが周囲は庄司の心情など考慮してくれない。

機体の最後尾の扉越しにその呼び出す声は大きくなっていた。


「庄司さま。副機長!早く出て来て!

みんなあなたを待っています」


祥子の必死の声掛けであった。

ここで決断をして嘘でもいいから航空機を操縦していれば。

伊集院庄司の未来は違った物になったかもしれない。


けれど今回の事は明らかにやりすぎていた。

やりすぎたとしても機長が拒否するはずだと思い込んでいた。

断れないように追い詰めたのは庄司なのにも関わらずである。

そして映像を撮影する事に全振りしてしまっていた結果の末路。

その現実は変らない。

怒鳴り散らして祥子を追い払いたかった。

しかし呼び出している相手は婚約者候補。

綾小路を傘下に収める為にはどうしても無下には出来ない相手。

その損得勘定が庄司を押しとどめ理性的な言い訳を庄司は口にしていた。


「まってくれ!い、いま準備をしているんだ」

「準備って?何をなさっているのです?」

「マニュアルだ!マニュアルを探している」


それは庄司がとっさに付いた嘘である。

この場に及んでそれでも集達乗客が安心していられた理由は一つ。

たとえ嘘であったとしても副機長の庄司が何とかするだろうと言う考えがあった。

けれどどうにもその考えをあてにしてはいけない。

そんな状況になりつつあった。

この事態にマニュアルを探す副機長なんていてたまるか。

そう皆が口にしたかった。

けれどそう言われてしまった以上待つしかない。

それこそ待ち時間は地獄の様に長く感じてしまっていた。

1分か…

それとも5分か…


「庄司さま!出て来てください!これ以上は待てません!」

「わ、か…かった。すぐ出る…」


そうして扉は強く叩かれ観念した庄司は貨物室から出る事になったのだ。

責任者は自分自身。

何をするにしても自分の許可がいる。

その代わりに今この飛行機に乗り込んでいる人達に対して責任を負う立場に…

そこまで考えて。


けれどそのプレッシャーに耐えられない。

書類一枚で片が付く今までミスとは違う。

更に言えば自分自身の命まで庄司自体が握っていると言う状況に恐怖して。

そして足の震えが止まらなくなっていた。


「それで…その…」

「早く操縦席に座って下さい!」


ここまでくれば祥子も庄司に従ってはいられない。

この飛行機には祥子の友達である有珠達も乗っているのだから。

命の危機だなんて思いたくないし。

ぐいぐいと引っ張ってともかく操縦席へと祥子は庄司を連れて行く。



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