喫茶ミロワール。
進奏和高校との関りも強く学校公認であることからアルバイトをする生徒も多い。
元々進奏和高校を卒業した生徒が起業した店だった。
故に、長くとも高校2年の冬までしかアルバイトをする事が出来ない縛りもある新奏和高校生の学校事情を考慮してくれる。
バイトシフトや勤務形態に融通も利く。
求人を出す事は多くなく基本的に辞める前に次にアルバイトをしたい生徒、
後輩に対して先輩が声をかけてしまうために引き継がれる形で新しい子が補充される形がほとんどであった。
従って流れる様に歴代の進奏和の生徒が店員として働く少しばかり特殊な喫茶店なのだ。
その日店長である鏡美香は突然の申し出に少々焦ることになっていた。
「すみません引っ越す事になってしまいました」
「あらあら…そうなの?」
「はい。お父さんが引き抜かれてしまったらしくって…」
「それは…良い事なのよね?」
「私はコングロマリットの総括的立場で指揮を取るとしか聞いていないので」
「…そう!おめでとう!」
「ありがとうございます?」
「引っ越しは何時?」
「2週間後です。それで次の子なのですが」
「探している暇がないのよね?」
「はい…すみません」
「ならそれはこっちで学校に打診しておくから大丈夫。
ちゃんとお父様を支えてあげてね?」
「はいっ!」
こうして久しぶりに進奏和に喫茶ミロワールからアルバイト募集の張り紙が出される事になったのである。
いつもなら直ぐにでも集まる求人であったが。
今回はタイミングが少々悪かったのだ。
なにせもうすぐ学期末テストでありその次には夏休みが控えている時期である。
先読みして予定を決めて動く事が普通の進奏和の生徒達からすれば既にほとんどの生徒の予定は決まっている。
アルバイトを考えていた生徒も既に働き先を決めてしまっているのだ。
そこに遅れて募集したところで直ぐにミロワールに変更も出来ないし。
何より制服の事もある。
特注品の制服の準備にはそれ相応に時間がかかることから2週間という期間は短い様で長いのだ。
少なくとも制服の用意に一週間。
そして初期の教育に2~3日かかるとなれば実質2~3日で見つけなくてはいけないのである。
「見つかるかしら?」
美香のその心配をよそに直ぐに申し込みはあったのである。
有珠と里桜であった。
アルバイト応募を掲示して直ぐの応募であり直ぐにでも決定したかった美香はすぐにでも面接をセッティングしたのだが。
珍しいと言っては失礼であるが亜麻色の髪を持つ有珠は見目麗しい。
そして同じく薄くウェーブがかかった長い髪を持った里桜は店の雰囲気にとてもマッチする雰囲気を持っていたのである。
2人はそれぞれに魅力的でありどちらも捨てがたい。
久しぶりに感じるその理想的な喫茶店の風景を想像して両方とも採用する事を決定したのである。
時間は飛んで応募から1週間後には採用を決め有珠と里桜の制服を渡していた美香であった。
辞める事が決まっていた店員がいる内にホールスタッフとしての研修が出来る辺り運がいい。
スケジュールはタイトであったが教える時間は作れたのだから。
何とか人員の入れ替えに成功した采配はそれなりに正しかったのであろう。
美香がほっと胸をなでおろしていた所であるが…
新しく働き始めた有珠と里桜にとってはここ数日間は緊張の連続であった。
有珠と里桜としてはこの数日間は慣れないお仕事と新しく与えられた制服に四苦八苦する事になっていた。
愛らしい事が売りの喫茶ミロワールの制服はゴスロリ基調が強い。
ふわふわのフリル満点でありブラウスもそれに合わせたふっくらした物だ。
一人一人に合わせてカスタマイズされて発注されるベストは無駄に作り込まれており刺繍も華やか。
喫茶店のイメージを創り上げる事に一役買っているその制服は店長である美香の思い描くイメージが強く反映されているのである。
同時に学校の制服を改造したかに見せるその装いは少しばかりのおしゃれを袖を通した者に提供し格式を高く保ちつつ。
一般の生徒が学校の教室に訪れる延長上の様な雰囲気を作っていたのだ。
そこは学校の延長上の場所であり進奏和の生徒にとっては馴染み深い学校のイメージも色濃く残している。
だからこそ卒業生が自然と学生気分を懐かしみ進奏和に行く代わりに昔を思い出す場所としてもとても愛される店なのだ。
雰囲気はとても重要。
そこで立ち振る舞うホールスタッフとなった里桜と有珠はその立ち振る舞いを、
先輩達から学ぶことになる。
「黒江さん、その態勢はダメよ汚れてしまうわ」
「あ…はい。すみません」
「大城さんもう少しお辞儀は浅くね」
「はい」
普通のファミレスのウェイトレスなら何ら問題がない動作でも喫茶ミロワールでは許されない。
スッと手を添えられて美香は有珠の動きを整えさせたのだ。
可愛い制服であることは有珠にしても里桜にしても嬉しい事であったが…
袖をリボンなどで飾っているが袖先は気持ち膨らみ開いている。
ブラウス自体がふっくらとするように作られた結果であった。
愛らしさを強調したその姿は給仕するには徹底的に不向きである。
だがそれを立ち振る舞いでどうにかする事が求められていたのである。
「な、なんだか不思議な感じね。喫茶店てこんな感じだっけ?」
「ちょっと違う気もするけれど気にするほどではない…と思いたいわ」
初出勤の日。
と言っても学校が終ってからのアルバイトである。
終礼が終り帰れるようになるのが三時を回った少し後。
それから学校からミロワールまでは歩いても10分もかからない位置にある。
3時のピークタイムが終わり常連さんが滞在するのが4時くらいまで。
それから有珠達が仕事を始めるタイミングは進奏和の学生の帰宅時間に合わせて、
客足が増える4時からお店が閉店するまで7時半までであった。
それこそ進奏和の制服を着た生徒で埋め尽くされるミロワールは「教室」にしか見えない状態であった。
それこそ店主である美香が目指した形で理想である。
店員となった子は我が家に帰ってくるかのように来てバックヤードで、
上着のブレザーを脱げばその代わりに美香が用意しておいた胸当て付きの、
フリルとレースをふんだんに使ったエプロンを身に付けて働くのだ。
それこそ始めからミロワール用に作られたブラウスとベストは学校の許可が取れる特別な物。
着て学校に登校する事が許されているからこそできる早や着替えである。
お店の裏側と甘い常連さん相手に忙しくなるピーク時間になる前に美香によってしっかりと動き方を教え込まれる時間は続く。
「さぁさぁ練習あるのみよ。二人とも頑張って」。
「「はい」」
こうして二人のアルバイト生活が始まったのである。
美香の目に狂いはなく用意された2パターンのミロワールの制服。
有珠のモチーフは「不思議の国」であり髪の色と名前も相まって、
それこそ洋風にお店にマッチした装いが人気にならない訳がないのである。
同時に里桜のベストには美香が用意した少々多めに光物を取り付けたエプロンは、ミステリアスで大人びた印象を周囲に見せた。
同時に年齢以上に里桜を大人びた印象を与え正に高嶺の花に見えるのだ。
その2人が一緒にホールにいれば自ずと互いを印象深く演出する。
ただの教室に感じられた喫茶店の雰囲気はちょっとだけ変わる。
そこは演出されたちょっと不思議な空間となっていたのである。
優秀な委員長に率いられていた教室の雰囲気だった喫茶ミロワールの印象は働く店員とその制服とエプロンでいかようにも色を変えるのだ。