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第73話

個室を追い出されて食事を届ける様にと庄司に言われた祥子。

その命令を確実に実行する為に、

祥子は機内の最後尾にあるバックヤードの様な場所へと向ったのだ。

けれど、どこに何があるのか解るはずもなく、きょろきょろと周囲を見回す。

積み込まれていた荷物の中にあった弁当が収納されていたラック。

それを運がよく見つける事が出来た。

機内食と書かれたそのラックを覗き込んで中を確認してみる祥子。

そこの中には確かに機内食…弁当とも呼べる物が用意されていた。

ちゃんと機長・副機長と用意された物であった。

それ以外に持っていける様な物はなく。


「これ…かな?」


…何というか手に取った瞬間、生臭さも感じた祥子であったが。

整然と整頓されて置かれた物であり、

何より機長用の所に置かれているもの問題があるとは思っていなかった。

問題があったとしたらそれは機内食などが詰め込まれたラックのほうであろう。

フライトごとに積み下ろし交換され新鮮な作りたての機内食に交換される物。

その役割を熟すのは普通であれば乗務員である。

しかし大人数の荷物を載せる事に時間を取られ出発時刻が迫っていた事。

定刻通りに出発できなければ撮影的にもまずいと無理をした結果。

ラックを交換する事はなかったのである。

結果的に中に入っていた物はそれなりに問題の有る弁当であったが。

祥子にその事が解るはずもない。

言われた通りに祥子は機内食を持って操縦席へと向かってしまったのである。


「あの…お食事をお持ちしました」

「ああ、ありがとう」

「えっと…しばらくここにいても良いでしょうか?」

「構いませんよ。

後の席に座って下さい」

「はい…」


祥子は個室に戻る事は出来ない。

あそこは今庄司が楽しく撮影している場所なのだ。

帰った所で席が無い事は解っていたのである。

有珠達には警告もしているし警戒心は強いから大丈夫だと思うしかなかった。

戻った所で別の命令を受ける事位簡単に想像できたのだ。

だから静かにあの個室から庄司が出てくるまで…

コックピットに戻ってくるまで待つ。

そして迎え入れる事こそ祥子の役目。

そう判断して彼女はコックピットに留まるのだ。



祥子が座った席の前で機長はとても忙しそうに操縦を続ける。

これが運命のいたずらとでも言うべきなのか。

飛び立った時はとても快晴であり快適な飛行であったのだが。

状況は目まぐるしく変わっていたのである。

季節風に目まぐるしく変わる状況。通過ルートの天候不順。

色々な状況に機長は一つ一つ丁寧に対応していたのである。

それこそ機内で撮影があるからという事で。

機体を揺らすなと厳命されていたせいでもある。

ともかく余計な事にまで気を使っている。

更に最悪なのは庄司を副機長にする為に、本来の副操縦士が降ろされてしまった事。

勿論空に上がれば撮影だと言って操縦席から出てしまった庄司。

機長の手伝いをする人がいる訳もなく…

北へと向かう少々長めの飛行距離も相まって機長の疲労感は溜まっていた。

計器の見逃しと飛行ルート事態で揺れは激しくなる。

それこそ良い絵を取る為だからと撮影スタッフからも無理を飲まされ続けたのだ。


そんな中で祥子が運んできたその弁当にまで気を回している余裕はない。

ただ空腹感もあり少しばかりお腹の中に何かを入れておこう。

その油断が疲労を溜めていた機長に強烈な体調不良を引き起こす事になる。

そろそろ着陸先の空港に近付いている。

遠回りをして時間がかかったがもうすぐ着陸できる。

その気の緩みからなのかほっとした反動か。

体の異常を感じ強烈な吐き気が。


「う…あぁ…」



それが機長の意識を奪う結果となったのだ。

ガクリと項垂れて意識が飛びそうになっていた機長。

けれどその瞬間機長はオートパイロットのスイッチだけは入れる事が出来て。

飛行だけは維持される事になったのだ。

後に座っていた祥子はすぐにその異変に気付き機長を確認する。

けれどその状態は普通じゃなかった。


「え?き、機長さん!機長さん!だ、誰かぁ!」


けれどどんなに声を上げて叫んだ所で祥子の声量では声は聞こえない。

操縦席への扉が閉まっていて気付いてもらえなかったのだ。

誰も来ない。

気付いてくれないと慌てた祥子は直ぐに扉を開けて個室に向かったのだ。

副機長である庄司に機長の状態を説明する為に。

流石に祥子の悲痛な声を聴いて飛び込んでくる。

様子を見て操縦席の方を見るとやっとスタッフの一人が動き出したのだ。

その異常事態に。

スタッフの一人が視線を向けたその視線の先。

そこには項垂れて力なく椅子からズレ落ちそうになっている機長の姿。

異常さにやっと気づいた彼等は直ぐに操縦席へと向かったのだ。

意識を失って項垂れている機長を操縦席から引きずり出すと直ぐに、

客室へと運んで横にして応急処置を始めたのである。

機長は「う…ぁ…」と気を失っているだけの様にも見え。

けれど医学知識が無い以上それ以上は何もする事が出来ない。

ただ機長の意識が戻るのを待つしかなかったのだ。



撮影している事を完全に無視して祥子は個室へと飛び込んだのだ。


「庄司さん!庄司さん!」


血相をかいて落ち着きもなく来た祥子。

撮影を邪魔されて取り乱す姿に庄司は不機嫌になる。

今は自分がどれだけすごいのかをアピールしている場なのだ。

それこそ既に確保できている祥子は放っておいて有珠をどうにか口説きたい。

上手くいくのであれば里桜も手を伸ばしたいのだ。

少しでも興味のありそうなことを聞き出す為に駆け引きを楽しんでいたのだ。

それなのに。

それでも冷静に声を張り上げる事無く。

庄司は祥子の方を向いた。


「何を慌てているんだい?」

「あの…き、機長さんが意識を失いました」

「なんだって?」

「だ、だからすぐに操縦席に戻って…」

「それは…」


楽しかった庄司のフライトはその瞬間終わった。

けれど緊張感あるスリリングなフライトの始まりだとは誰一人思っていなかった。

飛行機は機長と副機長二人とも操縦できる。

機長が倒れたとしても副機長である庄司がその責任を果たせばいいだけだ。

周囲の全員がそう考えていた。


「と、ともかく操縦室に行くよ」


至って冷静なふりをしながら庄司は個室を後にして、

向かった先は操縦席では無かった。

更に言うのであれば客室に移された機長の所でもない。

スタッフの一人に介護されている機長。

その横を通りチラリと機長の様子を確認する。

意識がなく倒れている事だけは確認した庄司は足早に飛行機の一番後ろ向かった。

辿り着いた先にあったのは貨物室であり人が誰一人来ない場所だったのだ。

スタッフオンリーと書かれた場所へと潜り込む。

扉を閉じて一人になって庄司はこれからの事を考え始めたのである。



「え?どういう事だ?機長が倒れた?どうすれば?どうすればいい?」


それは庄司に与えられた大きな試練となっていたのである。




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