それじゃあねと。
久しぶりに有珠は一人で喫茶ミロワールまでの道のりを歩く事になる。
そうなれば昼間の話を聞いていたのか。
帰りの下駄箱の中には複数の手紙があったのである。
黒江様へと書かれたその手紙。
何となくだけれど内容は察していた。
こういった下駄箱に手紙が入る事は初めてではない。
高校に入ってからというものの、それなりの回数を有珠は経験している。
ベターな方法であるが確実に気持ちを伝えられる方法でもあるし。
けれどそのほとんどの手紙の内容が決まっていた。
差出人無しで〇〇時校舎裏で待っていますと言った内容。
手紙に名前を書いてあれば有珠はその手紙は差出人の下駄箱に戻している。
そして見なかった事にするのだ。
同時に呼び出しの手紙には徹底的に無視を決め込んでいた。
なにより…
有珠の予定も把握せずに呼び出しを書かれているのだ。
放課後をアルバイトで埋めてある有珠がそのアルバイトを断ってまでわざわざ出向くはずがない。
出向くとしても里桜と一緒に行くぐらいの警戒心は当然ある。
「どういったつもりなのかは読まなくても解るのだけれどね…」
―夏休み後半は予定が空いているので一緒に行けますよ―
―いつでも誘ってください―
みたいな提案を装った志願者からの手紙なのである。
せめて誘ってほしいのなら面と向かって言ってほしいと思う有珠であった。
その場で済ませる事が出来るのだから。
後々になって角を立てない様に断るのも気を使う。
それでも律儀に有珠はそう言った手紙に向き合って相手はするのである。
特に名前を書いて出された手紙に関してはそっと無かった事にしたいと言う願いを理解してくれない。
下駄箱に入れなおしてもその後に呼び出される事もしばしば。
そう言った場合には里桜も一緒に行く事でごめんなさいをする。
単純に聞き耳をたてられてグループの会話を盗み聞きして関りを作ろうとする様な相手とはお近づきになりたくないと考えていた有珠であった。
里桜に照れ隠しでもなんでも推薦された青木集。
彼の事は意識していないとは嘘になる。
別に無視するつもりではなかったけれど。
暴走気味でありながらもその我が道を行くとしか言えない無駄な行動力。
練習するだけのハズなのに。
わざわざヴァイオリンまで用意してくれて伴奏を務めてくれた。
手伝ってくれた事は損得勘定だけでは動けない熱意すらあった。
だからなのか、少々不愉快になる事もあったけれどそれでも邪険にできない。
そう思えるのが有珠の青木集に対する評価だった。
「明日で良いよね?
うん。明日声をかけてみよう」
誰に声をかける訳でもなく。
けれど誰かに言い訳をしたかった有珠のその独り言を口に出して。
何故だか顔が少し赤らんでいるのはきっと早歩きの所為だと自身を誤魔化した。
こうして次の日に有珠は集を旅行に誘う事にしたのだった。
それには里桜に大きく背中を押されていた事も起因する。
「ちゃんと榊原君誘ったわよっ」
「承諾してくれたんだ。良かったわね?」
「よかったけどっ!」
それでも里桜の顔は赤かった。
そして続けて小さな声で言葉をつぶやいたのだ。
「良くなかったのっ
アイツちゃんと集も誘う事が条件だって言ってきたのよ」
「え?」
「それで惜しげもなく宣言してくれたのよ…
―私とアイツは友と言う言葉では足りないほどの関係を築けたのだ―
―大城さんも大いにその関係を進展させると良い―
全然よくないわーーー!」
色々と話を聞きたい衝動に駆られた有珠だったのだが…
里桜の反応を見てそれ以上は聞いてはいけないと思ってしまったのである。
ただ…
大地としても集を誘わなくては里桜に付いて来てくれない。
その事だけは理解できたのだった。
「絶対に青木君を誘ってね?」
「わ、わかった」
鬼気迫る表情を見せる里桜のその姿を見た有珠。
どうしても榊原君と旅行に行きたいのねと思い、
けれど昼休みとかで周囲に聞き耳を立てられるのは嫌だった。
だから…
移動教室があるその時間に歩きながら集に話しかける事にしたのである。
授業と授業との間の時間。
決して長時間出ないからこそ聞き耳を立てられる事もない。
その移動教室に向かう列の最後尾。
皆が教室を出ていくそのさなかに集を呼び止めたのだ。
「青木君ちょっと時間ある?」
「何かな?」
「夏休み後半は予定が何か詰まっていたりする?」
「特に何かする事は決めてないけど」
「なら…ちょっと旅行に行かない?
私のいつものグループで旅行に招待されたの。
それぞれが一人ずつ人を誘う事になってね。
人数が足りなくってそれで青木君が時間があるのならどうかなって」
その提案を聞いた時集の思考はダイナミックに稼働し始める。
それは集に混乱をもたらし素晴らしい回転速度で思考を編み始めた。
どう動きどう対応すればよいのか。
その理想を推察し有珠が望む回答を出すべく必死に言葉を考えた。
旅行に誘ってくれたのだから勿論回答はイエスである。
だがそう簡単にイエスと言ってしまっても良い物か。
回答の仕方を深く思考しないではいられなかった。
普通に答えるのだけは決してやってはいけない。
そして周囲には生徒はいない。
ちょっとした二人きりの時間。
―ここは黒江さんを壁に追いやって―
―ワイルドに行くべきだろうか?―
―いや、待ってくれ―
―おちつけ。落ち着くのだ…集よ!―
―奇をてらった事をして嫌われたらどうする?―
―そもそも壁ドンは好きなワイルド系男子にやられてむねきゅんする事だと―
―そう聞いた事がある―
―今の自分はムキムキマッチョではなくヒョロ型なのだ―
―そんなヒョロ型の自分は黒江さんと身長差がそこまで無い―
―壁ドンは身長差も重要だったはず―
―いやそもそも壁ドンをしながら返答するにしても何処にその壁がある?―
―他の生徒の目もある―
―ここは壁ドンをするべき時ではない―
どういう思考なのか。
それとも逆に集が壁ドンをしたかっただけなのか。
返答をするのに何故か壁ドンが思い浮かぶ。
ともかくどうやって壁ドン返答すれば有珠が喜ぶのかを考えていて…
「あ、あの青木君?」
「ごめんちょっと色々と頭の中で考えていた」
「えっと予定が詰まっているのなら無理にとは言わないから」
「その辺りは大丈夫。重要で面倒な事はなくなるから。
普通に単純に?誘ってくれて嬉しかったから」
「え?嬉しいって?」
「色々な事を想像してしまってね。
旅行と言われたけれど少し遠くにある美術館に行きたいのかと思って」
「え?どうしてそう思ったの?」
「それは、だって…」
グループ旅行で学生同士で行くのだ。
普通に考えたら有名所のテーマパーク等を思い浮かべるだろう。
少なくとも美術館と言う考えには普通至れない。
アルバイトでお金を稼いでいる所を見ても遊ぶ場所で使うという考えが思いつく。
それが普通である。
しかし集は有珠が行きたい所がテーマパークではない事を知っている。
そしてよく近代美術館の期間限定の特別展示コーナに行きたがった事も。
覚えていたのである。
―美術って面白いのよ?自分とは違った感性を知ることが出来るの―
―テーマパークも好きだけれど―
―そう言った場所とは違った楽しさがあるのよ―
ふっと過り、ああそうだったと思い起こしてしまえば。
彼女が中心の旅行と思い込んだ集は有珠の行きたい場所を連想していた。
けれどその事を口に出す事は出来ない。
それは未来を知る集だからこそ出てくる言葉なのだ。
ここで有珠に対してそう答える事は気味が悪いと思われるだけ。
集は更にひとひねり思考を回転させる事になる。
そして導き足したその答えは…
「僕が行きたいと思ったからだよぉ~」
「へ、へえ。そうなの…ね?」
「そーなんだよぉ~」
もはや冗談の様に真面目に考えずに適当に答えたように見せる他なかった。
それでも相当痛い人になってしまっている自覚はある。
だが気持ち悪いとバカな奴を天秤にかけた時。
集の天秤はバカな奴の方向に傾いたのである。
どっちを決断しても有珠の好感度は下がるというこの状況。
それでもその対応をするほか道は無かったのである。
「え、えっとそうなのね?」
有珠側からすればここまでグループ内の話を盗み聞きしていたような人でない事。
ちゃんと自身の意見?を言ってくれた事に関してだけは許すし。
詳しい説明をしなかったのに。
行く事に関して集が否定的な意見を言わなかったから。
なら誘っても大丈夫かなと考え始めていた。
「それなら詳細な予定が決まったら参加してもらえる?」
「よろこんでぇ!」
一際大きな声で返事をする事になったのだ。
集の声と言葉はある意味周囲にも聞かれる事にもなった。
―黒江さんが旅行に誘ったのは青木集という奴らしい―
そんな噂も流れ有珠の下駄箱にこれ以上の手紙が収まる事はなかったのである。
だが…
集にとって喜んでいられる時間はそこまでであった。
それから詳しい予定を聞いた結果。
祥子の家の関係の元。
祥子を守るための旅行になるという役を仰せつかる事になったのだ。