それは吹奏楽部の指導をしていた指導員。
その思惑を大きく外す事になる。
トランペットが復元できてしまった事と同時に暴走した上級生を。
部長である涼子が問い詰めそして楽器を壊した事を認めさせたのだ。
流石にライバルを蹴落とす為にと言ってやりすぎた事。
その過度の実力主義とコンクールへの意気込みからの暴走にも等しい部活動。
その全体に大きな軌道修正が施される事になったのだ。
「ごめんなさい聖さん。私達が…私達が悪かったの」
「「「「ごめんなさい」」」」
「先輩もういいですよ。私のトランペットはほら!
もっといい形で戻ってきてくれたんです!」
久遠涼子が楓に対して謝罪をすると言う事を大々的に行ったために吹奏楽部内の雰囲気が変わった。
それは今までの様なコンクールに優勝する事から。
コンクールを楽しむ方向に切り替わったと言う事でもあった。
なによりその部の方針を維持しながらも努力を怠るつもりはない。
努力し演奏し続けた時間は技量を高めていた。
その積み上げた努力は本物である。
無茶な無理をしなくとも進奏和高校吹奏楽部は十分に強い。
少なくともこれ以上担当の顧問と指導員に付き合っていたら部内を好きな様に弄繰り回される。
その確証を得られるぐらいに露骨にトランペットのパートは面白いように踊らされた。
楓のトランペットは特別製でありえないほど上手に演奏できる魔法のトランペットだと思い込まされた。
誰にそう思い込まされたかなんてこの際どうでもいい。
楓を突別扱いして勝ちを狙いにいきたいと考えた涼子自身が周囲を激変させて、他のトランペットパートの生徒を追い込み結果楓の楽器は壊されたのだ。
もうこれ以上の追い込みには何の意味もない。
生徒同士の確執を広げて関係を壊すだけである。
皆の為に演奏をすると言う心意気ではなくて。
勝つために徹底的に型に嵌め、ミスを許さない。
ギシギシした環境で徹底的に精神を鍛えあげると息まいた結果。
その精神に余裕がなく皆ボロボロだったのだ。
もうこれ以上の追い込みも締め付けも意味がない。
久遠涼子が直談判に走るのに時間はかからなかった。
「それが部長を含む部員たち全員の総意なんだな?」
「はい。このままではコンクールに賭けるあまり皆の心が死んでしまします」
「だが全国への扉はそう甘くないぞ」
「そうかもしれません。
ですが去年私達は勝てませんでした。
なら方針を変えるべき時でもあるかと思います」
「それで勝てなかったら部長は責任は取れるのか?」
「お言葉ですが私が取るべき責任とは何でしょうか?
勝てなかった場合に先生のおっしゃる責任とは何を意味するのでしょう?
「勿論。勝てなかった事を学園長に謝罪をする事になるだろうな」
「なら私はいくらでも謝罪しましょう」
「なんだと?」
「謝罪すると言っています。
どんなに追い詰められても。
昔のように追い込まれても技量は上がりませんでした。
先生の指導で全国の常連校にはなったのだと思います。
それでも全国での優勝には届かなかった。
なら新しい才能である聖さんがいる今は方針転換のタイミングだと思います」
「その新しい才能に賭けると?ふざけるな!
あと一歩だ!あと一歩の所まで来たんだよ!
部長だって解っているだろう!去年も一昨年も準優勝だったんだ!
なら今年は優勝に手が届くだろう!」
「いいえ今の形では無理です。
優勝校と私達の演奏にさして差はありませんでした。
何度となく去年のコンクールの映像を見ました。
そこで気付いたのです私達が負けた理由に」
「あ?負けた理由だと?そんなことは技量の差でしかないだろう。
お前達が未熟だったから負けたのだ」
「そうは…思えませんでした。
先輩達の技量は決して劣る物じゃなかったです。
劣っていたらきっと私達は全国にたどり着けていない」
「ならなんだと言うんだ?」
「笑顔の数ではないかと。
技量の差ではないのであれば。
あとはどれだけ楽しそうに「笑顔」でコンクールを楽しんでいたかだと思います」
「バカな事を言うな!
そんな事で優勝が決まるのならっ!
コンクールなど審査員の気分次第で決まる事になってしまうだろう」
「ええ。そうです。
最後は人の感性でしょう。
だからこそ楽しさをどれだけ表現できているかも加点対象になるでしょう」
「…甘い仮定の理想論にすぎん」
「ですが。優勝を逃し続けていますから。
やり方を変えてみるべきなのです」
「俺の全てを否定するのか?」
「否定などしていません。
ですが優勝するにはもう一つを作らなくてはいけないと思います。
それはきっと聖さんの様な人だと思いたいのです」
「…解った。
その理想をやって見せるがいい」
「ありがとうございます」
涼子の説得は成功したのであった。
生徒を鍛えると言う方針を掲げている新奏和高校としては生徒の自主性を、
高めると言う点でも合致していたし。
何より吹奏楽部は誰の為に存在するのかと言われれば勿論生徒の為である。
そして生徒が望んだ変化であり。
考えた勝つための戦略と言うのであれば学校側はその生徒の提案を拒否できない。
そうなると外部の指導員も数を減らす事になり…
顧問の教師は生徒達の総意として指導員の入れ替えを行う事が決定されたのだ。
「え?…私は、クビですか?」
「ああ。すまないがもうこれからは苦しいレッスンはしない方針になるそうだ」
「で、でも!」
「君も私も、時代に取り残されたって事だろうなぁ」
「そんな…そんな…」
指導員は吹奏楽部に来ることはなくなり、
新しく楽しむための部活動が始まる事になったのである。
季節は一学期が終り長い夏休みが始まる。
吹奏楽部は楽しく練習を進め…
だがその「楽しさ」が楓を開花させ全体の演奏を引き立てる事になったのだ。
予選を通過した進奏和吹奏楽部はそのまま全国へと勝ち上がった。
その夏は新しい形での進奏和高校吹奏楽部として演奏を創り上げ全国に望む事になったのである。
楓は楽しそうに演奏を奏で続ける。
祥子は吹奏楽部員の一人として補佐をする形で暑い夏が始まった。
楓が元気になり演奏にのめり込む事になって有珠もほっとした頃の事である。
里桜と有珠は新しい事に挑戦する事にしたのである。
と言えば聞こえは良かったのだが。
思いの外有珠は余計な出費を強いられていた。
花火大会の時の集へのお礼に楓のトランペットの修理代。
職人ではない紘一に安くしてもらったとはいえ楽器の修理代はそれなりにかかる。
部品取得用に用意したトランペットはジャンク品であってもそれなりの値段がした。
それらは有珠にとってはそれなりに痛い出費であった。
そしてタイミングよく人気の喫茶店に店員募集の張り紙。
アルバイト募集の「空き枠」が出来たのだ。
「ねぇ有珠」
「どうしたの里桜?」
「喫茶ミノワールでアルバイト募集が始まったらしいの」
「うん」
「私達もアルバイトしてみない?」
「そうね面白いかもしれないわ」
有珠はその好奇心の赴くまま喫茶ミノワールで里桜とアルバイトをする事にしたのである。